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人生ストーリー【不良になる?・・】

 

 

不良ぶる・・

 

LCS-440 なめ猫 学ラン03 なめ猫ダイカットビニールステッカー ステッカー

※なめんなよ!(なめ猫)

 

 

ある意味優等生のようなストーリーをずっとお伝えしていますが、実はかなり不良のように過ごした時期がありました。

 

"不良のように"というのも変な表現ですが、完全に不良になるわけではなく、ちょっとづつ不良的な要素を取り入れるというか、不良ぶるという感じでした。

 

きっと遅めの反抗期のようなものだったと思います。

 

 

ちなみに高校は規則が厳しわけではありませんでした。

 

規制するようなことをする生徒はほとんどいなかったので、規則を厳しくする必要がなかったのです。

 

そんな中でまず形から変えたのが、制服であるズボンをダブダブのズボンにします。

 

不良の定番(だと自分では思っていた)であるツータックの入ったものをこっそり購入していきなり履きだします。

 

 

未使用♪当時物 極太ドカン 変形学生服/ボンタン/タック/今日から俺は/特攻服/制服/短ラン/長ラン/特注/刺繍/ヤンキー/暴走族/応援団

※こんなイメージですね。

 

 

最初に履いて学校に行ったときは内心かなりドキドキものでしたが、周りから見たら何食わぬ顔で普通に見えていたと思います。

 

 

 

この辺りは私の得意ワザの一つで、自分の中では水鳥作戦と呼んでいます。

 

水鳥のように水面では平気な顔をしていますが、水の中では必死に漕いでいる状態です。

 

この特技はその後も活用していますが、功罪があります。

 

苦しい状況でも平気そうに振舞うのでいつも余裕があるように見られます。

 

逆に人から心配されたり、厳しい状況で声をかけてもらえることがあまりありません。

 

自分を鍛えるにはいいですが、本当に苦しいときはかなり必死で対応しています。

 

 

※水鳥作戦。平気そうに泳いでいますが、水の中は必死です。

 

 

 

さて、高校時代に戻りましょう。

 

そんな格好をしていたので、ある日、街で本物(笑)の不良高校の生徒に絡まれかけたことがありました。

 

その時は、威勢のいい言葉を"小さく"つぶやきながら、自分の中ではなんとか格好をつけつつ、その場をなんとか逃れることができました。

 

意外と後先考えない無鉄砲なところがある一方で、うまく収めることも考えている部分があります。

 

 

これまでは比較的"いい子"で過ごしてきましたが、このままでいいのかと何か悶々とした、鬱積した気持ちがありました。

 

今考えるとアホらしいのですが、太陽には負けないと、太陽を睨み付けることもやっていました。

 

バカバカしいほどの正義感や熱血漢の要素がある反面、不良的な要素も自分の中にはいつもあります。

 

 

 

そう言えば、この頃、進学校には珍しかったのですが、1週間くらいの停学処分を受けたことがあります。

 

停学なんてなかなかできない経験ですよね。

 

その処分の原因は本当に情けないし、恥ずべきことでしたが、その当時、周りの友人は誰もその理由を知らなかったので何をしたのかという質問攻めを楽しんでいたりしました。

 

 

実はいまだにその理由を、ほとんど誰も知りません。

 

ことさら隠したいわけではありませんが、今さら話すことでもないので、結局お蔵入りさせることにします。

 

 

どうしても聞きたい方は直接ご質問くださいね。

 

 

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人生ストーリー 【教師への思い】

教師への思い・・


※なぜか、先生ってこんなかばんのイメージがありますよね。

 


高校では途中から理系と文系に分かれることになりますが、

私は、当然、理系を志望することになります。

これまでにもご紹介したように小さな頃から

何か新しいものを工作したり、電気いじりが好きだったため

自然に志望しました。

はっきりとした記憶ではありませんが、子供の頃からの延長で

この当時もまだ科学者になりたいと思っていた気がします。


※科学者というとアインシュタインさんをイメージします。

 


科学者なんて今の私を知っている人からしたら、

想像できないかもしれませんね。

え、今もそんな雰囲気がある?

