『新しい今日がある』


ふと街角でみかけたキャッチコピー。


すごく新鮮に思えた。父がなくなっても生きるということ。それは新しい今日があるから。

以前、父とよく来たショッピングセンターの思い出のポイントに立つ。駅のほうから父がひょこっと歩いてきた日をおもいだす。

『駅ビルでレモンを見てきたんだよ』

すごく怒った私。

『なんで約束した場所にいないの!!探したんだからちゃんと約束したんだしいてよ!!まったくめいわく!!』

『ごめん、ごめん、』と謝る父。

今思えばほんっとにヒドい言葉で父をけなしていた。父は我慢強いから何言われても黙って耐えていたんだな。

今日、その後親戚のうちにご飯を食べにいったとき、そこのオジサンが父のことをしゃべり出した。

『昔、東京からこっちにきたときにそうとういじめられたらしいよ』

初耳だった。家族にも話してなかった事実。昔から我慢強く男らしかったんだな。
体はちっちゃくても気構えは大きい人だったんだな。

お父さん、ほんとに全てを気づいてあげられなくてごめんね。懺悔してもしきれない。悪い娘でした。後悔ばっかだ。私なんか生きてる価値すらない。でも、こんなんでも今日という日を生きている。。。生かされているには理由があるのかもしれない。まだこの世ですべきことがあるのかもしれない。でも今は正直いったら生きる気力などなく。しかたなく生きている。命があるから生きている。

それしかない。それでしかない。

惰性に流される毎日。
訪れる明日を夢も希望もなく受け流す毎日。
でも。

生きること。父のために。
いつか死ぬときはいつそれが来ても後悔はない、たとえそれが『明日』であったとしても。