「はい、これでよしっと」



キャンディは満足げに微笑むと椅子にかけたテリュースに手鏡を渡した。



まだ外に出る許可はおりてなかったが、病室の中ではゆっくり動いていいとDr.トーマスから言われている。杖をついて動く度に身体のどこかに痛みが走るらしく、その度に顔をしかめるテリュースだったが、今は椅子に座って髪をとかしてもらっていた。



「どう?髪もキレイになったし、その髪型ならそのままベッドに寝ても結んだところが当たらないから痛くならないわよ」



「これ、わざとだろ?こんなピンクのリボン、やだね。それになんだ?この髪型は。」



鏡をのぞきこんだテリュースが後ろに立つキャンディを振り返って抗議する。



肩の辺りで結んだテリュースのツインテールは、それぞれにピンクのリボンが結んであった。



「似合ってるわよ、ピンクのリボン。イケてるメンズはピンクが似あうんだからっ……。ぶぶぶっっ」



言いながら吹き出してしまうキャンディにテリュースがピンクのリボンをしゅるしゅるほどいて投げつけた。



「わざとやったな。俺で遊んでるだろ」



ぶっきらぼうな態度とは裏腹に、テリュースの瞳には甘やかな煌めき。



「やだもう、テリィったらせっかく結んであげたのに。」



笑いながらキャンディはリボンを拾って、そろそろ母屋の方へ戻ろうと病室に持ってきたものを片付けはじめた。



「テリィったらホントおこりんぼね。アルバートさんはそんなこと言わなかったわよ」



冗談の続きで何気なく口にした言葉。



「……アルバート……さん?」



途端。

テリュースの顔色が一瞬にして変わったことに気づかないキャンディ。



「ほら、アルバートさんが以前記憶を失って病院に入院していたでしょ。あの時よ」







当時、キャンディはテリュースにアルバートがたらい回しにされ、キャンディのいるシカゴの病院に運ばれてきたことを詳しく伝えてあった。







「やさし~いアルバートさんは私の結んだリボンにちょっと苦笑いして、ありがとうキャンディって。誰かさんとは大違い」



「悪かったな。優しくなくて。」



不機嫌な声。



片付けをするキャンディの横顔にテリュースの視線は注がれてはいるが、テリュースの意識はそこにはなかった。



キャンディの言葉を聞いたその瞬間、テリュースは雑誌『イグナイト』で見た"仲の良さそうなキャンディとアルバートの微笑み"だけを見ていた。

 


キャンディがずっと会いたがっていた『ウィリアム大おじさま』



…………それはアルバートのことだった。



"キャンディは今どんな気持ちでアルバートさんを見てるんだ?"



昔から知っていた人が、養女にしてくれた恩人だった。………ありえないくらいの物語。



「なぁキャンディ、アルバートさんとはどうなんだ?」



テリュースの声が揺れる。



スザナのことはもちろん、ニューヨークのことや芝居の話題を持ち出さないキャンディ。それなのにテリュースがアルバートのことを責めるのはおかど違いなのはわかっていた。



「どうって?何が?」



キャンディはきょとんとする。



「アルバートさんの記憶はもどったのか?それとも記憶を失っているというのは嘘だったのか」



それでもどこか責めるような言い方だった。



「記憶を失っていたのは嘘じゃないわ。すっかり記憶は戻っ……」



言いかけて、はっとするキャンディ。



キャンディは重大なことに気がついた。テリュースはアルバートの記憶が戻ったことも彼がウィリアム大おじさまであったことも知らないのだ。



その事実を伝えたらきっと、テリュースも喜んでくれるだろう。テリュースもアルバートを好きだから。



キャンディは手を止め、テリュースの座っている椅子に対面するようにベッドに腰をかけると、ふたりの視線が絡み合う形になった。



「テリィに話しておかなきゃならないことがあるの。アルバートさんに関するとっても重大なニュースよ。テリィもきっと驚くわ」



病室の中にキャンディの声がふわりと浮く。



「私がずっと会いたがっていたウィリアム大おじさまのこと、テリィも覚えてるでしょ?孤児のわたしを養女にしてくれたアードレー家の総長よ。その大おじさまが、実はアルバートさんだったの」



