かつて、学生時代に私は、友人に
雑学王と言われていた。
とかく読書やオカルトが好きな私はたぶん無駄であろう知識をそこそこもっていた。
母には、勉強をしなさい。宿題はしたの?と毎日言われたが
とうの私は、さっぱり言いつけを守らず過ごした。
すぐしたの妹は、活発で愛らしく元気があり子供らしくいつも近所のチビッ子軍団に紛れて真っ黒になりながら健康的に外遊びに励んでいたが私は、外が嫌いでいつも家の中で一人遊びだ。
その証拠に、小さい頃の写真を見ると妹は、表情が豊かでどの写真を見てもかわいく、私は、ぶっちょ面である。
まさに、オタクな子供であった。
そんな私の雑学でも、やっと役にたつ日が最近訪れた。
ホームに住むお爺さん。
非常にデリケートで日々様子が変わって見える。そこには
様々な要因が孕んでいるから一見して難解に見える。
しかし、多角的角度から見てみるとじつに、多くの興味深い理由が見えてくる。
そこに、思いもよらない事実がありその発見には、自分が蓄えてきたあの雑学がヒントになる。
まさかの展開だ。
仲間たちに話して見るとみんな面白がって聞いてくれる。
勉強も運動も出来なかった自分がこんなとこで役にたてるなんて
嬉しい。
お爺さんの役にたてればもっと嬉しい。
雑学は、知って楽しく
使えて、楽しく。
はみ出しものにしか味わえない
密やかな楽しみ方です。
型にはまった物の見方を捨て去ると世界はもっと広がり楽しくなる。
お父さんとお母さんには悪いけど、
奈良美智の描くあの子供達みたいな顔つきの少女時代を過ごしてよかったな。と思う今日この頃。
空が蒼い事は、嫌いじゃないが、
曇り空の方がもっと好きだ。
なぜなら、その後に空が色づいたときに、空の蒼さが一段と尊いものに感じられるから。
物事は、すべてに理由がある。
そこを知ろうとしなければ本当の姿などわからないのだ。
物事を、半分しかみないのは
実にもったいない。
雨が降ることに感謝をしよう。