縄文時代に縄文人・・・・と聞くと
なんとなく原始的で野蛮なイメージを持たれる方がほとんどだと思います。
だけど、
今、再度見直していくべきなのは縄文精神。
縄文時代とは、日本で発展した文化の時代で、約13000年も、続いたとされます。
なぜ、こんなに長い期間「縄文」は続いていけたのでしょうか。
それは現代人とまったく違う価値観と、
もはや今は衰退してしまった体の器官を使って生きていたからです。
たわごととして聞いてください。
・・・・その器官とは「こころ」です。
五感と同じように、「こころ」がありました。
現代の考古学によると縄文時代は
・争うことなく、先祖の教えを守り、問題は長老の経験を参考にすることによって集団がまとまっていたそうです。
・ねたきり小児マヒの子供であっても、集団介護により、ほぼ寿命まで生きたミイラも見つかっています。
・縄文土器からは、祖霊・精霊を感じ取れる精神がすぐれていたと考えられています。
・動物や山を非常に大切にし、共生してきた軌跡が見られるそうです。
・縄文文化を引き継いでいるといわれるアイヌ語には「ペッパル」という言葉があり、
現代の「河口」の語源ともなっているそうです。
つまり先人は、「河口」は肛門のように、排出物が海へと出る出口としてではなく、
口のように「いのちが入ってくる入口」ととらえていたのではないかということです。
鮭などはまさにそうですね。今の地球は「河肛」ですが・・・。
いま、私たちが考えている
「こころ」とは、
「私は~~~と思う」「私は~~~と感じる」というようなものだと勘違いしているのです。
本当は脳の活動「思考」によっているのに
擬似的な「なんちゃってこころ」を
「ほんもののこころ」だとご認識し、すっかり慣れてしまいました
20世紀最大の思想家と言うわれる
ロシアのゲオルギイ・グルジエフ が「クンダバッファー装置」と呼んだものこそ
この「なんちゃってこころ」のことだと感じます。
(クンダバッファー:自己防衛や保身のための反射機能が自動的に頭を動かすことらしい)
または「アダムとイブのりんご」 ともいえるでしょう。(善悪の知識の実)
古事記では「ツクヨミノミコト」という言霊にもこの意味が一部包括されております。
(イザナギノミコトが、論理中枢である左脳と関連する右目からツクヨミノミコトを生んだとされる)
穢れなき縄文人という神人が、根源神に近づくために、離れる必要があったのです。
(よくなるために悪くなる。災い転じて福となす。陰極まって陽になる)
それらに一役買ったのが
これら「なんちゃってこころ」「クンダバッファ」「リンゴ」「ツクヨミ」という学びでした。
これにより時代は
「勝ち組」・「紛争」・「他が為という名の我が為」・「統治」「・「崩壊」など・・・・
学びの弥生時代へと移行していきます。
学びのベクトルは今も引き継がれています。
昨日 西部警察でおなじみで石原軍団の俳優
苅谷俊介さん(考古学者でもあります) から素敵なお話を聞くことができました。
「過去を知ることは、未来を知ることなんです。
核のない世界・戦争のない世界・征服ではなく共生する生き方は、縄文時代にあった。
ならば、縄文を知ることで、私たちの未来につながる学びになるのです。
確かにもう縄文時代に戻る事はできないけれど、彼らの精神を受け継ぐことはできる。」
自称「縄文人の生き残り」とおっしゃるだけあって、
骨太な骨格、コユイ顔。だけど見た目とは裏腹に
少年のような瞳、やさしいハートの素敵なお方でした。
「勝ち組」から「共生」へ
「紛争」から「認め合い」へ
「他が為という名の我が為」から「全体としての個を大いに発揮」へ
「統治」から「参考」へ
「崩壊」から「循環・受け継ぎ」へ・・・
弥生時代から始まった学びのベクトルはあまりにも遠く離れすぎました。
もうそろそろ根源への回帰へと向きを還るべきです
私たちの遺伝子の中には「縄文の記憶」が残っています。
だからきっと大丈夫。
縄文人にあった「こころ」とは
「いのちをバトンタッチして受け継いでいく為の智慧」なのです。
13000年の歴史が魅せてくれています。
苅谷さんが書かれた縄文エッセイです。
ご興味をもたれた方はぜひご覧ください。
http://www.tutibutai.com/images/archeology/essay/essay_joumondoki.pdf



