「アンサンブルで大切にしていること」

〜一緒に演奏するときの“見えない力”について〜

 

音楽は、音だけで成り立っているわけではありません。

 

一緒に演奏するとき、

お互いの呼吸や意思が自然に表現されていると、

音楽は軽やかに流れます。

 

一方で、

気持ちや意図が表に出にくい場面では、

演奏そのものとは別のところに

エネルギーが使われることがあります。

 

その結果、

技術とは関係なく

演奏が重く感じられたり、

余裕がなくなることもあります。

 

音楽の学びでは、

「うまく弾く」ことと同じくらい、

自分の意思や感覚を

少しずつ外に出していくことも大切です。

 

それが、

一緒に演奏する相手の負担を減らし、

音楽そのものを

もっと自由にしてくれます。

 

 

 

レッスンの場も、そうですね☺️

 

 

これは感情論ではなく、

日々の(各)現場で何度も立ち止まらされる、

構造的な違和感についての話です。

 

・家庭には、家庭としての運用がある

・社会には、社会としての運用がある

 

・家庭で補うべきことを、外部に持ち出すのはおかしい

・信頼がないまま、線だけを切るのもおかしい

・補う責任を、突然子どもに渡すのはアウト

・まず必要なのは、「ごめんなさい」だろう

 

本人が、自分の仕事を正確に認識できていない段階では、

健全な話し合いの場は成立しない。

 

これは対立の話ではない。

話し合いが成立するための前提条件の話だ。

 

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子どもは、

親を信頼しようとする。

親を愛そうとする。

 

それは、特別な事情がなくても立ち上がる、

ごく普遍的な在り方だ。

 

だからこそ、

その信頼が引き受けられないまま切り捨てられる構造に、

子どもたちの魂の響きが止められてしまう場面には

本当に胸が痛い。

 

子どもは、子どもたちは、

親の未解決を背負うために

生まれてきたわけじゃない。

 

そう思う。

 

 

【こどもたちむけに、置いている本】

 

先日、吹奏楽部に入った男の子に

「先生、ピアノを貸してる(※生徒たちに弾かせてるの意)ってすごいですね」

「自分も雑に扱ったところあったかもしれません、」

 

っていわれた場面がありました

 

こどもたちには、人様のモノをお借りすることや

そのとき、どのようにとり扱うかということも

やりとりも含めて

学んで(練習してほしい)と思って、

ずっと、開講当初からそのスタンスでやってきた

 

間違ってしまったことがあったら、

親御さんにそういうとき、どのような姿勢を見せるかをお子さんにお手本を見せてほしいと思って、やってきた

 

技術や技能はもちろん必要。

さらに、楽器を習うことを通じて、何を身につけるかは

本当に、文化を愛する子どもたちが育つのに

とても大切なことだと感じてきたから

そこには、時間への敬意、生命へのおもいがある

家庭でそのような機会に恵まれていたことに感謝しかない

「ことば、は世界を 理解していくためのもの

そして、それは 

感受が先にあるから、その言葉になる 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

©️Mariko Ogawa, 2025

美しくないものは

美しくない。


ただ、

それだけ

なのだ。