ハッピーバースデー…(溜め)トゥミー

ハッピーバースデー…(溜め)トゥミー

ハッピーバースデー ディア…(大きな溜め)

みぃちゃん…


可愛そうなのはやめてもらえますかね…。

そんなわけで毎年恒例、去る5月14日は俺の43回目のバースデーだった。
43ともなればさすがに、馬鹿の一つ覚えのように「エッチな画像を下さい」「生活感溢れる風情あるエロがいいです」などと無心するようなみっともない真似はしないが、それはそれとしてエッチな画像は随時募集しているので気兼ねなく送ってくれよな!

とは言え最近の俺は忙しい。
何が忙しいかと言えば、見るアニメが多すぎて忙しい。

「とても43才の言葉とは思えんな…」

俺が唯一加入しているサブスクサービス、ネットフリックス(略してネトリ)を中心に、現在視聴中のアニメが多数。
忙しすぎてPornHubを見る暇もない!

…だからXvideosを見ています。

そんなこんなで、図らずもアニメ業界から大量の誕生日プレゼントをもらっている状態の昨今だが、この春の放送開始を楽しみに待っていた作品の一つが『魔法の姉妹ルルットリリィ』だ。

本作は『魔法の天使クリィミーマミ』から連なるスタジオピエロ魔法少女シリーズの最新作で、直近のシリーズである『魔法のステージファンシーララ』から実に28年ぶりとなる作品だ。
43にもなって魔法少女アニメにお熱だなんてとても会社の同僚には言えないが、何を隠そう初代のクリィミーマミと俺は同じ1983年生まれ!
マミと共に産声を上げた身としては楽しみにするなというのは無理な相談だった。

さて、そんなルルットリリィだが、現段階ではまだまだ評価を確定するものではないが、今のところの印象としては「実にちゃんとしてますねぇ…」(石田彰ボイス)という感じ。

ちなみに『ドクターストーン』も今見ているアニメの一つです。
そそるぜこれは!

話を『ルルットリリィ』に戻そう。
粗筋としては、主人公の女の子が魔法の力で大人のお姉さんに変身し、アイドルとして鮮烈デビューするという王道ストーリー。
タイトルの通り、姉妹二人が魔法の力を手にするのが特徴だ。
しかし俺が注目したのは姉妹の妹、風(ふう)が魔法で望んだこと、何のために魔法を使うかというその動機の部分だ。

姉妹の姉、流(るい)は幼い頃は歌うのが大好きな明るい女の子だったが、一度大きな病気で入院を余儀なくされ、完治した今も以前とは違い、笑顔も少なく歌を歌うこともない。
そんなお姉ちゃんを魔法で元気にしたい、笑顔にしたい!というのが妹の願いだ。

実に素晴らしい。
ぐぅの音も出ないほど立派な動機だ。
思えば『クリィミーマミ』では、背伸びしたいお年頃の女の子が魔法で素敵なレディに変身してウッキウキ、しまいには「でもこの魔法何に使おう?」などと言い始める始末だった。
それを思えば「お姉ちゃんを笑顔にするために!」というのは本当に素晴らしいし、世界を救うために戦ったりしないスタジオピエロの魔法少女ものとして、テーマやメッセージもより際立つことだろう。
俺が「実にちゃんとしている」という感想を抱いた所以だ。

この設定に文句をつけるような奴は「人の心とかないんか」の謗りを免れない。

だが。

だが。

この立派さを目の当たりにした俺は、ある出来事を思い出していた。
うちの小学生の娘がある時、作文の宿題をやっていた。
「自分の将来の夢とその理由、夢の実現のためにやるべきことを書きなさい」的なテーマで、高学年らしく将来へのビジョンを見据えた思考が求められる、そんな内容だった。
それ自体はいいのだが、問題はその宿題の例文として渡されたプリントだ。
まるでAIで作成したようなクソみたいな文章で、いくつかの夢について具体例が示されていたが、その全ての例文において二言目には「人の役に立ちたい」「人を元気にしたい」「人に勇気を与えたい」という立派な動機が並べ立てられていた。