そうだと嬉しいです(笑)

そんな状況で理系に進みますが、

実はそれとは並行して教師を目指したいという思いが強くなったり、

敬遠してしまう気持ちが交差している自分がいました。

父親が教師ということで、

その同僚でもある自分の学校の先生の酔っ払う姿や

人間的に弱い状態を見ていたことは以前にもお伝えしました。

そのため、教師という仕事はなんとなく敬遠していましたが、

学園ドラマなどの影響や、自分の中にある教師もやりたいという

自然な気持ちが時々出てきていました。

人を育てる、その人の人生に影響を与える、

そんなことができたら凄いなという思いがありました。


ちょっと余談ですが、今でもはっきりと覚えている

ある先生からもらった言葉あります。


時間を少し戻しましょう。

中学校を卒業する時の話です。

私の担任ではないのですが、

とてもユニークな先生がいらっしゃいました。



※顔は全然似ていませんが、なんとなく雰囲気は似ています。

 

 

 

全然細かなことは言わず、

かといって親しみが持てるタイプでもありませんでしたが、

何かぼそっと核心をついた言葉を話してくれるそんな先生でした。

その先生が私が卒業する時に他には何も言ってくれませんでしたが、

一言だけボソッと言ってくれたメッセージがあります。

 

加納は全力を出せよ。
 

不思議にこのメッセージをずっと覚えています。

どこか自分に余力を残していることを見透かされた気がしましたし、

もっとできるんだから頑張れという応援のようにも感じました。


そんな先生との出会いもあり、

この教師を目指したいという気持ちは

大学時代や社会人になってもいろいろな形で出て来ていました。

それは教師という形でなくても、

人に教えることや教育界に関わることへの思いとして

常に心のどこかにあります。

そう言えば、会社員時代にもよく、

教育界には俺が必要だったと

偉そうに豪語していたことを思い出しました。

ちなみに起業してからの主な活動となるコンサルティングや

コーチングを通じて、この人を育てる、伝えるという気持ちは

一部満たされた感覚がありました。

さらに数年前に自らのビジネススクールであり、生き方塾でもある、

【喜び稼ぎ塾】というスクールを開講したことで、

その思いは少しづつ実現されてきているとも言えます。

そうは言っても、いまだに大学や高校などで教えることは

憧れていますし、勝手ではありますが、

これからの教育界を良くしたいという思いはずっと持っています。
 

 

 

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人生ストーリー 【田舎で変わり者と呼ばれる暴挙に】

 

 

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愛知県の三河地方の山奥ではありますが、

 

紅葉の名所であり自然環境のとても良い中で

スクスクと素直に育っていきます。

 

そして、中学を卒業しいよいよ高校に進むことになります。

 

 

進学校に通う・・・

 

私が通うことになった高校は

徳川家康の出身地ということで有名な岡崎市にありました。

 

そしてこの高校は三河地方では有数の進学校でした。

 

ちなみに愛知県は三河地方と尾張地方では行ける高校が違うという制度です。

 

同じ県の中でこういう制度はかなり珍しいのではないでしょうか。

 

この愛知県の中での、”三河”と”尾張”の戦い(?)は、

その後もいろいろなところで影響を受けていくことになります。

※こんな高校でした(高校のHPより)

 

 

 

さらに、当時は学校群という珍しい?受験制度でした。

 

今はもうなくなったと聞いていますが、

試験に合格した生徒は岡崎にある2つの高校に対して、

順番に割り振られる形でした。

 

つまり我々にはどちらの高校に行くかをを選ぶことができないんです。

 

一つは昔からの伝統校で、制服はブレザーです。

 

もう一つはやや新興の高校で制服は学生服でした。

 

自分の中でのイメージではブレザーを着るつもりでいましたが、

結果は学生服の高校に割り振られます。

 

 

そんな岡崎市の高校にはバスで1時間もかかるため、

朝早くからバスに乗り込んで通うことになります。

 

この1時間は結構、貴重で試験の日は直前勉強になりますし、

いつも同じバスで一緒に通う友だちとは

いろいろな話をすることもできました。

 

※グランドを望む。結構立派な高校でした。(高校HPより)

 

 

田舎で暴挙に出てちょっとした有名人に・・

 

バスで一時間といっても相当な標高差だったため、

普通、自転車で通うような生徒はいないのですが、

そんなことをしたら何か面白そうだと思いたち、

突然、自転車で通学を始めるという暴挙に出ます。

 

※分かりづらいですが、現在のバス路線図です。(名鉄HPより)

 右の方にあるオレンジ色の路線で、

 足助という町から岡崎市まで通っていました。

 

 

 

行きは下りなので、下手をするとバスよりも早く着くくらいでしたが、

逆に帰り道は上りになるので1時間半以上はかかります。

 

しかも部活を終わって疲れているし、

夜になると田舎なので辺りは真っ暗な中を、

一人で自転車で通うのは結構きつかった思い出があります。

 

当然そんなことをする人はいないので、

田舎ではあいつは変わり者だとすっかり有名になったことありました。

 