「・・・・・・」



キャンディの屈託のない告白に、テリュースは自分でもわけのわからない怒りを体内から逃がすために深呼吸をひとつ。



「テリィ……驚かないの?もっと驚くと思ったわ」



キャンディはテリュースがキャンディの告白を聞いても冷静なことに驚いた。もっともっと驚くと思っていたから。



「キャンディ、それはアルバートさんの記憶が戻って、君を養女にしたのは自分だと告白したということなのか?」



「いいえ。自分から話してくれたんじゃないわ。アルバートさんは記憶を取り戻した後、一緒に住んでいたアパートから出ていってしまったの。行き先も告げず、正体もあかさずにね。だからわたしは、いろんなところを探し回って…………。でもどこにも見つけられなかった……」



その話を聞いて、テリュースはキャンディが嘘をついてるとは思わなかった。アルバートは本当に記憶を失い、キャンディと暮らしていたのだろう。やがて記憶を取り戻した彼は自分がキャンディの養父であることも思い出し、その秘密を守ろうと黙って去ったのだ。





「それでね、そんな時に突然ニールと……。ほら、ニール・ラガンっていたでしょ。彼と無理矢理婚約させられそうになって……」



「ニール・ラガンって、あのニール・ラガンか?アイツがなんで君と婚約するんだ?」



突拍子のない話にテリュースが眉をひそめた。



「今でもわからないわ。たぶん思い通りにならない私に腹をたてて、言うことをきかせようとしたんだと思う」



キャンディはそんなことを言ったが、テリュースはそう思わなかった。ニールの気持ちがわかりすぎるくらいわかったから。あのニール・ラガンという男もキャンディを愛してしまったのだ。キャンディといると心が軽くなる。なぜか幸せな気持ちが溢れる。それに気づいたのだ、ヤツも。



押さえようとしても押さえきれない激しい怒りがテリュースの心を取り巻く。



『キャンディがあんなヤツと婚約させられそうに?いったいアルバートさんは何をやっていたんだ。』



八つ当たりに近いが、怒りのやり場がアルバートしかなかった。



鋭くなったブルーグレーの瞳をまっすぐにとらえてキャンディが言う。



「ラガン家もアードレー家の一族なの。卑怯なニールが、わたしと婚約できないなら志願兵になると言って大おばさまたちを動かして。わたしを救えるのは……その決定を覆すことができるのは、総長の大おじさましかいないのよ。だから秘書のジョルジュが禁を破って、ウィリアム大おじさまと会わせてくれたの」



「まさかアルバートさんはその婚約を知らなかったのか?」



「大おじさまに言えば反対されるに決まってるわ。だから、大おばさまはニールの言いなりになって、秘密裏に婚約パーティーを開こうとしたの」



「……わからないな。その"大おばさま"は、アルバートさんとどういう関係なんだ?なぜアルバートさんではなく、ニールの味方をする?」



「それは……。アードレー家の家系は複雑なの。ウィリアム大おじさまの正体は一族にもずっと秘密にされていて……」



キャンディはアードレー家の系譜についてどれから話せばいいのだろうと口ごもった。そんなキャンディにテリュースが思い出したように言う。



「そう言えば、昔、俺が手紙で君にアードレー家の系譜について尋ねたことがあったが、君からの返事はなかった。部外者に話してはいけないという不文律でもあるのか?」



「不文律?そんなものはないけど……、テリィ、私にそんなことを尋ねたことがあった?それっていつのこと?」



「君が、病院に入院していたウィリアムというじいさんを大おじさまと勘違いしたことがあったと手紙で話してくれた時だ。俺はアードレー家一族について教えてくれと次の手紙に書いた……。君からの返答はなかったがね」



「…………アードレー家について……?」



テリュースの言葉に棘を感じて、キャンディは小さく呟く。思い出そうとするが、まったく心当たりはなかった。



「……記憶にないわ」



「覚えてないのか。俺は君を養女にした人のことを知りたかった。君の家族や親族についても」



君のすべてを知りたかった、とはテリュースは口にしなかった。



「…………テリィ……」



「俺は君からアードレー家の系譜について教えてもらえるのを楽しみにしていたんだぜ。なのに、1ヶ月後に君から届いた手紙には、みんなでピクニックに行ったことしか書いてなかった」



キャンディにとってはアードレー家について教えてくれという自分の問いかけはそれほど取るに足らないことなのか。

手紙の問いかけを無視した形のキャンディに、肩透かしを食らった気分になったあの時。



「テリィ、ごめんなさい。思い出せないの。でも、1ヶ月もあなたに手紙を書かなかったことなんてないわ。わたし、当直のたびに手紙を書いていたもの。夜になるとあなたを思い出して話したくて…」



「当直のたびに……?」



「そうよ。お昼はアルバートさんと暮らしていたから、ひとりきりになる時間もあまりなくて……。だから当直の夜にはいつもあなたを思いながら話したいことを書き綴ったの。そして勤務が終わると帰り道にある郵便局に手紙を出しに行くのが日課みたいになっていたわ」



