参照

 

映画『アメリ』の影響からか、日本では

フランスに対するイメージが未だに

《オシャレ》の一点張りである。

 

パリ症候群の人々は、一体どんな妄想を描いて

パリ旅行に出かけたのだろうか。

憧れの夢の世界から程遠い現実を知った時の感想が実に気になる。

 

こうして、フランス語を勉強していると

日本人だけではなく、多くの人々に

私も(パリ=オシャレ)だと思っている人間として見られる。

 

フランスへの《オシャレ》のイメージは、

全世界共通のようだ。

 

フランス語を学ぶ人間として、

少なくともフランスの文化や現状には目を向ける。

なんとなく、英語学習の箸休めにフランス語を勉強し始めた私にとって、

フランスが夢の国として映ったことは無い。

 

なんなら、『アメリ』を見たのは、Lyon滞在中のことだった。

 

 

さて、今回は

そんな『パリ症候群』になる前にフランスへのイメージを少し覆すであろう

映画を一つ紹介。

 

冒頭に貼った写真は、

『パリ20区、僕たちのクラス』の主役となる子供達だ。

 

2008に公開されたフランス映画で、

François Bégaudeau氏が書いた小説『Entre les mur』を

Laurent Cantet監督によって映画化したもの。

 

面白いことに、主役の生徒はパリ市内に住む素人の中学生。

そして彼らの教師は、

著者のBégaudeau氏なのだ。

 

あー思い出した。

フランス人って、けんかが前提でかなり強い意志を持たないと

一緒に生活できないんだった。

 

と、最初の方は思って見ていた。

 

だが、物語が進むにつれて

このハラハラとした感覚はそうじゃないと感じた。

 

どこまで自分のことを受け入れてもらえるのか、

“徐々に”という言葉を見ずに、

いきなり相手に強い言葉を投げかけたり、

仲間を守る為に正義感から戦おうとしたり、

とにかく何も理解してくれようとしない大人を全面的に拒否していた

あの頃の、傷を何度も刃物で刺されるような感覚だ。

 

参照

 

一人の少女は、休み明けから担任との関係がうまくいかなくなった。

教科書も読まないし、無礼な口調で接する。

謝罪するように注意しても、

反発心を顕にして口答えするばかり。

 

それでも、ねばり強く彼女の心理を理解しようと向き合う先生に

彼女は、「授業では祖母や妹や生理のことなど話しません。だから先生とはもう話しません。」

と告げた。

恐らく、祖母や妹の問題は

自分の変化を理解できたら受け止められることだろう。

 

私ももう社会人になり、

子供のような生活をする事はなくなったから思うが、

大人にとっての一年は、毎日のルーティンを365回したら過ぎてしまうほどのことである。

朝は、何時に起きて、何時の電車に乗って、何時にご飯を食べて、

仕事が終ったら夕食作って食べて、何時になったら寝なければ…。

 

果たして、子供の頃はそうだっただろうか。

時間割通りに動いていても、毎回同じ授業内容では無いし、

先生の気分や段取りによって

その回でやる授業は変わるから

その時間にならないと何をするか分からない。

つまり、1日の大半を主体で動いていない。

 

そして、体の変化も出てくれば、

人間関係もはっきりとしてくる。


自我が芽生えた子供達は、

傷つく事を恐れて必死に自分を守ろうと

相手の気持ちを考えずに言葉を発する。

 

初めてつく傷を癒し、

笑って受け流すには、まだまだ難しい。

 

そんな事に取り巻かれているのだから、

2週間や1ヶ月会わないだけでも

思春期の子どもは

目に見えない変化をしているのだと

彼女の発言から考えさせられた。

 

参照

それでもやっぱり、

基本はいい笑顔をするわけよ。

 

 

 

参照

やんちゃな男子生徒の一人が登場する。

彼が、レストランだったか教会に行った時にスーツを着た白人にジロジロ見られて嫌だったと言っていた。

私は始め、

なぜ彼がこんな事を言うのかが

理解できなかった。

チーズバーガーを毛嫌いする理由に

「チーズは臭い。」と発言をしていて


益々意味が分からなくなったのだが


要は、彼がイスラム教徒であり、

アルジェリアにルーツを持つアラブ系フランス人だからだった。

 