当時から何かそんな変わったことがしたいという願望があったんですね。

 

それは何か面白いことに挑戦したいという気持ちでもあり、

また、あいつは変わっているねと言われることが悪口に聞こえないというより、

むしろそう言われたい気持ちがあった気がします。

 

そして、一度やり始めるとキツくてもやり続けたというか、

すぐに止めるともう止めたのかと言われることが悔しくて、

結構長いこと続けていました。

 

 

この辺りの気質は今もしっかりと受け継がれています。

 

 

 

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人生ストーリー 【中学時代】


このところ人生の振り返りを連続して掲載していますので、

ブログ上では人生ストーリが並んでいます。

完全に自己満足ではありますが、

書き出すといろいろと思い出してきて懐かしいなあと思ったり、

結局、今も全然変わっていないなあと気づいたり、

とても貴重な振り返りになっています。

これをお読みの方もぜひ人生の振り返りをしてみることをお勧めします。


※その当時、購入した時計。今も現役です。



生意気にも先生の誘いを断る・・

以前もお伝えしたように小学校では剣道をやりましたが、

中学に入るときっぱり辞めてバレーボールを始めます。

剣道部の先生が私が剣道をやっていたことを聞きつけて、

一緒に剣道をやらないかと勧めてくれましたが、

いや私はバレーをやりたいので、

と生意気に答えて断ってしまいます。

そこまでして、

なぜバレーをやりたかったのかは覚えていませんが、

やりたいことには突き進むのはここでも同じですね。


あそこで剣道をやっていたらまた違った人生になったかもしれません。

人の選択とは本当に不思議なものです。


選択と決断については私のこれからの人生にも大きな意味を持ってきます。

そのあたりは今後、改めてお伝えしていきますね。



シャイな自分と前に出たい自分が同居・・

中学ではなぜか学級委員を努めることになります。

最初は気恥ずかしい気がしましたが、

どこかに自分がやりたいという気持ちもあったと思います。

当時の私は人の前で話すと

真っ赤に赤面してしまうようなシャイな子でした。

しかし、人前に出たい、良く言えば人の役に立ちたい、

何かを成し遂げたいという志しを強く持った自分もいました。

これは今も同じで、謙虚でシャイな自分と、

ズーズーしくて目立ちたがり屋の自分が常に同居してます。



友人と過ごす日々・・

そして、兄が聞いていた音楽の影響もあり

フォークギターを弾き始めます。

学校帰りには仲良くなった友人の家に毎日のように寄っては、

ギターを弾いたり大声で歌ったりしていました。

当時はアリスとか、井上陽水とか、かぐや姫なんて良く弾いていました。

ご存知ないかもしれませんが。

 


実はその時の友人が今だに私のフェイスブックや

このブログを読んでくれていて、反応やコメントをくれています。

40年以上前のつながりが、こうやって場所が離れていても

つながっていることは凄いことだと思います。

ちなみにその友人は数年前に突然病気で倒れてしまい、

一時期はとても心配していたのですが、

持ち前の明るさと元気さで見事に復活してくれました。

我々の年代になるとあちこちにガタが来たり、

いろいろな病気と共存していくことになりますが、

いつまでも元気に過ごしていきたいものです。


BCLって・・
 

ちょっと話が逸れましたが、

ギター以外にも当時流行っていたBCLという趣味を楽しんでいました。


 

 

National Panasonic ナショナル パナソニック 松下電器産業 RF-877 クーガNo.7 BCLラジオ 3バンドレシーバー (FM/MW/SW)

※当時、大好きだったラジオ。クーガーNO.7という名前でした。

 アンテナが回るという画期的な商品。

 

 

National ナショナル RQ-585 MAC for BCL 6バンドラジオカセットレコーダー

※その後、こんなラジカセも使ってました。

 これもジャイロアンテナですね。

 


BCLを知っている人はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

日本にいながら、海外にある放送局の短波電波をキャッチして、

放送を聞きましたと手紙を出すと、その放送局から

ちょっとした記念品やレターをもらえるというのを

楽しむという感じの趣味です。

そう言えばその頃にイギリスのBBC放送局とか、

エクアドルといった国の名前などを覚えたのも懐かしいです。


この頃の自分を思い出すと、いつも新しいものや珍しいものに

興味を持っていることがわかります。

探究心と言うか、未知なことへの興味はずっと旺盛でした。

海外からの電波をキャッチするなんて、

今聞いてもワクワクしてきませんか。

 

あれ?

