大人と子ども
後輩のダンス公演を見てきた。
今日が楽日で、その一瞬一瞬に2ヶ月間の努力が詰まっていて、
とても勇気づけられたし、
私も頑張らなきゃなって気持ちになった。
恐怖の教育実習も
きっと辛い事沢山あるだろうけど、
とにかく出来る事を最大限にやるしかない。
そんな気持ちにさせてくれた。
例えダンスがそこまで上手くなくても、
例え何もかも完璧に整えられてなくても、
上手くなろうと一生懸命努力したその姿勢とか、
なんども失敗して、
諦めそうになっても最後までやり遂げたその底力に
胸を打たれる。
結局私が見ているのは
技術力とか、見せ方の上手さとか、
もちろんそういうのもとても大切だけど
小手先ではどうにもならない
いかにその事に取り組んだかっていう
姿勢の現れであるオーラであったりするんだろう。
「上手く見える」
とか
「それっぽく見える」
とかじゃなくて
その人がその空間に存在する事そのものに
意味があるっていう空気が
好きだ。
良い笑顔であり、良い涙。
本当に若い人は凄い。
大人の支えなんて本当はそんなにいらないんだろう。
というかむしろ大人は若者のパワーを奪い過ぎだろう。
私は「大人」という訳ではないけど、
今回の公演に関しては「見る側」であった訳で
主役である後輩達にどうやって接したら良いのか
凄く凄く悩んだ。
私は社会人の人達や就活生に比べたら暇人だったし、
通し練習の時には毎回お邪魔させてもらった。
先輩は毎回終わった後に一人ずつコメントを言う制度になっていて、
その後個別のジャンルにダメ出しを行うのが習慣。
でも私の言う事がこの子達を潰してしまったらどうしようって
いつも不安で仕方が無かった。
古い考えを変に押し付ける事になって
せっかくの新しいアイディアや
皆が自分達で精一杯作り出した産物を
先輩達がこねくり回して、異物に変えてしまうのではないかって。
きっとそんな他人に着せられた服を来て舞台に立つなんて
例えどれだけ完成度が高くなったとしても、
どれだけ先輩受けがよくなったとしても、
自分たちで納得いかないだろうから。
大人は良く「あなたのため」と言って
自分の意見を押し付ける。
「こうしておけば間違いないから」
そういって私達の失敗する機会を奪っていく。
失敗から自分自身で学ばなければ
私達は常に外部から押し付けられた価値観の中で
窮屈に生きていかなければならない。
「間違いないって言ったじゃない」
あなたがそういったからこうしたのに。
そうやって他人のせいにするしかなくなってしまうんだ。
大人達はそこまで全て責任とるつもりでいるんだろうか。
子ども達をいつまでもゆりかごの中に閉じ込めるんだろうか。
支える事と、
染める事は違う。
今の大人のようになれば良いんじゃない。
自分がなりたい自分になれなければ意味が無い。
意見を言うのは大切だ。
私がダメ出しで心がけていたのは
「どうしたらいいか」を伝えるよりも
「どう感じたか」を伝える事。
「どうするか」を考えるのは本人のすること。
もちろん具体案の一つや二つは提示できたら良いかもしれないけど、
それを押し付けるような言い方をしたり
「今のはダメだから、こうすべき」
というのは相手のためを思っているようで、
結局は自分のためにしていること。
要は大人側の勝手なエゴだ。
その事に気づかないでいると、
いつのまにか一人一人の個性を潰してしまう。
大人は子どもに「失敗を回避する術を身につけさせる」んじゃなくて、
「失敗に向き合う術を学ぶ機会を与える」ことじゃないのかな。
もちろんそれは放任とは違う。
適度な距離にいて、無言のHELPサインを感じ取る事。
そこに、必要であればつかめる手がある事を示す事。
示すのではなくて、一緒に考え、悩む事。
簡単なようで実は難しい。
でもそれが大人の役割なんじゃないかな。
教育でも同じ。
個人の力を最大限に引き出すにはどうしたらいいのか。
それをいつも悩んで考えて、
自分に出来る最大限の事をしたい。
子どもの成長の芽を「善意」という名の元に踏みにじりたくない。
私は今回の公演でも思ったけれど、
やっぱり私は若い人達のエネルギーに
ひたすら支えられている。
私だってまだまだ若いんだから、頑張るぞって
思わせてくれる。
そして一生青春してやるって、
思わせてくれる。
それはとてもエネルギーを消耗するし、
辛い事を沢山経験する事を意味しているけど、
それでも私はその先に見える何かがあまりにも輝いているから
手を伸ばさずにはいられない。
そして手を伸ばそうとするパワーと勇気をくれるのは
やっぱり本気で頑張ってる人達なんだ。
大人とか子どもとか
確かに分けて考えられる事は多いし、
人生の経験値が高いであろう大人が「教える」側に立つ事が多いけれど、
大人は子どもから学ぶ事が山ほどある事を忘れてはいけない。
お互いに刺激をし合って、
お互いに高め合って、
お互いにお互いを認められる。
っていう理想論を私はまだしばらくは
