記事は全部読んでいないけど、整形の話だね。
フランスに来てから、
結構整形済みの韓国娘達をよく目にするけれど
やっぱり不自然な顔で、自然と整形済みという枠で一括りに見てしまう。
整形をしていない韓国人に出会うと、なぜこの子は整形をしないのだろうかと考えてしまう。
そして、その信念や彼らの両親の考えを聞かせれたら、おお!と敬意を持ってしまう。
考えてみれば、おかしな現象だ。
 
美人やイケメンを見るだけで心が幸せになる事がある。
だからこそ、モデルや芸能人という仕事が成り立つのだが、
相乗効果で世間全体が感化されて良い方向に向かい素晴らしい循環を保てるのだから、
間違いなく顔で食べていける人間は、生まれながらに持った最高の才能の保持者だ。
もっとも、それを武器にできるのはほんの数パーセントだが。
 
しかしながら、整形によって得た顔というものは、
冒頭で言ったように整形技術がいかに進歩しようとも、現段階では不自然と感じる。
見ていて美人だ不細工だなんだという感情を抱くよりもっと酷い。
うまく言葉では表せないが、正直なところ、喋らずとも一瞬で自分とは違う部類の人間だと感じてしまうのだ。
いくら理解しようとも心の本音は実際こうさ。
 

そもそも、整形って形を整える事で “美しく”なるとはイコールでは結ばれない。

昔、中尾彬がvanillaに綺麗だけど “美しく”はないと放った一幕があったが、
正にそうなのだ。
 
美容整形が今日、賞賛され、認められてはいるけれど、
それの半分がマーケティングの一環だと気がつく消費者はどの位いるのだろうか。
だからこそ、もう半分は、それに素直に感化されてしまった綺麗になりたいと思う人々なのだ。
個人的には、美容整形はしても構わない。だが、しても構わないという風潮はやはりオープンに話すべきではないと思う。
況してや、不特定多数の人間に向けて話す人って…何か怖い。
癌や難病の治療の公表とはわけが違う。
そうした内容のユーチューブやニュースのコメント欄がしばしば荒れているのを見るが、
整形に対しての否定ではなく、本質的な人としての価値観や考え方を他人は受け入れられないから、
否定派が心から賛同できないのだろう。
 
例え美しい顔で生まれたとしても、コンプレックスや変えることのできない性格で悩んでいる人もいれば、断ち切れない人間関係に頭を抱える事なんて大いにある。生きていく事は"美しい"ことばかりではないから。
 
率直に言うが、
外見のコンプレックスを変えるだけで悩みが消えて生きやすくなるのなら、結局悩みなんてそれっぽっちなのだ。
もはや、近年の安価なプライスで手に入れた顔に努力も賞賛も無い。
だからこそ、オープンにするという表現が当てはまらないのだろう。
 
ただ存在を認めてもらいたいだけという事から目を逸らし、
情緒不安定のままにSNSで発信して、いいねが押されれば気持ちが上がり、
否定されれば持論を唱えて “私は私”と考えるやり方を"美しい"と誰が呼ぶのだろうか。
 
私は、ここまで敢えて自分の偏見を美しさのyes or no の表現で書き記してきたが、
美しさが外見の綺麗さだけを表す言葉ではない事を分かっていただけただろうか。
医者の価値観によって施された整形が、万人の賞賛などを得られるわけがないのだ。
整形をして、偶々ものすごく綺麗になって多くの人間の憧れの的になった人がいよう。
それならば、そのお医者様の美的価値観と技術の高さを褒め称えるべきだろう。
 
顔面の美しさだけで多くの人間の心を掴んだのなら、お医者様のアート作品が売れたのと同じでしょう。
 
もしもあなたの悩みが
今日の化粧品の技術の高さ(アイテープやマツパ、エクステ...etc)やダイエットによって解決するのならば、
整形手術にお金を出すのは勿体無い。3kg痩せたら、着たい服も着られ、誇らしい気持ちにもなり、自信さえ手に入れられる。
自信のある人間は輝かしく他人の目に映る。
あなたが整形しようが隣の女の子は、今日も可愛いとちやほやされるかもしれない。
そうした事実は変えようがないのだから、執着という感情に蓋をする術をそろそろ見つけてはどうだろうか。
何が自分にとって大切かどうか。
 
今持ってる顔を整形した後、事故にあったら貴方は何を思うのか。
 
みんなが整形を肯定した未来に、貴方は心から人を好きになる事があるのだろうか。
 
ここで、一つだけ逃げ道に使って欲しくないのは
“自己満足”という言葉で片付けることだ。
あなたにとって顔を変える事は満足なのでは無い。
他人から羨ましがられる事が満足なのだ。
他人から羨ましがられたいのならば、一生、人よりも努力をし続けなければならない。
上のステージに行ったところで、新たなステージの幕開けに過ぎない。
 
自己満足をしたいのなら、問題に向き合って、
痛みを味わい、感謝の心を持つべきだと思う。
 
もちろん、
長年の悩みや後遺症、病気、いじめが原因で整形をするのだと決意した人間に否定の言葉を浴びせる気は全くない。
私が言いたいのは、稼ぐために整形をすべきだと謳うブロガーやユーチューバー、メディアの意図も知らずに、大学生以下の社会を知らない少女達が安易に手を出す空気感を肯定すべきでないという事だ。
感化されるべき人間は一体何者なのかと貴方はどれだけ知っているのだろうか。
 
バレンタインやハロウィンのように、由緒正しい伝統ではなく、ただのマーケティングは何年もすれば終焉に向かう。整形は、アップデートはできてもアンインストールはできない。