「僕は将来野球選手になりたいです。沢山の人に勇気を与えたいからです!」

「私は将来パティシエになりたいです。沢山の人を笑顔にしたいからです!」

「私は将来科学者になりたいです。沢山の人の役に立ちたいからです!」

複数例示する必要性が一ミリも感じられないほどに同じような文章が並んでいたが、割かし真面目な娘はこれらの例文を読んで、「誰かの役に立つような立派な夢じゃないといけないんだ…」と頭を悩ませて半ベソをかいていた。
そんな娘に対して俺は、「バカじゃねーの」という誠に父がましい言葉をかけて余計に泣かせてしまったわけだが、俺の偽らざる本音だ。

将来の夢に対してどうすれば実現可能か、具体的な進路を考えることは大切かも知れないが、夢に対して「好き」以上の動機を求める意味がさっぱり分からない。
一流のアスリートやアーティストが誰かを勇気づけたとして、それはあくまで結果論だ。
そんなんゆうたらお前、AV男優だって誰かを笑顔にしてますからね!俺とか!

この、必要以上に優しさや思いやり、あるいは立派さを求める社会の風潮、常に「相手の心に寄り添っていますか?」と問いかけてくるような空気感は、もはや狂気じみているとさえ感じる。
『ルルットリリィ』についても同様の文脈を感じざるを得ない。
主人公の動機の立派さに加え、全てのキャラクターの善良さも俺の心を曇らせる。
あくまで今のところの話ではあるが、学校の同級生から同じ事務所のアイドル仲間まで、誰も彼もが驚くほど人格者、心を傷付けるようなただの一言も存在せず、まさに「優しい世界」だ。

結構なことである。
悪人の存在しない世界、誰もが誰かの心に寄り添い、思いやり、チクチク言葉は完全排除。
しかしそんな世界が、そんな人間がこの世に存在するだろうか?
清らかすぎる水の中ではどんな魚も生きられない。
清濁合わせ飲んでの人生、様々な側面を持つのが人間だ。

何度も引き合いに出して恐縮だが、『クリィミーマミ』ではマミのライバルになる「めぐみ」というキャラクターがいた。
事務所の看板スターの座をマミに奪われためぐみさんはマミに対して嫉妬の炎メラメラで、ヒステリックできつい物言いが印象的なヒールポジションの女性だった。
しかし一方で、根底にある面倒見の良い姉御肌な気質や、女優としてのプロ根性などをチラ見せするなど、決して一面的ではない人間性を描写。
天真爛漫、純真無垢なマミ(中身は小学生だからね)とは対称的に、実に人間臭いキャラクターに仕上がっており、作品世界になくてはならない存在として人気を博した。

魔法というフィクションライン高めのモチーフで、ましてやプリキュアのような戦う変身魔法少女ではないのなら、なおさらにキャラクターの実存感のようなものは重要ではないかと思う。
人間誰しも負の感情は持っているし、それだって人格を形成する大切な要素の一つであり、無闇に排除したり否定したりするのではなく、正しく向き合い付き合っていくことが大切なはずだ。

俺は令和にアップデートできない老害になってしまっただろうか?
それともただの懐古厨のキモオタか(多分正解)
それでも俺は、我が子がただ純粋に好きを追いかけることさえ憚られる世の風潮を、決して是とすることなどできない。

なぁみんな、もっとシンプルに生きようや。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
心の声に耳を傾け、心のままに生き、たまに生け贄を捧げて。
『ミッドサマー』

シンプルに生きるとここに行き着く!?
閉鎖的な村のエッチな儀式三度!
狂気の最終形態に震えて眠れ!

それではストーリー!