持っていられそう。
今日が楽日で、その一瞬一瞬に2ヶ月間の努力が詰まっていて、
とても勇気づけられたし、
私も頑張らなきゃなって気持ちになった。
恐怖の教育実習も
きっと辛い事沢山あるだろうけど、
とにかく出来る事を最大限にやるしかない。
そんな気持ちにさせてくれた。
例えダンスがそこまで上手くなくても、
例え何もかも完璧に整えられてなくても、
上手くなろうと一生懸命努力したその姿勢とか、
なんども失敗して、
諦めそうになっても最後までやり遂げたその底力に
胸を打たれる。
結局私が見ているのは
技術力とか、見せ方の上手さとか、
もちろんそういうのもとても大切だけど
小手先ではどうにもならない
いかにその事に取り組んだかっていう
姿勢の現れであるオーラであったりするんだろう。
「上手く見える」
とか
「それっぽく見える」
とかじゃなくて
その人がその空間に存在する事そのものに
意味があるっていう空気が
好きだ。
良い笑顔であり、良い涙。
本当に若い人は凄い。
大人の支えなんて本当はそんなにいらないんだろう。
というかむしろ大人は若者のパワーを奪い過ぎだろう。
私は「大人」という訳ではないけど、
今回の公演に関しては「見る側」であった訳で
主役である後輩達にどうやって接したら良いのか
凄く凄く悩んだ。
私は社会人の人達や就活生に比べたら暇人だったし、
通し練習の時には毎回お邪魔させてもらった。
先輩は毎回終わった後に一人ずつコメントを言う制度になっていて、
その後個別のジャンルにダメ出しを行うのが習慣。
でも私の言う事がこの子達を潰してしまったらどうしようって
いつも不安で仕方が無かった。
古い考えを変に押し付ける事になって
せっかくの新しいアイディアや
皆が自分達で精一杯作り出した産物を
先輩達がこねくり回して、異物に変えてしまうのではないかって。
きっとそんな他人に着せられた服を来て舞台に立つなんて
例えどれだけ完成度が高くなったとしても、
どれだけ先輩受けがよくなったとしても、
自分たちで納得いかないだろうから。
大人は良く「あなたのため」と言って
自分の意見を押し付ける。
「こうしておけば間違いないから」
そういって私達の失敗する機会を奪っていく。
失敗から自分自身で学ばなければ
私達は常に外部から押し付けられた価値観の中で
窮屈に生きていかなければならない。
「間違いないって言ったじゃない」
あなたがそういったからこうしたのに。
そうやって他人のせいにするしかなくなってしまうんだ。
大人達はそこまで全て責任とるつもりでいるんだろうか。
子ども達をいつまでもゆりかごの中に閉じ込めるんだろうか。
支える事と、
染める事は違う。
今の大人のようになれば良いんじゃない。
自分がなりたい自分になれなければ意味が無い。
意見を言うのは大切だ。
私がダメ出しで心がけていたのは
「どうしたらいいか」を伝えるよりも
「どう感じたか」を伝える事。
「どうするか」を考えるのは本人のすること。
もちろん具体案の一つや二つは提示できたら良いかもしれないけど、
それを押し付けるような言い方をしたり
「今のはダメだから、こうすべき」
というのは相手のためを思っているようで、
結局は自分のためにしていること。
要は大人側の勝手なエゴだ。
その事に気づかないでいると、
いつのまにか一人一人の個性を潰してしまう。
大人は子どもに「失敗を回避する術を身につけさせる」んじゃなくて、
「失敗に向き合う術を学ぶ機会を与える」ことじゃないのかな。
もちろんそれは放任とは違う。
適度な距離にいて、無言のHELPサインを感じ取る事。
そこに、必要であればつかめる手がある事を示す事。
示すのではなくて、一緒に考え、悩む事。
簡単なようで実は難しい。
でもそれが大人の役割なんじゃないかな。
教育でも同じ。
個人の力を最大限に引き出すにはどうしたらいいのか。
それをいつも悩んで考えて、
自分に出来る最大限の事をしたい。
子どもの成長の芽を「善意」という名の元に踏みにじりたくない。
私は今回の公演でも思ったけれど、
やっぱり私は若い人達のエネルギーに
ひたすら支えられている。
私だってまだまだ若いんだから、頑張るぞって
思わせてくれる。
そして一生青春してやるって、
思わせてくれる。
それはとてもエネルギーを消耗するし、
辛い事を沢山経験する事を意味しているけど、
それでも私はその先に見える何かがあまりにも輝いているから
手を伸ばさずにはいられない。
そして手を伸ばそうとするパワーと勇気をくれるのは
やっぱり本気で頑張ってる人達なんだ。
大人とか子どもとか
確かに分けて考えられる事は多いし、
人生の経験値が高いであろう大人が「教える」側に立つ事が多いけれど、
大人は子どもから学ぶ事が山ほどある事を忘れてはいけない。
お互いに刺激をし合って、
お互いに高め合って、
お互いにお互いを認められる。
っていう理想論を私はまだしばらくは
持っていられそう。