とても生きてる心地がしなくて、
自死と向き合う投稿サイトを読んでいた。

読んでいたら、自分も気持ちを書き出したくなった。



自分の人生だから自分の好きなことをした方がいい、自分の納得いくようにした方がいいと言われても、ピンと来ない。

自分の今やりたいこととは、
鬱病があって寝込むことがあるから出来ないだろと言われ、
夫に俺だけ苦労するのはイヤだとも言わた。

結婚前の鬱病になる前は、
頭ごなしに親に「出来っこない」と無能のように言われたり、
私の容姿から、そのことをやる資格がないようにも思わされ、
決して高望みではない「様々なやりたいこと」だと思うけれど、
第三者が見れば私の「様々なやりたいこと」は、
どれもこれも高望みなんだろうな。

人生ずっと、私にはそういうことしか起こらないから、生きてる意味とか甲斐とか、分からない。

私が死んでも誰も困らないし、
そもそも私の力って、鬱病だから出来ないこと多いんだろうし、
容姿から不似合いだから、したら可笑しいことが多いんだし、
あれもダメこれもダメで自死もダメなんて言わないでほしい。


なぜ、色々諦めることを選ばせておいて、生きることを諦めてはいけないのか。

鬱の波で寝込んでは、「出来ない·出来てない」を自分で目の当たりにして、
どんなに工夫しても、寝込まないような結果には至らない。

色んな苦労があって努力してきた。
そして、苦労がイヤなのではなくて
大変でも構わないから乗り越えようと努力して、
そのガンバった結果、処理する力が付いていたり、思いやる心が養われていたり、周りを見る力が養われていたり、プラスになっていることがあったとしても、
私が望むことは、鬱病だからそれはダメ、不似合いだから可笑しい、そんなこと出来っこない、ってなる。

努力を忘れず生きていても、結局最後は鬱病でそれを全うする力がないと言われて、なぜ生きなくてはならないのだろう。

生きる力がない、
お世話をする力がない
私は、そんなに至らない人間なんだ


●したいのに出来ない
●したいけどしない
●したいのにさせてもらえない

どれも意味が違う。



「自分の人生なんだから・・」と言うけれど
周りの私の評価は、それと辻褄が合っているのかな。