君だって白人じゃん。だなんて思ってしまった

私は、『白人』という言葉の意味が

単なる肌の色合いで区別づけた

差別用語という

薄っぺらい認識しかできていなかったのだ。

 

日本では、

白人コンプレックスなんて言うけれど

私達日本人は、宗教の違いや国籍に対する劣等感(植民地や奴隷制度など)を感じているわけでは無いから、隣接している国々の人が感じるソレらとは違うのだと思う。



こんな可愛らしい彼も

もう立派な俳優として活躍しているみたい。

参照

 

(映画 RAW〜少女のめざめ〜)

アドリアン役

 



そして、この映画で

私が最もフランスの社会の厳しさを痛感したのは、一人の生徒の退学の話だ。

 

私は教育の現場に

大人の立場として関わった事がないから

教師達が職員会議で生徒をテーマに

何度、どういった心構えで、

どんな内容を話しているのか知らないが、

フランスほど

論理的に、そしてシビアでは無いと思った。

 

昨今のモンスターペアレント問題が増えているという点から

この違いが見てとれる。

 

フランスや海外では、教師を蔑む態度は決して軽くは受け取られない。


日本は、いつからか

過度な文句を言う親が増えた。

そして、親だけでなく

教師による不祥事もまた、増加している。

体罰、性的暴力…。



学生時代から思っていたけれど、

教育現場をなんだと思っているの?

 

物語の中で、

ある教師が

懲罰会議の際に問題児の少年に、

暴力的なのが問題ではなく、

自分を制御できないでいる事が

問題なのだと言っていた。

 

私の中で、

今までのモヤモヤが解かれた。


これこそが、

解決法であり、

日本の教育現場には足りないのだ。


よく日本人は、

青少年の暴行事件が起きるのは、

愛に飢えているからだと結論づける。

 


じゃあ、愛を与えてあげましょう。

 

うーん、

この時期に一番欲しいのは、

愛してくれない人からの愛だったりする。


つまり、

いくら他人から愛を与えられようが

その人が自分だけを、いつまで愛してくれるか分からない不安から満たされるかと言われると

本心的に無理だ。


そこには、

少なからず家族と他人の違いがある。



この発言を聞くまで、

私も “無償の愛こそが” なんて思っていたけれど

暴力を振るう人間を更正すべきは、

やってはいけない事を、

なぜしてはいけないのか、

そして、生まれ持ったものでは

ないという認識を教えべきなのだ。

 

私達は、

頭で理解する部分を、感情で理解させようと

全てを一括りにしている。

 

心で感じるのは、千差万別であり

何かをできる人もいればできない人もいる。

 

だが、自分を制御する事は、

頭で理解し、少しの努力で大多数の人はできる。

 

そういう事を冷静に区別し、

判別できる大人がもっと集まれば

日本の教育現場もマシになるのかな。


なんて、

中学時代の教師陣を頭に思い浮かべながら

思った。

参照

 

ある意味、退学の生徒の親もモンペ(彼女の場合は、文化的背景から同情せざるを得ない部分もあるが)だったけれど、

信念と様々な生徒達に向き合ってきた教師達は、そんな親子を追い出す決断をするのであった。

 

 

 【まとめ】

今回は、《オシャレ》でバカンスばかりを楽しんでいるフランス人とは少し違う、リアルなフランスを描いている映画を紹介してみました。


私にとっては、移民に溢れ、心赴くままに生きている人々で成り立つフランスが

とても魅力的です。

 

パリ症候群に陥ってしまった人々に

告げたいのは、

見たままのフランスを《思い描いていた夢の国》と比較し、落胆するのではなく、

せっかく肌で感じたフランスの現実を見つめるという事。

 

フランスの魅力は、

ただの《オシャレ》以上にもっと深く

一人一人の個性で作られた人間味溢れる場所なのだ!