ちゃんとついて来てくれていますか?(笑)



そしてやり始めるとある程度までやらないと

気がすまないのもこの頃からの傾向です。

ギターの腕前は全然上がっていきませんでしたが、

ギターを弾きながら歌うことの楽しさ、開放感を

体験できたのは大きな経験となっています。

 

 

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人生ストーリー 【衝撃のバレンタインデー(中学校1年)】

ビジネスや人生の再構築のために自分の人生を振り返っています。

なかなか自分のことは深堀りが甘く

まだまだ格好つけている内容が多い気がしますが、

ぜひお付き合いください。



中学校1年・・

この頃の一番の衝撃はこの事件でした。

ちょっと自慢ぽくなるかもしれませんがご容赦ください。


それはバレンタインデーの日に13個のチョコをもらったことです。

以前もお伝えしたように私の田舎は愛知県三河地方の山奥なので、

通った小学校は1学年が1クラスだけ、

しかも同級生が10名だけというとても小さな学校でした。

そのため途中の学年では複式学級という、

上級生と一緒の教室で勉強するというレアな経験もしました。

そんな小さな小学校ではバレンタインデーのことも知らず、

当然、チョコをもらうこともありませんでした。

住んでいた町の人口は少ないのですが、

面積はかなり広大でこういった小さな小学校が確か17校もありました。

しかし中学校は1校しかありません。

つまり、17校の小学校の児童が一つの中学校に集まって来ていました。

それでも4クラスしかありませんでしたが。


そんな状態で迎えたバレンタインデーです。

当時はその意味すらよくわからなかったので、

突然、目の前に来てチョコレートを差し出す女の子が来てくれるのですが、

好きか嫌いかどころか、その子のこと自体を知らないケースも多く、

真面目な私は、ごめんなさいと言ってそのチョコレートを

受け取ることすらしませんでした。

しかし、中には友人を通じて渡してきたり、

机の中に置いてあったチョコは仕方なく持って帰ることになります。

そのチョコレートの数が13個もあったんです。

なかなか凄い数でしょう?

今考えれば当然、相当数の義理チョコもあったと思いますが、

当時の自分には何が起こったのかわからず、

なんだか不思議な気持ちで持ち帰った記憶があります。

※その頃、近くのアイススケートリンクにて。

 

 


この経験があって以来、急に人の目や周りからの視線を

意識するようになります。

これまでは自分の中での気持ちが中心でしたが、

他人からどう見えているのかを

強く意識し始めるきっかけになった気がします。


しかし、その時に奇妙に感じたのは、

なぜ話してもいない私のことに憧れたり、

好きだと思ったりするのかということでした。

どこか自分の表面しか見られていない気がして、

ちゃんと自分と話してから判断して欲しいと悔しく思ったりしていました。

そしてちゃんと話してくれたら、きっと気に入ってくれると思っており、

またしてもここには根拠なき自信があったのだと思います。

その一方で、この件から自分の容姿にも強く自信を持ったのも事実です。


やはりかなり自慢ぽくなってしまい、すみません(笑)

 

 

※真ん中で斜に構えているのが私です。



ちなみにこの頃はチョコレートをもらっても

安易に受け取らないのが優しさだと思っていましたが、

高校になる頃には、もらうのが礼儀だと考えるようになり、

さらに大学になったらまずはデートぐらいするのが優しさだと、

だんだんずるい感覚になっていきました(笑)。



そろそろいい加減にしろよと言われそうですが、

まだまだ続けていきたいのでもう少しお付き合いください。
 

 

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人生ストーリー【小学校後半時代】


今後のビジネスや人生を再構築するために、これまでの人生を振り返っています。

 

 