我らが主人公ダニーは不安で眠れぬ夜を過ごしていた。
精神に難ありな妹から不穏なメールが届き、両親とも連絡が取れない。
彼氏のクリスチャンに泣きながら電話して相談するも、「毎度毎度騒いで気を引きたいだけだよ」と、若干うんざりした様子だ。
↑憔悴ダニー。

いつものこと…
そう自分に言い聞かせるダニーだったが、悪い予感は当たるもので、妹は実家で両親共々自殺、ダニーは一夜にして家族を全て失ってしまうのだった。
↑しかもとんでもなくエグい方法で…

それはそれとして!
大学生である彼氏クリスチャンと愉快な仲間たちは、卒論研究のためスウェーデン旅行を絶賛計画中。
学友のヒゲロン毛の故郷で開催される「夏至祭」を体験する予定だ。
↑ダメだ、ヒゲロン毛は信用できない!

旅行計画をギリギリまでダニーに知らせていなかったため若干ギスギスした雰囲気を醸し出しつつも、ダニーも交えた五人パーティーで、一路スウェーデンへ旅立つ一行。

こうして辿り着いた先は、スウェーデンはヘルシングランド…言うなればそう、アイルーのぽかぽか村ですね!(ヤケクソ)
そこはもう笑っちゃうくらいのド田舎で、日の沈まぬ白夜の空の下、美しい大自然が広がリング。

村人たちは狂い咲きの笑顔とトリップするタイプの葉っぱでお出迎え。
異国情緒の先制パンチでダニーたちは困惑しきりだ。
↑息をするように当たり前に葉っぱを吸う。

ぽかぽか村での暮らしぶりといったら、それはもうやり過ぎなくらいの村人一丸となった共同生活スタイル。
老若男女お揃いの白い衣服に身を包み、朝昼晩の食事は全員で巨大な食卓を囲み、寝る時も年齢帯ごとに別けられた巨大な寝屋で雑魚寝。
「プライバシー?なにそれ美味しいの?」の世界だ。
↑ほんとそれ。

しかしこの程度の「日常の風景」でビビっていてはいけない。
何と言っても今日から始まるのは夏至祭、しかも90年に一度の記念すべき大祭ということで、これから9日間にわたって盛大な儀式が繰り広げられるのだ。


まずは翌朝、皆で囲む厳かな食卓の上座に、皆とは異なる青い衣装を纏ったジジィとババァが鎮座している。


しばしの食事の後、ジジィとババァを先頭にいずこかへ移動する村人たち。
向かった先は断崖絶壁だ。
ダニーやクリスチャンらが固唾を飲んで見守る中、崖の上にババァが姿を現す。
次の瞬間、ババァ、フライハイ。


続いて、ジジィもフライハイ。


さらに、着地に失敗(?)し死に損ねたジジィの顔面に向かって、村人たちが餅つき開始。
無事、ジジィとババァは御臨終となるのだった。
↑よいしょー!

まさかの事態に阿鼻叫喚の来訪者組に、村長っぽいオバサンが慌てて説明するところによると、事情はこうだ。

ここぽかぽか村では、人の一生は四つに別けられる。
18才までの子供時代は春、19~36才の青年期は夏で巡礼の旅に出る。
37~54才の大人は秋で、村の労働者となる。
55~72才は冬、経験豊富な指導者となる。
そして72を過ぎた者は、その名前と魂を次に産まれてくる子に引き継ぐため、喜びと共にフライハイする…そんな死生観だ。
↑「自らの命を与える(恍惚)」

そんなこと説明されたって「なるほどね!」と受け入れられるはずもなく、もはや一分一秒もこの村に居たくない感じのダニーだが、理解ある彼くんことクリスチャンは、「これが彼らの文化だよ。理解するように努力しなきゃ!」と、意識の高い多文化共生スピリッツを発揮し始める。
↑わぁ…意識たかぁい…

これには理由があった。
実は卒論のテーマがなかなか決まらなかったクリスチャン。
このぶっ飛んだ儀式を目の当たりにして「これだ!」とピンときてしまったらしく、卒論研究として取材する構えだ。