「月に1度くらいではなく、か?」



「違うわ。週に何度も出していたわ。何を見ても、何をしてもあなたに話したいことばかりだったから」



キャンディにとっても何よりも大切だった「手紙のやりとり」



『テリュース・グレアム』としてブロードウェイで活躍する彼が、『テリュース・グランチェスター』としてキャンディに送る手紙。







そこには、ブロードウェイのスターとしてではなく、キャンディのよく知る『テリュース・グランチェスター』としての素顔が隠れていた。彼自身もセント・ポール学院にいた『グランチェスターの頃』を大切に思ってそう署名しているのだとキャンディは思っていた。



ストラスフォード劇団に入団してからはふたりだけの秘密になったグランチェスターという名前。アメリカでは誰も知らないはずのテリュースの本名。だからキャンディは、もらった手紙はグランチェスターでも、手紙の宛名は『テリュース・グレアム』と記していた。



それほどに大切なふたりの手紙のやりとり。



「中にはすごく短い手紙もあったけどとにかくたくさん手紙を書いたわ」



「……なぜだ。俺は君からの手紙をそんなに受け取っていな……」



そう言いかけて、ハッとしたように口をつぐむテリュース。



『テリィ、あなたからのラブレターが欲しいの。』


『こんなに近くにいるのに手紙なんて何を書いたらいいんだ?』


『何でもいいの。思っていることとか、私への思いとか。だってあなた、たくさんの手紙を書いてたじゃない!』



ガツンと後頭部を殴られたような衝撃。あの時感じた違和感に息が止まりそうになる。



誕生日のプレゼントに『手紙』を欲しがったスザナ。花でも宝石でもなく。



俺がひんぱんに手紙を書いていたのをスザナはなぜ知っているんだ?



まさか─────⁉️



「キャンディ。逆に俺が君の手紙の問いかけに答えなかったことはあるか?思い出してくれ。重要なことなんだ」



テリュースの真剣な声だった。



キャンディは少し考えてから思いきったように話し出す。キャンディの瞳にあの頃の風景が浮かぶ。



「……それなら……あるわ。ほら、覚えてる?五月祭の時、私に結んでくれたテリィのタイよ。それを今も大切に持っていることを伝えて、返さなくていいかと尋ねたことがあったわ。けれど、あなたからの返事はなかった。その話題には触れもしなかった」



言葉は発しないが、怒りの炎がテリュースの瞳に燃え上がるのを見て、キャンディはあの頃感じていたことが間違いであったと気づく。



「それに……。私がシカゴで、ステアの作ったオンボロ飛行機に乗せてもらったことを手紙に書いた時よ。スコットランドのあなたの別荘で、ステアたちみんなと飛行機を引っ張ったことを覚えてるかって尋ねたけど何も答えてくれなかった……。あの時より高く飛んだのよってわたし、言ったのに」



そんな手紙、見ていない‼️

テリュースは拳を握りしめた。



「・・・・・・なんてことだ!」



手紙のやりとりを始めた当初、キャンディのからの手紙はかなり頻繁に届いていた。アルバートさんに作った夕食のこと、病院であったこと、他愛ない話題ばかりだが、キャンディの日常が書いてあって、テリュースはその手紙を大切にしていた。そして次の手紙が届くまで胸の内ポケットに入れて持ち歩き、休憩中には何度も読み返したものだった。諳じられるほど。



しかし、ある時から急にパタリとキャンディからの手紙が少なくなったことにテリュースは気付いていた。



だが、キャンディは仕事で忙しいのだろう、テリュースはそう思って深く考えないようにした。



しかし今、冷静になって考えれば。



いつからか、受け取ったキャンディからの手紙はすべてアパートのおばちゃんが手渡してくれたものではなかったか?



アパートの郵便受けに入った手紙はどこへいったんだ?





