こんにちは。
昨日はいいことがありました。
友人と大学でお酒を飲んだんです。
楽しいひとときでした。
いろいろな話をしました。
大学に入ったばかりの頃の話、共通の友人の話、それから恋の話も。
その人は自分から人を好きになったことがないらしく、前の恋人とも『好きの大きさが全然違う。相手の大きさに俺は多分もう追いつけない』から別れを切り出したほどで。
好きな子見つけるの諦めたら?付き合ってからゆっくり好きになる恋愛もあるんじゃない?と言うと
『いやだよ。
俺、恋したいし。
本気でひとを好きになりたいもの。』
どきっとしてしまいました。
なんていぢらしくロマンチックなんでしょう!
わたしはこの不器用な友人がよりいっそう好きになりました。
というわけで、今日は恋にまつわる詩集のお話をしたいと思います。
“すみれの花の砂糖づけ”
江國香織の詩集です。
彼女は、「きらきらひかる」で紫式部賞、「号泣する準備はできていた」で直木賞など、さまざまな文学賞を受賞している小説家ですね。
わたしの一番好きな作家さんでもあります。
そしてこの“すみれの花の砂糖づけ”は江國香織のエッセンスがふんだんに散りばめられて作品です。
女性らしい感性とやわらかで、ときにはどぎまぎするほど真っ直ぐな言葉で、詩の中の世界にぎゅっと引き込まれてしまいます。
そんな詩集の中から、いくつか詩を紹介したいと思います。
‘カミングホーム’
そうして私はおうちに帰る
夜中のタクシーの窓をすこしあけて
遊びつかれて
キスもたりて
情熱の言葉をあびて
胸の中だけがからっぽのままで
‘エペルネーのホテルの部屋で’
エペルネーのホテルの部屋で
鳥たちの声のなかで目覚め
窓をあけ
私は、ホーム、とつぶやいた
私はホームごと旅をしている
あなたごと
私の帰る場所ごと
すみれの花の砂糖づけという詩集の中には、繊細で多感な女の子がいます。
繊細で多感で、しかしありふれた女の子が。
そういえば、ここ数年「ー女子」という言葉をよく聞きます。
二十歳や三十路を越えて「女子」なんて。という声も聞こえてきますが、あれは彼女たち自身を指す言葉ではなく、彼女達の中にいる少女を表しているのでは。とふと思いました。
女の人というものは、いくつになっても心の何処かに女の子が住んでいるのだと思います。意地っ張りで傷つきやすい世間知らずの女の子。
その女の子が、時にわたしたちの心を占拠してしまうのです。
そのおかげで、コントロールできない気持ちに振り回されたり、急に悲しくなったりするのではないかなと。
恋は、私たちの中のちいさな女の子が連れてくるのかもしれません。
さて、恋を想うとき、わたしはこの本を開きます。
自分は弱く、ちっぽけで取るに足らないと思った時、この本はわたしに勇気をくれるのです。
恋というものは弱く、ちっぽけで取るに足らなくても、それでも美しいものだと、そっと耳打ちしてくれるような気がします。
たとえば、会えない日が続いた時
たとえば、失った相手が忘れられない時
たとえば、恋にのめり込む自分が情けなくなった時
たとえば、恋を忘れかけてしまった時
この本はきっとあなたに何かを教えてくれる、そんな気がします。
かのー