祖母の思い出③ | やっぱり音楽が好き♪

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こんにちは!七音ですニコニコ音符

 

 

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さて、思いのほか長くなった、「祖母の思い出」

 

 

祖母は、80歳まで、日本舞踊を教えていました。

まだまだ出来たと思うのですが、

母が、自分が跡を継いでやりたいという気持ちで苦々しく見ていたことが

感じ取れたのだと思います。

 

80歳で、母に師匠の座を譲りました。

 

その後の祖母は、

まさに、楽しい隠居生活。

 

活発で、外へ積極的に出かける祖母は、

旅行に行き、買い物をし、友達を呼んで花札をしたり、

みんなでパチンコに行ったり、

 

それこそ良い隠居生活だったと思います。

私も見習いたいと思うような、毎日を過ごしていました。

 

オシャレで、身だしなみにいつも気をつけていて、

自分の部屋もいつもきちんと片付けていた祖母。

 

気性が激しく、すぐに友達とけんかしたり、

花札で負けていると、やめる、といい出したり、勝つまでやったり、と、

大人げないところは多分にありましたが滝汗

 

母が言うほど、嫌な人ではないなぁ・・・と気づいたのも、日本舞踊を

引退してからです。

 

母は、祖母が体調を崩してから、部屋に夕飯を持って行くようになり、

元気になってからも、ご飯を持っていくようになりました。

 

それは、家族が居るのに一緒にご飯を食べられない祖母にとって、

どれだけ寂しいことだったことでしょう。

 

祖母は、90歳を過ぎても元気で、私の結婚式にも元気で出て、

ひ孫の顔も見ることが出来、まだまだ長生きしそうに見えましたが、

 

ある日、急に歩くことが困難になり、1年ほど、うちで半寝たきりの生活になりました。

 

あれほど頭がはっきりしていた祖母に、認知症の症状が出始めました。

 

私は自分の子育てで頭がいっぱいで、深く考えられず、でも、

あの元気な祖母がそんなに簡単に具合悪くなるはずがない、と、思っていました。

実家に行くと、祖母はとても喜んで、息子の顔を眺めて笑顔でした。

 

そんなある日、母から電話がありました。

「おばあちゃん、あと2,3日だって、お医者さんに言われたの。

 顔を見に来てあげて」と。

 

翌日、行く約束をしたのですが、早朝電話が鳴り、

母から、「おばあちゃん、亡くなったの」とのこと。

 

93歳でした。

 

私は、母は、あんなに大嫌いだった祖母が亡くなって、やっとスッキリした、

と、涙ひとつ見せないだろうと思っていました。

 

ところが、母は、泣きながら、私に電話をかけてきたのです。

 

私は、母が悲しむなんて思っても居ませんでした。

なので戸惑いました。

そして私にとっても、母を苦しめた祖母が亡くなった、やっと母は人生を

楽しむことが出来る、と私は想像していました。

 

 

しかし私も、電話を受けながら、涙が止まりませんでした。

 

 

今でもその時のことを思い出す度に涙が出ます。

おばあちゃんをもっと大事にすれば良かった。

もっと、冷静であれば良かった。

私が直接嫌なことをされたことなんてなかったのに、嫌ってごめんなさい。

 

後悔は、山のようにあります。

もっと普通の、関係でいたかった、と思います。

死んでしまったら、もう直接話すことは出来ません。

私が天に帰る日まで、待っててもらうしかありません。

 

 

おばあちゃん、ごめんね。ありがとう。

 

この言葉を心から伝えたいと思います。

 

カバー画像は、お花見の時の写真で、

右から、父、祖母、叔父、叔母です。

思い出すとほろりとしてしまうような、楽しかった思い出ですピンク音符

 

 

今日も読んでくださって、心よりありがとうございましたハート