社会適応
不登校とかひきこもり関連の論文を読んでいると
泣きたくなる。
凄く胸がざわざわして
ああああああ
って声が出そうになる。
逃げ出したくなる。
私は中高と不登校にはならなかった。
不登校になるのがかっこわるいと思っていたし、
そういうのは辛い状況を我慢できない
弱くてダメな人間がするものだと思っていたから。
私は違う。
私は強いから学校が辛くても
休んだり不登校になったりなんて絶対にしない。
そういうプライドだけで通い続けた。
でも今思うと
ただのやせ我慢なんだよな。
自分に自信が無くて
自分の主張すら出来ない
人に察してもらうのをただひたすら待って
自分からは反抗も適応もできない。
社会不適合者のレッテルを貼られるのが、
「学校に行けなかった弱い子」という肩書きを背負うのが、
あまりにも恐ろしかったから逃げてただけだ。
そういうレッテルを貼られる事が
私の一生を台無しにしてしまうんじゃないかって
そう考えるだけで恐ろしくて、
学校に行って人々に馬鹿にされたりする方が
期間限定だと思えばよっぽどましだった。
私は嫌な事を嫌と言えない。
私はだめな事をだめと言えない。
自信が無いから。
間違うのが怖いから。
間違ったら馬鹿にされて
誰にも尊敬してもらえなくなるから。
私は怖い事を怖いと言えない。
臆病な子だと思われたくないから。
なんでこんなに人の目を気にするんだろう。
ちっぽけな人間だな。
もっと失敗すれば良いのに。
もっと間違えば良いのに。
なんでそんなに怖いんだろう。
なにをそんなに恐れなきゃいけないんだろう。
慎重過ぎる程慎重なのもきっと私の特質なんだろうけど。
私は不登校を推進はしない。
不登校になる必要性がないのであれば
ならない方が良い。
でももし学校に行けない理由があるのであれば、
そうやって問題を不登校という形で
表面化するのも一つの手だとも思う。
その時は確かに大変な事態になるし、
人生の汚点のように思えるかもしれない。
でも結局問題が表面化せず、
奥底で人格に影響を与え続ける方が
長い目で見ると問題を悪化させる事もある。
ただ今の社会の現状では
不登校やひきこもりへの理解もあまりなくて、
実際社会で生きていくのが困難になるケースもあるから
その辺りはやはり難しいところだ。
自分のタイミングで
自分の発達上の課題に取り組めないのは
とても辛い事だ。
本当の意味で人間の成長を望む社会なのであれば
もう少し互いの違いを表面化して、知って、
その違いを直視した上で共存するのが理想だけど。
「人それぞれ」っていう言葉は
まだ現状の社会においては
ただの綺麗言でしかなくなってしまう。
あーーーーー
今日は帰宅早々に家族で死刑制度について
激論を繰り広げすぎて脳みそが凄い疲れた。
不登校とかの社会適応の問題も
私を未だに悩ませるテーマであって
とても精神力を奪われる。
軽蔑していた自分への罪悪感なのか
当時の嫌なことを思い出すからなのか
未だに直視できない。
泣きたくなる。
凄く胸がざわざわして
ああああああ
って声が出そうになる。
逃げ出したくなる。
私は中高と不登校にはならなかった。
不登校になるのがかっこわるいと思っていたし、
そういうのは辛い状況を我慢できない
弱くてダメな人間がするものだと思っていたから。
私は違う。
私は強いから学校が辛くても
休んだり不登校になったりなんて絶対にしない。
そういうプライドだけで通い続けた。
でも今思うと
ただのやせ我慢なんだよな。
自分に自信が無くて
自分の主張すら出来ない
人に察してもらうのをただひたすら待って
自分からは反抗も適応もできない。
社会不適合者のレッテルを貼られるのが、
「学校に行けなかった弱い子」という肩書きを背負うのが、
あまりにも恐ろしかったから逃げてただけだ。
そういうレッテルを貼られる事が
私の一生を台無しにしてしまうんじゃないかって
そう考えるだけで恐ろしくて、
学校に行って人々に馬鹿にされたりする方が
期間限定だと思えばよっぽどましだった。
私は嫌な事を嫌と言えない。
私はだめな事をだめと言えない。
自信が無いから。
間違うのが怖いから。
間違ったら馬鹿にされて
誰にも尊敬してもらえなくなるから。
私は怖い事を怖いと言えない。
臆病な子だと思われたくないから。
なんでこんなに人の目を気にするんだろう。
ちっぽけな人間だな。
もっと失敗すれば良いのに。
もっと間違えば良いのに。
なんでそんなに怖いんだろう。
なにをそんなに恐れなきゃいけないんだろう。
慎重過ぎる程慎重なのもきっと私の特質なんだろうけど。
私は不登校を推進はしない。
不登校になる必要性がないのであれば
ならない方が良い。
でももし学校に行けない理由があるのであれば、
そうやって問題を不登校という形で
表面化するのも一つの手だとも思う。
その時は確かに大変な事態になるし、
人生の汚点のように思えるかもしれない。
でも結局問題が表面化せず、
奥底で人格に影響を与え続ける方が
長い目で見ると問題を悪化させる事もある。
ただ今の社会の現状では
不登校やひきこもりへの理解もあまりなくて、
実際社会で生きていくのが困難になるケースもあるから
その辺りはやはり難しいところだ。
自分のタイミングで
自分の発達上の課題に取り組めないのは
とても辛い事だ。
本当の意味で人間の成長を望む社会なのであれば
もう少し互いの違いを表面化して、知って、
その違いを直視した上で共存するのが理想だけど。
「人それぞれ」っていう言葉は
まだ現状の社会においては
ただの綺麗言でしかなくなってしまう。
あーーーーー
今日は帰宅早々に家族で死刑制度について
激論を繰り広げすぎて脳みそが凄い疲れた。
不登校とかの社会適応の問題も
私を未だに悩ませるテーマであって
とても精神力を奪われる。
軽蔑していた自分への罪悪感なのか
当時の嫌なことを思い出すからなのか
未だに直視できない。