キヤノン争議の勝利的和解を引き出した力

弁護士 萩尾健太(渋谷共同法律事務所)


1、都労委と裁判と運動を並行した力

私がキヤノン非正規労働者組合の件で相談を受けたのは20087月頃だっただろうか。

若い組合員に対応する同世代の弁護士で弁護団を結成し、まずM組合員の雇い止め撤回の仮処分申立をした。次に、検討の末、組合は組合員の正社員取扱い等を求めて2008年12月に都労委に不当労働行為救済命令申立てをした。

さらに、2009年6月、パナソニックPDP争議の吉岡さんの大阪高裁勝利判決を力に、組合員5名が東京地裁の正社員の地位確認訴訟を起こした。すると、9月に報復的に「雇い止め」=解雇された。その撤回と正社員化を求めて組合員らは闘ってきた。

都労委で第一に主張した不当労働行為は、キヤノンが組合員を嫌悪して正社員としなかったことである。しかし、これは全社的な制度によるものだ、とのキヤノンの主張を打ち破るには弱かった。他方で、裁判ではパナソニックPDP争議高裁判決も有期雇用での地位確認を認めただけで、それも最高裁では逆転敗訴となった。このように法的には労働委員会でも裁判でも弱点を抱えていた。

しかし、東京地裁では栃木労働局の調査の文書提出命令を勝ち取り、それによって偽装請負の実態を明るみにしたことは重要であった。都労委では組合員らや会社担当者らの1年に亘る尋問によって、不誠実団交や正社員登用試験で組合員を不合格とした不利益取扱などの不当労働行為を立証した。こうした立証をクロスオーバーさせそれぞれの手続で補い合った。2つの手続を並行させるのは大変だったが、それが勝利和解への道を開いた。

また、組合は解雇後も阿久津委員長中心に団結し励ましあい、闘い続けた。社前行動を重ね、株主総会で阿久津委員長は御手洗会長に争議解決を求める質問をぶつけた。労働組合の上部団体の枠を越えてキヤノンに対し総行動が取り組まれ、「支える会」に支えられて全国での抗議行動も行われた。韓国の非正規労働者との国際連帯も築かれた。この運動の力が勝利和解に結びついた。


2、和解交渉では裁判所、都労委の限界を運動で突破

2012年4月、審問を終えた後、都労委が和解を勧告した。後で労働者側委員に聞いたところでは、正社員登用試験での不当労働行為について都労委は一定の心証があり、それがキヤノンに影響を及ぼしたようである。

この勧告を受けた直接交渉で、キヤノンは、関連会社での2名の正社員雇用は認めたものの、低い解決金で責任を逃れようとしていた。組合はキヤノンの偽装請負と組合員に対する不当労働行為・不当解雇の責任をふまえた公正な解決を求めてきた。しかし、都労委は「双方の主張に開きがある」と言って双方に歩み寄りを求めるだけで、それ以上動こうとしなかった。

和解交渉の大詰めでは、キヤノンは裁判所に和解案を求め、裁判所は「判決では絶対ここまでの金額はでない」和解案だとして組合に押し付けようとした。2012年11月、組合と弁護団は、キヤノンとの事務折衝後、会場近くのファーストフード店で討議し、団体署名、学者・法律家・文化人の共同アピール、キヤノン本社のある下丸子での大集会などを行い、運動で突破する方針を打ち出したのだった。団体署名は800集め、共同アピール、集会も成功させて臨んだ12月20日の都労委調査期日、裁判所を上回る案を都労委に出させたことは痛快であった。都労委の場で、キヤノンに責任を認めさせた2名の正社員雇用を勝ち取り、会社の意見表明を得て勝利和解した。労働委員会が最後になってようやく団結権擁護機関としての面目を発揮した。


3、争議勝利と今後の展望

解雇後、被解雇者5名は新たな職場での低劣な労働条件に苦しみ、家族との関係も容易ではなかったと聞いている。私も何度か相談も受けた。そのうえ、大震災でも被災し、1は過重労働の中で重い病となり、和解の場に出席することもできなかった。その点で、キヤノンは呪わしいが、そうした苦労を乗り越えてこの争議が解決に至ったことは本当にうれしい。

ただし、キヤノンが提示した雇用先が被解雇者らにとって転居の必要な地域であり、多くが雇用に応じられなかったことは悔しい結果である。

大事なのは、極めて減少させられたといえ、組合が残ったことである。今後も組合は、現在の組合員の要求実現や、今後予想されるキヤノングループ内でのリストラや、すでに寄せられている社員の方々からの相談の受け皿として、組合は労働者の権利を守る活動を強化していく方向であると聞いている。

自民党政権に逆戻りし、労働者を取り巻く状況は厳しいが、このキヤノン争議の勝利を語り広げ、反転攻勢の一助としたい。