最近考えることに「意識を細くする」というのがある。内観の話だ。かなり抽象的な説明になると思うので、その御心算で。
真っ直ぐ引かれた白い線をイメージして、そこを踏みながら辿っていく。視点はぼんやりと構えて、特に固定しない。意識だけを足もとの線に集中する。肩幅よりも少し狭いイメージだ。
情緒が不安定になったとき、人は支えを必要とする。強く踏ん張ったり、何かに持たれたり。倒れないように腕を突っ張って体重を支えようとする。そういうことは一切しない。白線の上を歩くように、リラックスして滑らかに意識を滑らせる。
独楽を想像して貰うと分かり易いが、高回転になるほど軸がぶれない。垂直になる。あんなイメージだ。動くものを目で追いかけたり、支えになるものを探していると、つられて身体が大きくぶれる。ピントを合わせずに視界の隅で捉える感覚だ。
何かに強く惹かれたり、あるいは反発するのは、心理的に不安定な状態だといって構わない。生の実感を得るために、感情的になったり、好んで衝突を繰り返す人もいるが。相手まかせの態度だと言えるだろう。体当たり主義だが、そうでない人もいる。トラブル上等を他人に薦めるのも困りものだが。
おそらくパニックと忘我を混同してるのだろうが。アドレナリンを分泌したり、前後不覚を好むという意味では、あまり酔っ払いと違わない。そう昔は酔漢を「トラ」に擬えたのだ。恐いもの知らず、の意味だ。どうして虎なのかは諸説あるので調べてみよう。
話は変わるが、迷子にもいくつかパターンがある。典型的な例だが「関係ないものを既知の情報と結びつける」。つまり誤認だ。何となく見覚えがあるもの、目印を追いかけるうちに、まったく違う場所に出てしまう。錯覚や記憶の混同が原因だ。注意の方向が限定的で、しかも散漫なのだ。
これを防ぐには、いったんスタート地点に戻って、最初からやりなおすことが有効だ。勘だとかアドリブで辻褄を合わせようとするので、さらに悪いことになる。後手のなし崩しから、弱り目に祟り目といった状況だ。
それらに共通するのは「周囲に気を取られ過ぎて、注意力が散漫になる」こと。自分の体勢が崩れていることに気づけない。ピンチで判断が鈍ってる証拠だ。何かを行動の支えにする、起死回生のヒントを探そうとする時点で、かなり軸がぶれているのだが。まあ難しい。
ちなみに僕は、乗り物で移動すると方向感覚が狂うスキルの持ち主だ。徒歩や自転車だと平気だが(身体感覚や処理能力の問題だろう)。歩きだったら一度で道を覚えてしまうし、大型駐車場でも迷わない。ただし車の運転やナビには向かない。(全角1103字)