スピリチュアルや宗教の話をしていると、
必ず質問される内容があります。

そのひとつに、”悪の存在”についてです。

神さまが存在するなら、
なぜ「イスラム国(IS)」のような
テロリスト集団が存在するのか?

こういう疑問が出るのはもっともだと思います。


先日も日本の多摩川河川敷において、
未成年による「イスラム国(IS)」以上に残忍な殺人事件が起きました。

遺族の方や、亡くなられた少年の友人にすれば
「神も仏もない!」
と思うっても当然だと思います。


神さまは悪を作ったのか?



神さまが、世界、人間を創ったのなら、
悪もまた神さまがつくったのではないか。

そういう疑問が起きます。

しかし、私は神さまは悪をつくていないと思っています。


神さまが人間に与えたのは「自由」です。
そう、何を信じ、何を行動するか自由なんです。

人殺しをしようとしたら体に激痛が走り
行動に移せないということはありません。


神さまは、与えられた自由の中で
より神に近きものを選べるようになることを
気長に待っているのだと思います。

だから自分の親である神の存在を否定する人も
消滅することなく生かされています。

もし
「私には親はいません。強いていいえば類人猿かもしれません」
と本気で言っている人を見たらどう思いますか?
素晴らしい見識のある人だと尊敬しますか?

神さまがいないと発言している人は
ある意味ではこれと同じようなものです。


閑話休題。

話が反れました。


神さまが悪をつくったわけではありません。
悪魔のサタンですらそうです。

サタンは自らの嫉妬心によって心に曇りを作り
天上界に帰れなくなり悪魔となったのです。


善も悪も自由に選べる世界で、
あなたは善きものを選んで生きることができますか?

そういう学習の場としてのこの世があると思います。


悪とは何か?



悪というものは、
世界に自分一人しか存在しなければ発生しません。

人殺しも、盗みもできませんから。

悪は、人と人の自由意志がぶつかったときにできる軋轢です。

その自由を発揮する人・時・所を違えることにより
悪と呼ばれることになります。

よくいわれる例は人殺しです。

戦で多くを殺せば武功になりますが、
町中でたくさんの人を殺せばただの殺人鬼です。


「イスラム国(IS)」にすれば、イラク戦争で大量破壊兵器が無いにも関わらず
アメリカは空爆をし一般市民を殺害し、フセイン大統領も殺しました。

その過ちについて欧米諸国は謝罪も反省もしていません。

これは先の大戦でアメリカが日本に原爆を落として
民間人の大量虐殺を行いながら謝罪していないのも同じです。

それに対するイスラム圏の恨みがあります。

キリスト教の正義が絶対なのか?
ということです。


グローバル社会となった現代のワールドジャスティスは何か?
何を選ぶのかということが問われているのだと思います。