しかし問題が一つ…いや、二つ三つ。
まず一緒にやって来た友人のジョシュは人類学専攻であり、そもそも彼が卒論のテーマとして選んでいたのがぽかぽか村の夏至祭だった。
「俺の卒論とモロかぶりやんけ!」と、ジョシュは怒り心頭だ。

また、卒論として公に発表するなど、村の長老たちが許すはずがない。
そして何より、目の前で人が二人も死んだというのに自分の卒論のことばかり気にする彼氏を見るダニーの目が、ゲジゲジを見るような目になっている。
↑(こいつマジか…)

でも待って!ゲジゲジは益虫だよ!

そんな問題の数々には丸っと気付かないふりをして、ヒゲロン毛に長老たちと話をつけてもらい、特定されるような情報を出さないという条件で取材を許可されることとなった。

しかし異変は静かに、しかし着実に進行していた。
ダニーらとは別口で招待されて来たカップルがフライハイの翌日、一人、また一人と消え、パーティーの下ネタ担当男子が村娘とどこかへしけこんだきり姿を消し、卒論研究に一際前のめりだった人類学専攻のジョシュは撮影禁止エリアにこっそり侵入したまま消え…。
↑「うん、いくいくー!」

着々と煮詰まっていく現場に不安が募る理解ある彼くんことクリスチャンだが、対照的にダニーはぽかぽか村の女性らと交流を深め、夏至祭一大イベントの一つ、ダンスバトルでまさかの女王の座を勝ち取るなど、すっかり馴染んでいた。
↑えぇ…

「女王女王」と崇め奉られる彼女の姿にもはや何が起こっているのか分からず、打ち捨てられた子犬のような目で怯えるクリスチャンだが、彼にもとある「儀式」の魔手が迫っていた。
実は、ヒゲロン毛の妹マヤがクリスチャンに好意を抱いたようで、謎の呪物をクリスチャンのベッドに忍ばせたり、陰毛入りのミートパイを食べさせたりと、密かに秋波を送っていたのだ。
↑えぇ…

折しもマヤは先日、交尾可能なライセンスを取得、村長のオバサンも「ン許可するぅ!」と、すっかりそういう方向で話が進んでいる様子だ。
既に神経衰弱状態のクリスチャンが誘われるようにある建物に入るとそこには、産まれたままの姿のマヤと産まれたままの姿のオバサンが1ダースくらい待ち構えていた!

画像は載せられんが!



…遂に始まるエッチな儀式!
存外体育会系なダンスバトル!
ぽかぽか村に響く喘ぎ声の大合唱!
そして迎える世界一惨めな賢者タイム!

果たしてダニーとクリスチャンは、狂気の祝祭の果てにナニを見るのか!?





…りりるらぱりるらぱむぱむぱわー!
みんなエッチにな~れ!!

すまない、俺らしくもなく取り乱したようだ。
魔法の力で誰かをエッチにしようだなんて間違ってた。
俺自身の力でエッチにしなきゃね!
とにかく思わず取り乱してしまうほどに、とてつもない作品だったということだ。

巷では、先日我がブログでも紹介した『ウィッカーマン』あたりと並べて語られることの多い本作。
確かに、閉鎖的な村のイカれた儀式の果てに生け贄として燃やされるというおおまかな流れは共通している。(流れるようなネタバレ)

しかしそれらを描き出す角度、あるいはテーマ性のようなものは全く異なり、特に本作は完全に別物と言ってよいだろう。
いや、実際別物なんだから当たり前だけど。

本作においてまず大きな話題になったのは、克明に描写された数々のグロシーンだろう。
冒頭のやたらディテールに拘った排ガス自殺も序ノ口譲二(エロ漫画家)、ジジィババァのフライハイ並びに顔面餅つき大会、1ダースの全裸ババァによる嬌声合唱大会、肺の仕組みがよく分かる一人人体の不思議展、等々、遠慮ない直接描写のフルコースで見る者の精神を破壊しにかかってくる。

