夏の一瞬。

 

ふとした瞬間に、

悲しさというか寂しさを感じる。

 

春夏秋冬のうちで

最も気分が晴れて、

海にも入れる。

 

そんなわけで

昨年までは、

夏の間は仕事をいれずに旅に出かけていた。

 

春の心機一転頑張ってきた生活で

溜まった疲れを癒し、

冬まで乗り切るための

大切なエネルギーチャージの時期だ。

 

今年はというと

長期の休みは取れないし、

お金も節約しないとならないから

ここで短期間の休みを楽しむ事にした。

 

たった4日間でも十分楽しめた実家への帰省。

 

時間やお金が限られいると

一つ一つを丁寧に過ごせると分かった。

 

なんだかんだで

2年ぶりに日本で過ごすお盆。

 

さっき、

洗濯物を乾かそうと戸を開けたら

隣のお家に2台の自転車が停まった。

 

 

親戚同士で集まっているのだろう。

 

 

近所のスーパーには

大人数用のお寿司が並べられていたり、

かき揚げもいつもより多彩で、

コーンがたっぷり入ったものがあった。

 

こども用かな?なんて思いながら、

通り過ぎると、

おはぎがぽんぽんと置かれていた。

 

 

思わず、一つ手に取りカゴへ。

 

 

 

さてさて

冒頭で述べた夏の寂しさについて。

 

ずーっと、

避けてきたから分からなかったのだけど

 

そうか、

戦争の記憶が至る所で蘇るからだ。

と理解した。

 

 

7月に見た沖縄戦が舞台のミュージカルを機に、

戦争当時の話に興味を持つようになった。

 

普段テレビは見ないから

知らなかったけれど、

実家に帰った時に

“この世界の片隅に”のドラマを母が教えてくれ、

一緒に見た。

 

それから映画がある事を知って

そちらもすぐに見た。

 

歴史の勉強は好きだったが、沖縄戦、原爆…

 

終戦間際の話は

自分にリンクしてしまい、

怖くて知る事を避けていた。

 

 

修学旅行で行った

広島の記念館で聞いた当時の話は

ずっと、痛く辛いまま耳に残っている。

 

逃げ場の無いミサイル攻撃に、

防空頭巾で身体を守ろうとしている描写を

ぼーっと見ている自分がいた。

 

参照

 

こんなに時代が進化して、

きっと今だったら

守れる防護服があるかもしれない。

 

だけど、

今だって確実に守ってくれる物が

世間に浸透しているわけじゃないのに、

 

せめてもの想いで被っていたのだろう。

 

市民を守る事をしなかった政府や

当時の洗脳された教育が憎くてたまらなく思う。

 

 

彫り深く、美しい顔立ちの人々が多く

暖かな気候と海に囲まれた楽園とさえ思った

沖縄。

なぜ、修学旅行で多くの学生が訪れるのか。

 

訪れなければならない場所なのだ。

 

広島も長崎もまた、

美しさにだけ目を向けるのではなく、

自らが歴史を見ていく事が


やっぱり日本に生まれた人として

するべき事だと思った。


 

今年の夏は、“戦争”について向き合おう。