思い返すだけでも涙がこぼれます。


クリスマス・・

父が突然、号泣・・




「俺はお前が一番なんだ」

「お前の調子が、良かったり悪かったり・・心配なのに・・・」

「死ぬかもしれないって・・・・なのに、お前は・・」

「でも、お前が望むことであれば・・・俺は・・

俺は応援するよ、待ってるから・・俺は待ってるからな!」



そう言って、帰ろうとする父を、夫が追いかけました。

「だいじょうぶ」と言って、ひとりで歩いて行く姿を見送ると、

途中で父は、天を仰ぎ、声をあげてまた号泣していたそうです。


普段は明るくて、泣くような人じゃないのに。

私は親不孝者だな。





私は3年前、

子宮外(けい管)妊娠した時、出血と貧血がひどく、

1週間、集中治療室にいたことがあります。

その時家族は、子宮全摘の決断を迫られ、

死んでもおかしくない状態と、説明を受けていたそうです。


幸運なことに、子宮も残り、

死ぬこともありませんでしたが、

ひどい貧血が、普通ではなかったことが判明しました。

そして、病名が付き、36歳で初めて、余命を宣告されました。

(このことにかんしてはまだくるしくてかくことができません)


家族ごと絶望の淵に落とされましたが、

今は病状も安定し、普通に生活が出来ています。

何度も考えた末、自分が元気でいる事を条件にし、

私、家族の願いでもある、赤ちゃん作りを再開したのです。




父の目には、この体外受精なんてのは、

想像も出来ない世界、なのだと思います。

でも不妊治療のことは、デリケートなことなので、

私は詳細を説明するのが、好きではなく、

適当に話をしていました。

会うと説明しなきゃいけないので、会うことを避けたり・・。



私は、いまだに、

数週しかお腹にいなかった赤ちゃんの写真や、

受精できた卵の写真を、眺めては、

愛しく感じています。


かつて私も、父や母の大切な赤ちゃんであり、

大切に想われていたんだということに、

改めて気づかされました。




私の人生だけど、私だけの人生ではない。

私は元気でいよう、

一日でも親より長生きしよう、

それが一番の親孝行なんだと思いました。



明日、元気でいるために、

今日は、泣いてもいいことにしよう。 クリスマスツリーキラキラ