こんな生き方もあるんだとか、

あ、これって自分にも当てはまるとか、

こんな経験がその後に影響するんだ

といった観点でお読みいただけたら嬉しいです。

そして良かったら感想などお聞かせいただけるととても励みになります。



さて、愛知県三河地方の山奥の田舎ですくすくと過ごした小学校の後半時代です。


※小学校での給食シーン。


物作りが大好き・・

私は家にある古いものを分解したり、

廃材などから何かを作ることが大好きでした。

多くの男の子がそうかもしれません。

残念ながらその時に凄いアイデアが出ることはありませんでしたが、

何かの雑誌で見つけたものを実際に作ってみたり、

工夫したりすることが好きでした。

前回ご紹介したように研究者や科学者の伝記を読むことや

物づくりが好きだったことから、

今後の進路は自然と理系を志向することになります。


※近所の子どもたちと。遠足ですね。


一人で裏山探検・・

田舎だったこともあり、家のすぐ裏には山があり、

その山はずっと奥まで続いていました。

小学校も中盤になって行動範囲が広がってくると裏山に一人で分け入り、

何時間も遊ぶことがよくありました。

道らしいものを見つけるとその奥がどうなっているのか、

先に行ってみたいというような探究心が旺盛でした。

その頃はどこかに迷い込んでしまうとか、

帰り道がわからなくなるかもなんてことは全く考えず、

何も怖がることなくどんどん進んでいってしまいます。

今考えると、結構、危険な場所や流れの早い川などがありましたが、

それを石伝いに渡ったり、飛び越えたりと果敢に挑み、

それをクリアする喜びを感じていました。

田舎だったので周りの子どもの数が少なかったこともありますが、

そういった冒険は友だちと一緒に行くというよりも

基本は一人でどんどん進んでいってしまう傾向が強かったです。

この感覚はこれまでの人生でもいろいろな場面で、

同じような気持ちにかられてきた気がします。

良く言えば一人で行動できる強さとも言えますが、

自分の力の過信であり、どこか仲間と一緒に成し遂げるよりも

自分でやってしまいたい気持ちが強かったのかもしれません。

もちろんその後の人生において、チームで何かを達成したり、

やり遂げた時はとても嬉しくて深い達成感にあふれて感動しましたが、

一人で挑んで達成していく過程も自分にとっては大きな喜びになっています。


そして、この先を見たいという探究心も自分の中では大きな推進力です。

いまだに道らしきものがあるとその先に行きたい衝動に駆られてしまいます。

ずいぶん昔に人が通ったような道で、

今は誰も通っていなさそうな道があるとその先に何かがあるのではと思います。



ここまで書いていて、この特性にも自分のルーツを感じました。

全く道がないところを分け入ろうというよりも、

過去の道らしきものを探究したいという感覚が強い。

つまり、何もないところから何かを作り出すゼロイチより、

イチを10や100にするイチヒャクの方が得意なのかもしれません。

イチヒャクならいいのですが、

イチマイナスジュウ(-10)なんてこともよくありますが。


※ヘッタクソな字ですみません。

 しかも小学5年生でどれだけ上から目線でしょうか(笑)
 近所の子供たちとの写真の感想。


ヒーロー気取り?・・

同じ頃、近所でいじめられていた子を

先輩のいじめっ子から救出したことがありました。

私が家にいると、近所の子が〇〇ちゃんがいじめられてると、

その友達が呼びに来たので、急いで飛び出し、

そのいじめっ子の先輩に対して、

何をしてるんだ、

と問い詰め、その子を救出したことです。

まあ、救出といっても、

木の上で泣いている子を降ろしたくらいのことですが、

自分の中でのイメージが膨らんでいるんですね。

この頃の自分は、

どこか正義のヒーローを気取りたい気持ちがあったと思います。

誰かに頼られると嬉しくなって、普段以上に頑張ってしまう性格でした。

これは今も色濃く残る性格です。

これまでの人生、

必ずしも清廉潔白なことだけをしてきたわけではありませんが、

こういうときだけはなぜかカッコをつけて飛び込んでいくことが多い人生です。


※遠足のシーン。

 あどけなさが残ってますね。

 

 

 

さあ、これからどんな人生を歩んでいくのでしょうか。

 

よかったらお付き合いください。

 

 

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なんだか淡々と思い出を綴っていますが、

 

自分の中ではいろいろな気づきになっていたり、

これまでの行動のルーツを見つけたりして、結構、楽しんで書いています。

 

よかったらもう少しお付き合いください。

 

 

 

