先日、母を施設から連れ出した時、
これを頂きに郵便局に行ったように思います。

私の祖父が、ハルピンで戦死し
でも曽祖父はガンとして息子の死を認めようとせず。
随分長い間、「よく探せ。」
と弔慰金も受け取らなかったそうです。

祖父の遺体は、今も見つかっていません。



現在、母が弔慰金を頂いており、

高野山での供養会に参加するための旅費やら

にあてていたと聞きました。


半ボケとなった母には、

郵便局で行う処理が難しくなっており、

第一、コロナ軟禁されて8ヶ月の状態では、

換金もできません。


今回より、振り込みに変更しました。

国債を現金化するのは母の毎年の儀式 

でしたが衰えには勝てません。


私の祖母=母の母は、

満州から内地に帰り母を産み、

満州に帰ることなく亡くなったので

特別弔慰金は、会ったこともない父親からの

毎年の便りのように思っていたことでしょう。


30年近く前の中国東北部旅行で

供養の日本酒をふりかけながら、

気丈な母の涙を初めて見ました。




戦後77年経っても、地道に遺族へのフォローをしている国には大したものだ。有難い。

と素直に思います。


満洲国の軍人だったことで、靖国神社には行けなかったけど、

国が祖父のことを考えてくれているんだ。

と思えることがありがたい。


これから先、

新たな弔慰金を出すようなことが起こらぬよう。

それどころか日本国が無くなって、弔慰金すら出せないような悲劇が起こらぬよう。


一人一人が目覚めないとだめた。

明治維新レベルの激変をする時だ。

と、個人的には思ってます。