心屋仁之助さん好きですけど・・・。

 

善悪考えていたらやりたいことのほとんどできなくなるってのはその通りだと思います。

でも、人は「やりたいことやるために生まれてくる」わけではないと思います。

この先は唯物論者には理解不能な話なのでスルーしてください。

 

人間は生まれる前に何をするかある程度決めてくるといわれています。

それを達成するという意味でのやりたいことをやるは当然OKです。

ところが、肉を持ってしまったがために発生する欲求があります。

 

今回の性欲もその一つです。

生まれる前に、「今度生まれ変わったら思いっきりセックスするぞ!」

という人生目標を計画する人がいるとは思えません。

 

受肉することによって発生する肉欲に振り回されることなく、

人としての理性でコントロールしながら本来の目的を達成することに人生の意味があります。

 

性欲が一般の人以上に強い人は、前世それで失敗して色情地獄から這い上がり

今度は性欲に振り回されることなく生きようと計画してるかもしれません。

しかし、生まれる前の記憶をみんな無くして生きているので、

魂の傾向性、例えば性欲が抑えられないなどの偽我の欲求をを自分のやりたいことだと

勘違いして行っている人もいるように思います。

 

真我はいったい何を望んでいるのか?

やりたいこと、善悪を人間心だけで判断せず、

その欲求は神の目から見ても正しいのか?

という意識が必要だと思います。

本当の神の考えなど理解できるものではありませんが、

それを推し量りながら生きることで少しずつでも近づけるものと信じます。

そのために古来より宗教という基準があるのではないでしょうか。