いくら話しても、話しても、結局行き着く先は

「生きるか」

「生きることをやめるか」

この二者択一だけ。


でも

私だから、普通にこの話聞いてるけど

病名の責任も・・・責任を持ってくれようともしていないのに?


生きるかどうかの選択を、迫ってくるって・・・


ものすごく酷なんじゃないのかなあしょぼん

自分の医師としての決断は逃げ道を作ってるのに

私には

究極の決断をを迫ってくる。


きちんとした裁判もうけずに、刑が確定したような・・・理不尽さ。



こんなことも言ってたっけ。

「あなたが生きたいと思うなら、それが成し遂げられるように、環境を整えていくことからはじまります。確かに地域によって格差はあるので、その体制が整うように支援します。」

「その体制が整えられなくて、在宅で過ごすことが困難な状態なら、体制が整うまで入院して待てばいいんです。安心して、家に帰れると思うようになるまで・・・時間をかけて、準備することが出来ます」

「なかなか整わなくて、何ヶ月、何年とかかることもありますが、安心して帰れるまで、そうやって整えていくことはできます」


「今の時代、家族に全部介護を頼れるほど、大家族の人なんていないでしょう。むしろ、家族を頼れない人の方が多いです。だから、いろんな人たちが支援をしてくれる制度があるんです」

「だから、あなたが生きたいと思えば、同居家族の数は問題ではありません」


・・・

理想だよね。

私だって、家族に頼りたくない。


他人の・・・プロがいい。

それが、患者自身の自立に繋がると思うから。


この、介護や在宅支援の考え方だけは、先生と合うのにな。

とことん、追求していけそうなのにな。

いくらでも、開拓していけそうなのにな。


そのためになら、いくらでも協力したいのにな。


残念です。


だって、このお話をしたくても、私はその・・・語る資格がないんだもの。

ううん、語る資格があるから、話をされてるんだろうけど、私にも、私の中の筋道が・・・それを追求しなきゃ先にすすめないから

だから、そんなに簡単に、その選択に答えるわけにはいかないよ。

そこは、私の意地。

先生は、申請できるまでは、自費なのでお金がかかりますが・・・それだけのことで、治療も、進行を止める薬もないし、早く確定するということは、それだけ病気の進行が早いということだから、本当は確定はしないほうがいいんです。
でも、その病気だということを考えて、準備しましょうと。

私はその準備って

今のこの状態を何とか少しでも保てないかとか、そんな、悪あがきができないかとか

思ってたけど

先生の中ではそうじゃないんだよね。

先生のいう準備は



① 今のうちに胃に穴を開けて胃ろう作っておきましょう

② 気管切開して、人工呼吸器をつけて、生きることを選ぶか決めておいてください


この2つに絞られてるんだね。

大きく捉えれば、確かにシンプルでいい考え方かもね。


でも、人の心はそんなにシンプルじゃないよ。


・・・また・・・続きますm(_ _ )m