スーッと。

どこかへ流れ落ちて行くような感覚にとらわれるテリュース。



スザナ─────‼️

そんなことまで────。 



テリュースはすべてを納得する。



そうだったのか‼️



テリュースの言葉にキャンディも何かを感じ、共犯者のようにその瞳を見つめた。



たくさんの手紙を書いてくれていたキャンディ。そこにはテリュースの知らなかったキャンディの毎日がイキイキと綴られていたのだろう。それを読んで笑ったり、ハラハラしたりできたのだろう。もっとたくさんの時間を。



過ぎ去った時間。取り戻せない手紙。



しかし。



それほどにキャンディは思ってくれていたのだ。いつも思い出してくれていたのだ。



それだけで十分だった。キャンディは俺のことを──────。




身体の表面上の傷というものは不思議なもので、いつか治る。今も無数にあるテリュースの残酷な傷は日に日に良くなっていて、いつかその傷は痛みを失い、傷跡を残して忘れ去る時がくるのだとわかっている。



けれども表面上見えなくても『心の傷』は、それを受けた時の空間、関わった人物、何かのキーワードで、古くても、シクシクと『傷』が痛み出すのだ。



目には見えなくても刻まれた過去の傷はいつまでも追いかけてくる。



テリュースの古傷。



愛されなかった自分。価値のない存在。



父にも母にも、誰にも愛されず、捨て去られていた幼い頃の記憶。



そんな傷がいつも彼を苦しめてきた。



しかし。

テリュースは今、キャンディの言葉に、過去の古傷が幻想となって消え去るのを感じていた。



キャンディの深く強い愛に包まれて。



愛されている自分が確かに存在するのだから───。






次のお話は

  ⬇️

https://ameblo.jp/candycandyeternaljuliet/entry-12790525484.html 




つたない私の物語を読んで下さってありがとうございます💕深く深く感謝しています。


わたしは。

テリィに────。

『与えてあげたいこと』『与えてほしいこと』のふたつがあります。


今回のお話は、そのひとつ、『与えてあげたいこと』についてです。


FSにあるテリィの『ハムレット』公演の大成功。現実社会なら、テリィの俳優としての才能、努力で成し遂げられたはずです。


でも、私はそのテリィの『成功』を読んで少し悲しい気持ちになりました。それは、テリィがロックスタウンでキャンディと別れてから、ブロードウェイに戻り、スザナの闘病を支えながらつかみとった栄光。キャンディへの『愛』を超えて成長したテリィがそこにいると思えるからです。別れの辛さをも乗り越え、成長したテリィ。


人としては素晴らしいことですが、私はテリィにキャンディを『過ぎ去った愛』『乗り越えた過去』と思っては欲しくない、ハムレットの成功には『キャンディの存在、キャンディへの愛』がその時も色濃く生きていて欲しいと強く願っています。


永遠のジュリエットの中で、ロックスタウンから『再起』をかけて戻ってきたテリィに『マイガール』での成功を与えました。でもそれは、テリィが自分の心を捨て、役に乗り移ることで得た評価に過ぎません。そんな小手先のやり方では真の意味での『大成功』はありません。


FSの中のハムレットの公演成功の時にキャンディはテリィのそばにいないのですが、私はなんとかしてテリィの『ハムレット』にキャンディが影響を与えて欲しいと考えました。


それが今回のサウザンプトンのシーンです。これも足跡🐾です💕


キャンディは、ロックスタウンで、別れの辛さに自暴自棄になっているボロボロのテリィを見ています。『こんなになるほど私を(キャンディを)愛してくれていたんだ』とキャンディは痛感し、テリィの深い愛を再認識します。


しかし、テリィはどうでしょう?


*あっけなく身をひいたキャンディに。

*手紙を書いてもあまり返事をくれなかったキャンディに。(実はスザナがキャンディから来た手紙を隠していたからなのですが)

*はっきりと口にして愛を伝えたことのないキャンディに。


テリィはキャンディの強く深い愛をしっかりと理解していたでしょうか?


もちろん、頭のいいテリィは、理性では理解していたと思います。テリィのことを愛するがゆえ、身を引いたのだと。


ですが、テリィは幼少の頃から、『愛に餓え』真の意味での『愛』に触れてこなかった少年です。キャンディの深い愛を頭ではわかっていても『感情』では正確に理解できていなかったのでは?と考えました。


私は、テリィに、はっきりとキャンディからの『真の愛』を受け取って欲しいと思っています💕

キャンディの真の愛を知り、自分がキャンディから愛されていることを知ったテリィが演じることによってはじめて、深く豊かな本物の『ハムレット』になると思うからです。


そのための足跡🐾であるサウザンプトン✨


キャンディはテリィに数えきれないくらいの手紙を書いていたのです。テリィを思いながら。もしかするとテリィがキャンディに書いた手紙の数よりもたくさん。キャンディは手紙を書くのが大好きな女の子ですから。


もうテリィはそれをちゃんと「知った」のです💕キャンディに愛されているのだと。


こんなストーリーもありかな✨そんな風にお許しいただけましたら嬉しいです💕 ジゼル








PVアクセスランキング にほんブログ村