有限
私はしょっちゅう死という課題に直面する。
別に大病を患っている訳でも
危険な仕事をしている訳でもない。
ただ日々生活する中で
体調が優れなかったり
衰えを感じるたびに
私もいつかは死ぬんだよな。
そう考え始めて
思考が止まらなくなってしまう。
それはいつになるかわからない。
何十年も先の話かもしれない。
でも数年後の可能性も
数ヶ月後の可能性も
数日後
まして明日もしかしたら私は生きていない可能性だって
十分にあり得るんだ。
そう考えるととても怖くなる。
きっと後悔する事が山ほどある。
やりたい事やりきれてないし
伝えたい事伝えきれてない。
「やりきる」
なんて実際に可能なのかはわからないけど
やっぱりどこかで
今みたいな日常が
どこまでもいつまでも
続いていくような気がしていて
「今」の重みは
ずーっと続くはずの幻想の世界では
とてもぼんやりとしていて
軽いものになってしまう。
もしある日突然「余命宣告」を受けたら
私はどうするんだろう。
あと数ヶ月の命だとしたら
私はどんな行動をとるんだろう。
大切な人達に伝えたい事を伝えて、
もうすぐ会えなくなってしまう寂しさに打ちひしがれるんだろうか。
私はちゃんと死と向き合う事が出来るんだろうか。
きっと本当にそういう状況に置かれなかったら
どうなるかなんて想像もつかない。
でも命が有限である事
今の状態がいつまでも続く訳ではない事
今持っている物は全ていつの日か失うという事
これは全てリアルだ。
いつか死ぬからといって
いつか失うからといって
何かを求めて獲得して必死に生きる事
それが無意味だなんて私は思わない。
けれどやはり
失う事を知りながら
何かを大切にする事はとてもとても怖い事だ。
自分自身も、大切な人達も、物だってそうだ
思い入れがあればある程
別かれは辛くなる。
なんで生きているんだろう。
なんで求め合うんだろう。
なんでこんなにも怖いんだろう。
定期的に直面する死の課題は
私にとってはそんなに簡単に解けるものでもなく
とてもとても嫌な気持ちを伴うものだ。
でもそれは私に「生」の感覚を思い出させてくれる。
「生きたい」と願う自分の気持ちに。
最後に今の気分の曲。大好きでとても美しい曲。
「三日月の寝台」ー新居昭乃
別に大病を患っている訳でも
危険な仕事をしている訳でもない。
ただ日々生活する中で
体調が優れなかったり
衰えを感じるたびに
私もいつかは死ぬんだよな。
そう考え始めて
思考が止まらなくなってしまう。
それはいつになるかわからない。
何十年も先の話かもしれない。
でも数年後の可能性も
数ヶ月後の可能性も
数日後
まして明日もしかしたら私は生きていない可能性だって
十分にあり得るんだ。
そう考えるととても怖くなる。
きっと後悔する事が山ほどある。
やりたい事やりきれてないし
伝えたい事伝えきれてない。
「やりきる」
なんて実際に可能なのかはわからないけど
やっぱりどこかで
今みたいな日常が
どこまでもいつまでも
続いていくような気がしていて
「今」の重みは
ずーっと続くはずの幻想の世界では
とてもぼんやりとしていて
軽いものになってしまう。
もしある日突然「余命宣告」を受けたら
私はどうするんだろう。
あと数ヶ月の命だとしたら
私はどんな行動をとるんだろう。
大切な人達に伝えたい事を伝えて、
もうすぐ会えなくなってしまう寂しさに打ちひしがれるんだろうか。
私はちゃんと死と向き合う事が出来るんだろうか。
きっと本当にそういう状況に置かれなかったら
どうなるかなんて想像もつかない。
でも命が有限である事
今の状態がいつまでも続く訳ではない事
今持っている物は全ていつの日か失うという事
これは全てリアルだ。
いつか死ぬからといって
いつか失うからといって
何かを求めて獲得して必死に生きる事
それが無意味だなんて私は思わない。
けれどやはり
失う事を知りながら
何かを大切にする事はとてもとても怖い事だ。
自分自身も、大切な人達も、物だってそうだ
思い入れがあればある程
別かれは辛くなる。
なんで生きているんだろう。
なんで求め合うんだろう。
なんでこんなにも怖いんだろう。
定期的に直面する死の課題は
私にとってはそんなに簡単に解けるものでもなく
とてもとても嫌な気持ちを伴うものだ。
でもそれは私に「生」の感覚を思い出させてくれる。
「生きたい」と願う自分の気持ちに。
最後に今の気分の曲。大好きでとても美しい曲。
「三日月の寝台」ー新居昭乃