映像的なところで言えば舞台となるぽかぽか村のあまりに雄大で美しすぎる風景も印象的だが、対照的にそれまでの都会でのシーンはやたら暗いトーンで描かれており、白夜のおかげで常に明るいぽかぽか村との極端なコントラストが、妙な解放感やカタルシスを与えており、村の暮らしが美しく尊いものという深層心理を植え付けられる。

そんな美しすぎるぽかぽか村の風景はしかし、体と自然が一体化したり、草花が不自然に蠢いていたり、景色の一部が異空間のように歪んでいたりと、常に不自然な違和感演出が発生。
白夜のため今が一体朝なのか夜なのか、ここへ来て何日が経ったのかも判然とせず、常に夢現状態な印象で、これから起こる惨劇の数々もまるで現実感がないという、見事な雰囲気作りが成功している。

しかし本作の凄まじいところは、そんな絶大なインパクトを誇る映像表現の数々も、物語のもっと本質的な部分を引き立てる、あるいはカモフラージュするための映画的手段の一つに過ぎないという点にある。

本作で描かんとしているものは人の心の妙、まさにヒューマンドラマ!
間違いない!
多分間違いないと思う。
間違いないんじゃないかな?
まちょっと覚悟はしておけ。(さだまさし)

端的に言えば本作は、家族を失い心に深い傷を負った主人公ダニーが、全く異なる死生観の文化に触れることで、傷付いた心がどのように変化していくかを描いた物語だ。
その変化を、癒しや救い、立ち直りと呼んでいいかは分からないが、最終的には劇的な変化があったことは間違いない。
↑最後の意味深な笑顔。

しかし実は、家族の自殺というショッキングな出来事を抜きにしても、人間関係に大いなる問題を孕んだ状態から始まっている。
元々ダニーは彼氏クリスチャンへの依存心が強くかなりめんどくさい女感満載、彼氏もいい加減鬱陶しくなってきたようで実はもう一年も前から別れたいと思っている、そんな状況だ。

彼女のめんどくささがピークに達するのはぽかぽか村へ行く前、自分に何の相談もなくスウェーデン旅行の日程を友達と決めてしまった彼氏をゴン詰めするシーンだ。

「ねぇ、わたしだけ何も知らなかった気持ち、分かる?」
「スウェーデンに行きたいって話はしたじゃん」
「行きたいとは言ったけど来週出発なんて聞いてない」
「…ごめん」
「別に怒ってない。ただ話して欲しかっただけ」
「だから謝ったじゃん」
「仕方なく謝ったって感じ。悪いと思ってない」
「…今日はもう帰る」
「ノーノーノーノーお願い帰らないで!あなたのことを理解したかっただけなの!スウェーデン旅行最高!フー!きっといい刺激になるわ!」

…めんどくせぇ…。

なんというかこう、「彼女は一緒にりんごを買いに行って欲しかったの」的めんどくささをさらに煮詰めたような風情で、変にリアルなギスギス感に胃がキリキリしてくる。

ただ、ここまでの会話でなんとなくお察しかも知れないが、彼氏クリスチャンも実はなかなかのクズ。
問題の先送り癖があり、言い訳からの開き直りというダメ人間コンボも標準装備。
彼女と一頻りもめた後、今度は一緒にスウェーデン旅行に行く友人らに何の相談もなく「ダニーも誘ったから」などと事後報告をかます。
あからさまに引き気味な友人らに対してさらに、「誘ったけど多分来ないよ、うん」などと適当な希望的観測を述べるなど、グチグチと男らしくないことこの上ない。

