新年最初のBlogで、国連人権理事会による「ヘイトスピーチや民族差別など」に関する「日本への一方的で理不尽な勧告」に対して、日頃から感じていたところについて触れた。日本への「勧告」内容は、「人種差別や性差別」、「外国人差別」、「性的少数者差別」などを無くす取り組み。マスメディアを中心とした報道関係に対する、当局側が「政治的公平性」を求める「放送法第4条」を根拠として行政指導をする可能性についても「廃止」を求められた。「死刑の廃止や一時停止」、「死刑囚の待遇改善」も同様である。皆、「常識的」に考えれば反論の余地の無い正しい方向性のように受け止められる内容だろう。併し、その「常識的」という観点にこそ大きな落とし穴が存在するのだという事を今回は論じたい。「常識的」と「普遍的」とは同義ではない。「常識」とは、その時代や社会環境、或いは新しい概念によって変遷していくものだが、「普遍」とは、時代や社会環境などが変化しても揺らぐ事無き不動の価値観である。そこを見逃すと、「常識」とは単なる風潮や軽薄で、時に危険なブームと化す恐れもある。嘗て、ドイツ国民はユダヤ人を地上から絶滅させる事を「常識」として積極的に受け容れるという誤ちを犯した歴史を経験している。

昨今の白人社会は、イスラム過激派によるテロや、押し寄せるイスラム圏からの難民への反発から、口でこそ言わないものの所謂「白人至上主義」が台頭し、民族間憎悪は危険水域に達している。その結果、「作用に対する反作用」の如く「反ヘイトスピーチや反民族差別」の熱に浮かれているような様相を呈している。昨年ドイツ政府が、SNSの運営会社がヘイトスピーチの投稿を削除しない場合には、最大5,000万ユーロ(約60億円)の罰金を科す法案を可決した。ドイツは、他のヨーロッパ諸国が慎重姿勢を見せる中、メルケル首相らの判断で、2〜3年前からシリア、アフガニスタンからの難民受け入れに積極的な政策をとり、それに伴ってSNSにはヘイトスピーチとも受け取れる投稿が増加していた。それに伴い、メルケル首相はSNSの運営会社に対して、「ヘイトスピーチ、人種差別」を煽るような内容の投稿について厳しい対応をとるよう促していた。ドイツは現在も尚、公式には認めてはいないものの、「ドイツ国民の熱狂的総意でナチスを誕生させた」苦い経験から、他のヨーロッパ諸国に比べて殊更難民受け入れに寛容な政策をとってきたが、ドイツ人本来が持つ民族差別や異教徒難民への差別感情が無くなる訳もなく、難民犯罪の増加などに不満を募らせる国民によるヘイトスピーチが必然的に増加していた。