人生ストーリー 【小学校前半時代】


小学校2年生の頃・・

私の家には結構立派な仏壇がありました。

このエリアでは一般的だった、浄土真宗の檀家でした。

そして、法事の時などにはお坊さんが家に来てくれて、

家族が正座をしている前でお経を読んでいました。

自分にとって仏壇はちょっと怖かったり、畏敬の念を感じたり。

そして、誰もいない時に仏壇を恐る恐る”探検”していると

机の中にはお経が書かれた本がありました。

それをなんとなく読んでいるうちに、

せっかくだから覚えてやろうと思いたちます。

意味は当然わかりませんが、お経の漢字の横にフリガナが

書いてあったので何度か読んでいるうちに全文を覚えてしまいました。

そして得意げになって家族に聞かせていました。

今となっては得意げになっていたことは恥ずかしい気がしますが、

人からすごいねと言われたい承認欲求が強かったのだと思います。

また同時に、何かをやり始めたら達成したい、

全部やりきりたいという思いも強く、

結果として何かを一気にやるとか、やりきることが

習慣化されていった気がします。

※実家に帰った時に、仏壇にお菓子をお供えする娘と母。




そう言えば、こんなエピソードも。

プラモデルの作り方にはいろいろとあると思いますが、

私の場合、色を塗って丁寧にきれいに作るというよりも、

とにかく形として完成させたい、動かしたいという欲求がとても強くありました。

ある意味、せっかちとも言えますね。

やってみる、すぐやる、必ずやるといった行動に対するスタンスは

この頃から身についていた気がします。



小学校4年生の頃・・


この頃、自分の意志で剣道教室に通い始めます。

テレビや漫画の影響なのか、何か自分を強くするものを学びたいと思い、

柔道か剣道がやりたいと親に要望していました。

父親の知り合いが近くで剣道教室をやっていたので、

そこに通うことになります。

近くと言っても歩くと30分近くかかる場所ではありましたが。

※剣道教室に通っていた頃。この格好で30分歩いていました。

 


こういう何かをやりたいと思うと、なんとかしたいという意志の強さは

この頃から強烈にあった気がします。

そして自分で決めたことは最後までやり通すことが多かったと思います。

まあ、こういうのは自分に都合のいいエピソードしか覚えていないので

本当かどうかは定かではありませんが。



発明家・研究者を目指す・・

この頃は過去の偉人の伝記をよく読むようになり、

高峰譲吉や野口英雄、ヘレン・ケラー、エジソンなど、

発明家や研究者に興味をいただいていました。

彼らの強い使命感やどんな困難であっても諦めずにやり続けることで

大きな発見や成果をあげることに感銘を受けます。

そして、その偉人たちに憧れるというより

自分もきっと何かを見つけたり、大きな発見ができると

勝手に確信していた気がします。

もちろんなんの知識も根拠もありませんでしたが、

頑張ってその道を極めればそりゃできるだろうという楽観的な考え方でした。

この根拠なき自信は自分の生き方のベースになっているものであり、

その後の自分の人生にとっても大いに役立っている考え方だと思います。

 

 

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【幼少期の頃】

 

 

※いつも口を尖らせていた姉と。

 

 

 

3歳の頃・・

 

私が生まれたのは愛知県の三河地方にある山深い田舎です。

 

今はもう作っていませんが、以前は米などを作っていました。

 

父親は教師をやっていましたので、いわゆる兼業農家というやつですね。

 

 

3歳くらいの頃の記憶で残っているのは田んぼのど真中で大の字に寝そべって、

ああ気持ちがいい

と感じていたことです。

 

 

なぜかこの記憶が強く残っています。

 

稲刈りが終わったころなので、多分秋だと思うのですが、

家の近くにある田んぼに一人で出かけていき、そこでなぜか大の字に横たわります。

 

太陽の光を浴びながら、

気持ちがいい、

 

自由だ、

と感じていました。

 

そういえば、その後の人生ではやたらと、

自然体とか自由とかの価値観が強くなっていきますが、

そのきっかけというか、最初の感覚だったのではないかと思います。

 

 

 

 

5歳の頃・・

 

 

バスで15分くらいのところにある保育園に通うことになります。

 

そこに一人でバスに乗って通っていました。

 

自分の記憶の中ではそう思っています。

 

大人になってからそのことを母親に聞いてみましたが、

どうだったかね?

と、母親の記憶でも曖昧だったので本当に一人で行っていたのかは怪しい気がします。

 

しかし、親は仕事でしたし、付き添ってくれる大人はいなかったので、

友達と一緒だったかもしれませんが

自分たちだけでバスに乗り込んで通っていたことは間違いありません。

 

いずれにしても、私は当時から、自分でやりたい、自分でできるという思いが強く、

この気持ちは今でも強くあります。

 

※一番右が私。当時は丸々としていました。

 

 

※丸々としていたのでタイヤから出られなくなりレスキュー中です(笑)

 

 

 

なぜなぜ坊や・・

 

この頃の自分は、とにかくこれはなぜだろうという探究心が旺盛でした。

 

なにか不思議だと思ったり、自分の理解を超えていることは

とにかく親などに聞きまくっていました。

 

その後、家にあったり、買ってもらった図鑑や「〇〇の仕組み」と

いった本などを読み漁るのが好きでした。

 

地球の歴史とか自然現象とか昆虫などですね。

 

途中からはUFOとか宇宙なんかにも興味を持っていました。

 

その当時から、興味があることにはどんどん突っ込んでいく性格でした。

 

これは今も変わりません。

 

 

 

 

