5月13日 17時


母が向かいの病室に運ばれて来た。


1年振りの再会


なんだかまた痩せて小さくなってる


「おばあちゃん、私。わかる?

   ここに居るから安心して。

   大丈夫やから」


目はあいてるけど、反応は薄い



かなりの重症

出来る限りの治療は致しますと言われる。



こんな事ってあるだろうか…


コロナ患者は絶対に面会が出来ない


このまま亡くなったりしたら

一度も会えずに

白い箱になって戻って来る


それが

私は母に

特に防護服を着るわけでもなく

病院のパジャマのまま

自分の病室と母の病室を行き来している



たまたま

同じ時期にコロナ陽性になって


たまたま

空きの出た病院が一緒で入院


たまたま

病室が向かい同士


母の執念か

父の配慮か

不謹慎だが笑えた


長男である兄は1年半前に会ったきりだ


兄が母に会えるとしたら

最期を迎え

保護シートに包まれた母に

防護服を着て少し離れてならお別れ出来るそうだ


遠方に住んでいる長男には難しい


私が側にいるから

おばあちゃん一人ちゃうし

ちゃんと見届けるから


兄も頼むわと、諦めた



5月15()

看護師さんから

今晩辺りが山なので

準備するよう言われる。


写真と動画を撮る。

兄に送った。




コロナ患者を受け入れてくれる

葬儀屋も限られるらしい。

ベルコさんなら受けてくれると

病院から教えてもらう。



母は互助会の会員だし

父の時もベルコだったので

その時の担当者さんの携帯へ電話するが出ない。


ベルコより電話。

前の担当者じゃなかった。辞めたんかな?

連絡先電話番号を教えてもらってかけ直す。




コロナ患者の場合


ベルコ会員特典は使用出来ない。

(後日解約もしくは名義変更)


コロナ患者用料金がある。

具体的な金額まで提示される。


保護シートに入れた状態になれば

病院にお迎えに伺います。


通夜、葬儀は行えません。


火葬までの間は、施設内等入れませんので

車内にて安置となります。


亡くなった時の連絡先を教えてもらう。




5月16()

ほとんど眠れなかった。


「おばあちゃん、私!わかる?」

母が私を見る。


手を少し上げて探す。

手を握り、頬に手を当てる。

「ここに居るから、安心して」

「大丈夫やから」


母がう〜っと応えた。


私が居る事を理解していると確信した。



その夜

おばあちゃん、一緒に帰ろう

もう頑張らんでいいから

一緒に帰ろう


それだけを願った

母の様子を見て

これ以上、回復に向かうとは

素人の私が見ても無理だと感じる



多分、明日の月曜には

私は退院出来るだろう。

とにかく退院しないと

母が先に亡くなったら

何も出来ない



5月17()

私が午後より退院が決まる。

退院前に亡くならないで欲しいという願いは叶う。


血中酸素濃度60

長くて今晩と説明を受ける。

出来るだけ苦しく無いようにしますが

その処置が早める事になるかもしれません

と言われる。


少しの時間より、母が少しでも楽な方が良い。




「おばあちゃん、もう頑張らんで良いから。

一緒に帰るよ。一緒に帰るんやで」


そう声を掛けて、退院した。




私も10日振りの自宅。


父にお願いする。

「おじいちゃん

 早よばあちゃん迎えに行ったってや」



517日 1635分 母 永眠


お母ちゃん

ちゃんと私と一緒に帰って来てくれたね




ベルコさんが病院と段取りを話し

21時頃、病院へお迎えに行きます。

その後、火葬までの間は車中にて安置。



私の住んでいる市の場合

コロナ患者の火葬は12件まで。

翌日は空いてなかった


5月18日 9時

ベルコさんに出向く。


余りの体力の無さに驚く。

普通に歩く事も息が上がって出来ない。

フラフラ状態だ


今後の流れの説明を受ける。

書類の作成


519()15時半に火葬の予約が取れました。


御見送りされますか?


フロア内にて立ち会うだけらしい。


退院したばかりの私の様子を見て

葬儀屋さんが全て私共で

させて頂きますよと

言ってもらえて、お願いする事にした。


全ての業務が終了となり

18時頃、火葬場職員にてお骨上げを致します。

お骨は19時頃、葬儀屋にてお渡し致します。

その時に精算。


遺影もお位牌も無い。

戒名は?

早くそれだけは準備したいと思った。


遺影はカメラのキタムラで簡単に出来た。

仕上がりはイマイチで

後日プレミアム仕立てにして作り直しても良いか。



戒名とお位牌

成福院さんにお願いするが

このコロナ対応は本当にイレギュラーで

お寺としても例が無い。


枕経、お通夜、葬儀 無し


式たりとか作法とか良くわからない


戒名も、はいどうぞと言う訳にはいかないらしい


御住職にご相談し

21日に纏めて儀式を執り行って頂くことになる。



5月19日

小さな箱に入った母

何も携わらないと、こうも実感が湧かないもので、何かそれは母では無くて、ただの白い箱だ。


本当に何も出来なくて

せめてお花だけでも沢山お供えしようと思った。

ファレットフルールさんに生花アレンジお願する。





おばあちゃん

お帰り




私は泣かないだろうと思っていた

本当に色んな事があった


あーちゃんの事が無ければ

この人は元気に過ごしていたんじゃないかと

思える。


行動派でフットワークも軽く

施設に傾聴ボランティアに行ったり

食事のお手伝いにも行っていた。


しっかりしてて

ご近所さんからも

頼られていた


同居と同時に母は変わった



17日の深夜

布団に入ってから


おじいちゃん

私、約束守れたかな?


父の最期を迎える時

「おばあちゃんの事は任せといて!

  安心して!」

それを聞いて、父はニコッと笑って

旅立った。




ねぇ、お父ちゃん

私は約束守ったよね?


涙がスーッと頬を伝って落ちた




ご苦労さん

よぅやってくれたな


そう言ってくれたやろか