彼のクズっぷりは、唐突にぽかぽか村を卒論のテーマに選ぶ下りにも表れている。
先送り癖のおかげでそもそも卒論のテーマが未だに決められていなかった彼氏クリスチャン。
それがその場のノリで友人とモロかぶりになる研究テーマを選び、友人に責められれば「いや、そんなん俺聞いてないし…」と渾身の開き直り。
これにはその友人も、「お前どんな神経してんだよ!逆に感心するわ!」と皮肉たっぷりにキレ散らかしていたが、俺も全くの同感だ。

要するに最初から、依存心つよつよ彼女と人間のクズ彼氏という、問題もりもりカップルだったわけだが、そんな二人がぽかぽか村を訪れてからの心の変化、あるいは関係値の変化といったところも、本作の見所の一つだ。

当初は、ぽかぽか村を研究すると意気込んでいたくせに次第に捨て犬のような目になっていく彼氏を尻目に、村人たちと交流を深めるのに伴って着々と彼氏から心が離れていくダニー。
↑「クゥ~ン…」

その象徴となるのが夏至祭のメインイベントの一つ、ダンスバトルだ。
「ぶっ倒れるまで躍り続けて最後まで立ってたやつが優勝」という、想定外に体育会系なルールのダンスバトル大会。
ここで見事に優勝を勝ち取るダニー(多分デキレ)だが、ヘロヘロになりながら皆と躍り狂う中で一体感を高め、最終的にはなぜかスウェーデン語が分かるようになっていた!
↑拳で語り合う的な。

元々依存心の強かったダニーが、何でも共有するぽかぽか村の生活スタイルの中で一体感や安心感を得ていくというのは、非常に得心のいく流れだ。

しかし一方で、ホラーとして見た時にこの「何でも共有するスタイル」というのがまさに狂気の根幹で、寝食を共にするのみならず、感情まで共有していく。
泣いている人に寄り添い、皆で一緒にギャン泣きするまでならまだいいが、フライハイジジィが死に損ねれば見物人も一緒に呻きながら嘆き悲しみ、燃やされている生け贄の断末魔の叫びを聞けば見物人も一緒に叫びながらのたうち回る。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
↑何やってんのこの人たち…(ドン引き)

ただ、ドン引いてばかりもいられないのは、正直この世界って相手の心に寄り添う最終形態じゃん?
是非とも現代社会の意識高い皆々様には本作を鑑賞頂き、「お前らが目指してる世界はここだけどほんとにOK?」と、今一度問い直してもらいたいところだ。

そして、そんな共感スタイルを下地に、少しずつ外堀を埋めながらダニーをちゃんと洗脳しているというのも、振り返ってみればよく分かり戦慄を覚える。
ダニーが元々抱えていた心の問題をきっちり揺さぶってくる台詞や展開も印象的に機能している。
だがヒゲロン毛、テメェはダメだ。
いかにも草食系みたいな顔して洗脳後はダニーと交尾する気満々で、ダンスバトルでハイになってるドサクサでチューしたりしていた!
↑村の風習で許されると思うなよ!

もちろん、そんな村の風習についてその他の部分でも、かなり細部にわたって世界観が作り込まれていることが伝わってくる。
また、そのような設定の多くは、研究のための取材という体で視聴者につまびらかにされていく。
俺の好みとしては説明台詞を多用するやり方は好きではないのだが、本作の凄いところは、どれだけ台詞で説明されてもまだまだ意味の分からない儀式や言動に溢れており、台詞で説明されている部分など氷山の一角であるというところだ。
問わず語らず滲み出すゴリゴリに作り込まれた世界観というのは、逆に大層俺好みなので、思わず嬉しくなってしまう。

中でも印象的だったのが、村の聖典についての供述だ。
ぽかぽか村で代々受け継がれてきた門外不出の聖典「ルビ・ラダー」は、当代の村の「賢者」により新たなページが描かれ、常に発展し続けている。
ではその「賢者」とは何者かと言えば、いわゆる生まれながらの障がい者。
彼らは先入観や固定観念に囚われず、物事の本質を見つめることができるからだそうだ。

