子どものための教育学
実践編(☆:著者 T:教師 C:子ども P:親)
14 初めの一人と真似する愚か者
まず、基本は人に迷惑をかけないということです。
そして、目にした行為が、自分とどんな関係になるのかと言うことです。
また、その行為者が、自分にとってどんな存在であるかと言うことです。
人に迷惑な行為であれば、なんとかしなくてはいけません。
それが迷惑になっていることに気づいていないかもしれません。まず、迷惑になっている事実を伝えることです。自分にとって迷惑な行為であれば、怒れるかもしれませんが、学校で発生(発声)する注意報(注意砲)は、決まりを破っているという場合が非常に多いようです。
直接自分に危害が加わるようなときは、ケンカになったりします。
しかし、自分に関係のないときなど、気づかなければ、何事もなく過ぎていってしまうのです。
つまり、その出来事を無視していても、何も変わらないのです。もちろんそんなことしたら悪いことしたい放題のクラスになるのではないかと心配されそうですが、それはまた別問題です。
そして、迷惑を変えていることを伝えても、聞き入れてもらえないときには、先生にそのことを伝え対応してもらうしかありません。
目的は、自分の言うことを聞かせるということではなく、迷惑な行為を無くすと言うことです。怒る必要はないのです。
そして、その子が自分と仲良しなのか、よく知らない子なのか、仲の悪い子なのかによっても違います。
同じ悪いことをしていても、仲良しの子であれば、許せちゃうかもしれませんし、仲の悪い子であれば、ここぞとばかりに、注意という名目で攻撃することができるかもしれません。
そうなると、目的は、よくしていこうではなく、「やっつけてやろう」になりますから、当然、険悪な空気になりますね。
そう考えたとき、一番のポイントは、「気持ち」です。
どんな気持ちで、言うのかによって、クラスの空気は大きく変わるのです。
わかりやすく言うなら「心配だったら教えてあげる」と言うことです。
怒った『気持ち』でいうときは、言葉の内容がどれほど正しくても、その行為は正しくないということなのです。「怒った気持ち」=「けんか」と考えたらわかりやすいと思います。
自分から進んでケンカしていることと同じになりますので、自粛学級委員はやめた方がよいということです。
学級経営として、大切なことは、よりよい自分を目指す学級作りです。
人のために行動することが、尊く、一番得する生き方であることを子どもが意識できるかどうかです。
子どもに意識させるためには、まず教師がそういう生き方をしなくてはなりません。
例えば、掃除をさぼっている子がいたとします。
それが許されると、ちゃんと掃除をしている子どもは「ずるい」と感じます。それを注意したりする場面も出てくるでしょう。
これは、よりよい自分を目指していないからです。
自分よりも価値の低いことをしている子どもに憧れているため、サボっている子を見ると「ずるい」と思ってしまうのです。
『そんなこと当たり前ではないか』と考える大人もたくさんいます。
しかし、掃除をしている目的は、きれいにすることです。
つまり『きれいにすることができる自分は、なんと素晴らしいのだろう』となるわけです。そう捉えられた子どもは、もう他人は関係ありません。人が何をしていようが、自分は、お世話になっている教室をきれいにするのだと生きればいいのです。
ところが、現在の日本の教育も社会も、『自分が得する』『自分が楽する』ことを目指して成り立っています。
テレビのCMをみれば、「お得!お得!」「無料~」「0円」「ポイントプレゼント」と、なんとかお金を使わせようと垂れ流されています。
「今だけ、恵まれない国の人に30000ポイントが贈られます。」などとやっても、見向きもしないでしょう。
「自分さえよければいい」という文化のなれの果ての姿ではないでしょうか。
『人に喜んでもらう生き方を目指す』『よりよい自分を目指す』なら、それこそ、掃除をさぼっている子どもがいたら、「よし、あの子の分まで私がきれいにしてあげよう」と思えるはずです。
だったら、サボっている子どもがよくならないではないかといわれそうです。
そうです。サボっている子どもはよくなりません。
しかし『人のために行動することが、尊く、一番得する生き方であること』を目指す中での出来事であるなら、やがてサボっている子もサボらなくなります。
悪い意味でもいい意味でも、日本という国は、みんなと一緒でないと不安になるのです。
まわりのみんなが、人のために行動し始めると、その空気の中では、自分も同じような行動を取るようになるのです。そのためにはたくさんの時間が必要ですし、何よりも担任教師の粘り強い取り組みが必要です。
そして『人のために行動することが、尊く、一番得する生き方であること』を目指し始めると、悪いことを真似することが愚かに見えてくるようになります。
つまり、「できない」からやっていない子がいても、それを真似しようとは誰も思いません。
そうなると、教師としては、「できない初めの一人」は、許せばいいのです。できないのですから、できるようにさせるのが教師の仕事になります。
そして、できない子を真似することは、絶対に許せることではありません。
できない子を真似するということは、できるのにやらないことになり、『よりよい自分』とは正反対になるからです。
したがって、悪いことを真似する子どもの、お決まりの文句は「だって○○くんもやっている」なのです。
「だって、○○くんも」と自分より悪い例を出して言い訳をする子どもが目指していることは「自分さえよければいい」であり、自分より低い存在を設定することで、自分は変わることなく、楽して自分の位置を高くしようとしている一番「ずるい」存在になるのです。
どうか先生方、『掃除をさぼる子』『宿題をやらない子』が、『ずるい存在』になるのではなく、『掃除を頑張れて』『宿題ができて』うれしいという学級作りを目指してほしいと思います。