幼少期の頃を振り返ってみましたが、今の自分の中でも色濃く残る性格や性質は

この頃から培われていたことがわかります。

 

こんな私の人生ストーリーが面白がってくれる方がいるかはわかりませんが、

よかったらまだまだおつきあいください。

 

 

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自分の人生を振り返る人生ストーリー 「母親のこと」

 

 

母親はずっと専業主婦でしたが、

私が保育園に行く頃に一念発起して保育士の資格を取り、働きに出ます。

 

保育士の資格取得にはそれなりの勉強やピアノの練習などもあり、

そう思うとかなりの頑張り屋だったんでしょう。

 

基本的に当時としては身長もあり、それなりに美人ではなかったかと思います。

 

※母と姉と。

 

 

今、そんな母のことを思い出してみるのですが、

正直なところ、あまり深い感慨がないんです。

 

よく他の人の感想などでは、母親に深い愛情を感じているとか、

逆に憎んでいたとかいろいろな感情が出ているのを見ますが、

私には無味無臭というか、淡々とした感覚があります。

 

もちろん、子供の頃、いろいろしてくれたことには本当に感謝していますし、

優しい母だったと思いますが、深い感情として表出して来ないんです。

 

これは私の性格によるものかもしれません。

 

どこかいつも淡々としているんですよね。

 

このことは他の場面でもよく感じることだし、他人からも言われることです。

 

とは言っても感情がないわけではないし、

むしろ感動しやすい性格だと自分では思っていますが、

なぜか人からは淡々としていますねとよく言われてしまいます。

 

関心があることへの感情移入と、関心がないことへの反応の

ギャップが激しいからなのかもしれませんね。

 

 

これは私の血液型がB型からくる性質かもしれませんが、

こうやっていろいろ思い出してみると、母親の性格が影響しているのかもと感じます。

 

というのは、母も私と同じように淡々としているところが多くあり、

それが子どもである私の印象としても無味無臭な記憶として残っていますし、

その母の性格が私にも受け継がれているからかもしれません。

 

 

ただ、そんな淡々としていて日頃はおっとりとしている母ですが、

ここだけの話し(公開しているからそれは無理ですね)、

父とはよく夫婦喧嘩をしていました。

 

その原因はお酒のこともありますが、お姑である祖母とのそりが合わないことも

大きな要因だったようです。

 

いろいろあって、私が小学生くらいの頃に祖母と同居することになるのですが、

そこからの夫婦喧嘩では、祖母が父に加担していて母が可愛そうだった記憶があります。

 

 

そんなある日の夫婦喧嘩のシーンはよく憶えています。

 

いつもは淡々としていて普段はとてもおとなしい母親が

なにかのきっかけで激情し、顔をこわばらせ、父を罵倒しているシーンです。

 

しかしそこには祖母が参戦してきて、女同士の戦いになっていました。

 

父はというと、それをただ眺めているだけです。

 

そんな普通とは違う状態に、子どもの私は居たたまれなくなってしまいます。

 

思わず、やめて!と泣きながら叫んでいました。

 

しかし、誰も全く聞く耳を持ってくれず、喧嘩は延々と続いていきました。

 

その時以来、私は親の夫婦喧嘩には興味を持たなくなってしまいました。

 

ある意味、この分野のスイッチを切ったのかもしれません。

 

 

 

今考えると自分はそういう切り替えが得意な気がします。

 

辛いことや悲しいこと、しかし、悩んでいてもどうしようもないことには、

いつまでも固執していても仕方ない。

 

そんな感覚が強くなったのは、このときの経験があるからかもしれません。

 

これは自己防衛本能とも言えますし、早く立ち直る秘訣でもあります。

 

辛い気持ちを無理やり封じ込めることは良くないですが、

どっかでさっと切り替えることも必要ですよね。

 

 

 

そんな母親ですが、最近はすっかり年老いてきて、

元々持っているおっとり感が増してきたのと同時に、

ますますうっかりすることが増えてきています。

 

※息子と娘と談笑する最近の母

 

 

 

まだまだ元気で過ごしてもらいたいと思っています。

これからの人生やビジネスを再構築するにあたって、

これまでの自分の人生を振り返っています。

 

もしよかったらお付き合いいただき、率直な感想などいただけると嬉しいです。

 

 

【生まれた環境】

 

 

私は愛知県の三河地方の山深い田舎に生まれました。


電車もなくバスや車が移動手段でした。

 

すぐ近くは国定公園にもなっており、箱庭のようなきれいな山と川がありました。

 

そこは東海では有名な紅葉の名所でもあり、

秋には観光客で賑わう、そんな環境の中ですくすくと育ちます。

 

