ニューヨークのブラウンストーン。
前回は、ブラウンストーンとは何か、そしてその歴史的背景についてお話しをしました。
ブラウンストーンとは建築材料である赤褐色の砂岩の一種です。
この石を使用して建てられたタウンハウス(長屋)のことを一般的に”ブラウンストーン”と呼びます。
そして、ブラウンストーンには一概に全てが同じデザインではなく、ブラウンストーンが使用される箇所や建築様式によって様々な外観が存在します。
様々な建築様式の歴史を経て、ブラウンストーンという住居は完成しました。
今回は、その変遷とそれぞれの建築スタイルの特徴を見ていきたいと思います。
Credit: village copier
Ⅰ. フェデラル様式
ブラウンストーンタウンハウスの最初の出現は、フェデラル・スタイルの建築が米国で普及していた1780年代までさかのぼることになります。
イギリスとの独立戦争後、アメリカでは、新しい国家の誕生とともに連邦制度(フェデラル制度)が成立しました。
この新たしい連邦主義のアイデンティティを象徴するため、国をあげて発展させた建築様式がフェデラル建築です。
都市化が勧められたニューヨークでも、1800年代初頭に多くのフェデラル様式のタウンハウスが建てられました。
それらのほとんどがレンガ造りで、シンプルな建築の一部にブラウンストーンが使用され始めます。
フェデラル建築は、イギリスの植民地時代に普及していたジョージアン様式の要素を、
古典的な建築様式を取り入れた、華美な装飾の無いシンプルな外観でした。
フェデラルスタイルでは、ブラウンストーン はベース(基礎)やストープ(階段)、窓の上部(まぐさ)と下部(窓台)に使用されました。
Credit: curbed
レンガは、フレミッシュボンドと呼ばれる、
Credit: Daytonian in Manhattan
21 Stuyvesant Street - East Village, NY
Credit: Villlage Preservation
ヒッチコックが、映画『裏窓』の舞台に設定したとされているウエストビレッジのタウンハウスもニューヨークの初期のフェデラル様式です。
246 W 10th St, New York, NY
『Rear Window』 (1954)
Credit: Village Peservation
ブルックリンのWillow stでは、歴史的建造物となっている美しいフェデラルスタイルのブラウンストーン を見ることができます。
155–159 Willow Street, Brooklyn Heights, NY
Credit: Wikipedia
Ⅱ. グリークリバイバル様式(ギリシャ復興様式)
1830年代には、新しい建築様式が流行り始めました。
国境が西部へと伸びていくにつれて、アメリカ全土で民主主義を表現する建築スタイルを求めるようになります。
やがて、自由と民主主義の象徴として古代ギリシャ建築の再現、復興のムーブメントが起こり、全米で
ニューヨークでもこの新しい建築スタイルの流れを受け、ブラウンストーンを使用したギリシャ復興様式のタウンハウスが建てられるようになります。
フェデラル様式と同じレンガ造りのタウンハウス。
ギリシャの古典建築をモチーフとしたグリークリバイバルスタイルは、フェデラルスタイルのブラウンストーンよりもやや大胆な造りになっ
ブラウンストーンは、1階とエントランスを大胆に囲う装飾(付柱)にも使用されています
408 W 20th St. - Chelsea, NY
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神殿風のコリント式やドーリア式のブラウンストーンの付柱が玄関を飾り、奥の
グリークリバイバル様式の屋根は、フェデラル様式のドーマー窓を廃し、最上階の小さく短い窓と平らな屋根が特徴です。
Credit: Daytonian in Manhattan
27 East 11th St. in Greenwich Village, NY
Credit: Daytonian in Manhattan
歴史的建造物であるチェルシーのグリークリバイバル様式のタウンハウス
West 20th St. between 8th and 10th Ave in Chelsea, NY
Credit: Wikipedia
Credit: Compass
フェデラル様式とグリークリバイバル様式は、一部の装飾にブラウンストーン が使用されている、ブラウンストーンタウンハウスの黎明期といえる建築です。
次回は、あのチョコレート色で覆われた、ニューヨークの ”真のブラウンストーン” といわれるイタリアネート様式をご紹介したいと思います。
Credit: Rizzoli