初めての百人一首での遊びは、お約束の、坊主めくり。

字が読めなくても遊べるから。

もう少し大きくなると、下の句だけを読んでもらって

普通のカルタと同じように札を取る遊び方。

ひらがなさえ読めれば、できる遊び方です。

「本当は、上の句から読むものだけど、まだ(おまえたちは)小さいからね。」

祖母や母のことばを聞きながら、そんなのはずっと先だと思っていました。



しかし、文学少女の姉のせいで

思いのほか早く「そんなの」が実現してしまいました。

何歳のときだったのか、記憶は定かではありません。

とにかく、百人一首に夢中になっている姉を見た祖母と母が

上の句から読むことにしようと決めたのでした。

結果は、姉の一人勝ち。

上の句が読み終わらないうちに、バンバン札を取っていく姉を

姉ちゃんすげぇよと

呆然となす術もなく、指をくわえて見ているだけの私でした。



姉は、中学生のときに、担任の先生(数学担当)をして

「数学が合わない体質なのだから、今のままで充分です。」

とまで言わしめたほど、大の数学嫌いで

そっち系が苦手なぶん、すべてのエネルギーがただ一点に集中していた

筋金入りの文学少女でした。

そんな姉にとって、百人一首の奏でる世界に入り込むのは

ごく自然なことだったようです。

「壮大な世界観が」どうこうとか、「切ない心情が」なんたらとか。

お経か?呪文か?はたまた暗号か?としか思えない歌を相手に

どこをどうひねれば、そんなコメントが出てくるのか。

大人たちに混じって、百人一首談義に花を咲かせる姉を横目で見ながら

私ひとり入って行けない疎外感ときたら…

かといって、覚える気にもじっくりと味わってみる気にもなれず

ああ私、こういうの一生無理だわ

ということで、自分で自分を見限ったのでした。



その後、百人一首に断片的に触れる機会はありましたが

聞いたことがあるなあと思ったり、あのときの疎外感を思い出したり

うろ覚えだった歌は、こんな意味だったのか、と思ってみたりする程度で

それ以上深く関わることはありませんでした。



そして、長い時を経て、今度は娘が百人一首で遊ぶようになりました。

母親という立場上、読み手になる機会が増えます。

読み上げていると、上の句から下の句までの全体が

なんとなく心に響くし、わりとすんなり覚えらるのです。

おかげで、アレもできるようになりました。

上の句が終わらないうちに「はいっ!」と札を取る、念願のアレです。

思っていたよりは、親しみやすいものでした。



娘と遊びながら、気がついたことがあります。

疎外感を覚えつつもずっとずっと

私は、百人一首と仲良くなりたかったのでした。

手が届かないと絶望しながらも、あこがれていたのだと思います。

長い回り道の末、やっと再会してハッピーエンド

といったところでしょうか。

せっかくの再会ですので

これからも、末永く楽しく付きあって行きたい思います。