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※紅葉の名所「香嵐渓」https://www.tourismtoyota.jp/spots/detail/22/

 

 

 

そんな環境だったので、裏山の探検やお寺を巡ったりと自然の中で遊ぶことが好きで、

こういった体験から自然に対する畏敬の念が育った気がします。

 

 

余談ですが、小学生の頃は本で見た小人、コロボックルが本当に草の陰にいる気がして

よく探したものです。

 

自分の真っ直ぐな(?)性格はこんな環境で育まれた気がしています。

 

 

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※家族写真・・一番手前でベロを出しているのが私。

       この頃から世の中を舐めているとも言えますし、

       面白がる性格がわかります(笑)

 

 

【父親のこと】


職業は教師でした。

 

当初は中学校でその後は小学校の教師に。
 

とにかくお酒が大好きで、家ではいつもお酒を飲んでいました。

 

お酒を飲まないととても優しくておとなしい父でしたが、

お酒を飲むとやたらと陽気になり、同じ話を何度も何度も話していました。

 

酔っぱらいの人によくある現象ですよね。

 

子ども頃の自分にとって酔っ払っている父親は嫌いでしたが、

それが日常だったのでそんなものかと思っていました。

ちなみに、愛知県は地元の愛知教育大学出身者の派閥が強い中(と聞いていました)、

父は法政大学を出て教師になったので、

学校ではいろいろと辛いことや理不尽なことが多かったようです。

 

しかしそんな中でも、今の教育現場をよくしたい、なんとかしたいと考え、

いろいろな方に働きかけたり、活動をしていたらしいのですが、

その気持ちもだんだんと空回りをしてきて、

お酒の量も増えてきたのではないかと推測しています。


 

 

お酒にまつわるエピソードがあります。

 

私が子供の頃の話しですが、

父親はよく母親とウイスキーの瓶の“隠しごっこ”をしていました。

 

洗面所の棚の中とかタンスの中とか、

こんなところに置かないだろうというところにウイスキーの瓶を隠す父。

 

そしてそれを探しては取り上げる母。

 

飲みたい父と飲ませたくない母。

 

双方にとっては必死だったのでしょうが、

どう見ても子どもの遊びのようで、

何をしているのかなと冷静に見ている自分がいました。
 

 

 

そんな父ですが、実は武芸がとても得意だったようです。

 

剣道や弓道などはかなりの腕前で、

家のリビングには剣道三段とか弓道四段とか

(もっと上だったかもしれませんが)飾ってありました。

 


そんな父親とは一緒に遊んだ記憶があまりありません。

 

平日は学校、クラブ、そして休日は弓道大会などと忙しくしていたようです。

 

だから父親と写っている写真もはあまりありません。


父親と行ったのは、キャンプや海に数回、

家族全員で行ったことを記憶している程度です。
 

そんな父との一番の思い出は、

私が中学生の頃に街の楽器店に連れて行ってもらい、

そこでフォークギターを買ってもらったこと。
 

そのギターは今でも我が家でホコリを被っています。

 

 

 

お酒を飲まないと静かな人だったので、

とにかく家ではお酒を飲んでいるシーンしか思い出しません。


私もお酒を飲むことは大好きですが、

どこかで父親のようにお酒には溺れまいと強く思っていた気がします。

 

だから私自身はお酒が強いわけではありませんが、

どんなに酔っ払っても自分をなくすことはなかったと思っています。

 

もちろんお酒を飲んで気が大きくなったり、

勢いでいろいろとやらかしはしましたが(笑)

以前にご迷惑をおかけしていたら、この場を借りてお詫びいたします。




そう言えば、若い頃から教師に何度も興味を持ち、目指そうとしたことがあります。

 

ただ、私の学校の先生が父と元同僚だったり、知り合いだったりするので、

たまに家に遊びに来ていて麻雀をしたりお酒でベロベロになっているのを

よく見ていていました。

 

そこで教師という仕事の裏側を見た気がして、

ある意味、幻滅したり、理想と現実のギャップを感じて

なかなか真剣に進もうとは思えなかったのかもしれません。

 

しかし、今だに教育界に強い興味があるのは父の影響があったと感じます。


父についてはまた別のところでも語りたいと思います。

 


 

 

人生ストーリーを書き始めましたが、全く忘れていたようなことや

その頃の楽しい思いとか、つらい思いなど、意外と思い出すものですね。

 

その中には現在の自分のルーツにつながることもあり、

今後、楽しんでお伝えしていきたいと思います。

 

ぜひおつきあいください。