では「賢者」が死ねばどうなるのか。
また次の「賢者」が生まれるまで待つのか。
村では代々、近親交配により意図的に「賢者」を産み出してきたと言う。
かつては俺も、近親相姦の風習がある村を舞台にしたエロ漫画を考えていたことがあるが、障がい者を生み出すために近親相姦とはたまげたなぁ…。
↑「えぇ…(ドン引き)」

ご覧の通り本作は、語っても語り尽くせぬほどにゴリゴリに作り込まれた設定で、常に狂気のテンションバーン常態を維持することに成功しているわけだが、中でも狂気が最高潮となる俺的ハイライトと言えばそう、クリスチャンとマヤちゃんの交尾シーンですね!

捨て犬モードで精神的に不安定な上、怪しい呪いやら精力のつくケムリの吸引やらで正常な判断力を失ってしまった彼氏クリスチャンは、誘われるようにぽかぽか村唯一のヤリ部屋へイン!
↑精力のために!

そこは、全裸待機するマヤちゃんの周りを全裸待機するババァ1ダースが取り囲むという、天国と地獄がいっぺんに来たような混沌とした状況。
しかし、完全にガンギマり常態の若い二人はババァたちに見守られながらプラグイン!
↑「はぁはぁ」

↑「はぁはぁ」

さすがに破瓜の痛みに悶えるマヤちゃんの手を、おそらく母親と思しきオバサン(全裸)が慈愛に満ちた表情で握りしめ、そして、まるで歌うように「ア(↓)ーア(↑)」と喘ぎ始める!
↑「アー(↓)ア(↑)」

↑(お前も交じるんかい…)という表情の彼氏

そんなママの喘ぎソングに合わせて喘ぎ始めるマヤちゃんと、1ダースのババァたち!
まさに嬌声の大合唱だ。
さらに若い二人がヒートアップしてくるにつれ1ダースの全裸ババァは声だけでなくシンクロして身をよじり始める始末。
気がつけば彼氏クリスチャンもリズムに合わせて「アー(↓)アッ(↑)!」と喘いでいた!

極めつけはスプラッシュ直前、頃合いや良しと見た全裸ババァの一人がおもむろに後ろに回ると、クリスチャンの尻を掴んで強制ピストン開始!
AVの撮影現場など足元にも及ばない混沌とした状況の中、無事に種付けスプラッシュを決めるクリスチャンなのでした。

ここからさらに、急に我に返って全裸で逃走するクリスチャンの世界一みじめな賢者タイムや、彼氏のとんでもない痴態を覗き見してしまったダニーの「好きすぎて滅」ならぬ「キモすぎてゲロ」など、常軌を逸した修羅場の連続から、流れるように生け贄タイムに繋がっていく終盤の展開は逆に笑顔が溢れるレベルだ!
↑まさに人を笑顔にする仕事!

そんなわけで、面白すぎて気が付けば文章量がえらいことになってきた今回のレビュー。
せっかくなので最後に、『ウィッカーマン』、ニコケイ版『ウィッカーマン』、『ミッドサマー』の三作品の、俺的ランキングを発表して終わりたいと思います。

まずは第三位!(デデン)

ニコケイ版『ウィッカーマン』

やったねケイジ、銅メダルだよ!

続いて第二位!(デデン)

『ミッドサマー』

そして栄えある一位は…(ドゥルルル)

『ウィッカーマン』!

もちろん今回の『ミッドサマー』は面白かったし、作品としてのクオリティは三作品の中でも圧倒的だったが、やはり初代『ウィッカーマン』には他にない独特の狂気と、有無を言わさぬ謎のパワーがあった。
そして何より、性に奔放なぽかぽか島は俺的移住したい村ナンバーワン!

交尾が許可制とか免許制とかマジ無理。
盛りたい時に盛るのが絶対健全じゃん?
これが、ランキングの最大の理由です。

あ、でも、精力を高める謎のケムリは欲しいです。