大切なものと向き合う。


時間がかかっても、苦しくても。


25年の人生でわかったこと。

いまがどんなにしんどくても、その先にあるものの心地よさが、輝きがちゃんとわかっていれば、怖くない。

いまを頑張れる。

わたしは、わたしのなりたいわたしになりたい。

世の中にある色んなものを楽しみたい。

楽しんだもの勝ちって、そういうことだと思う。


古きものにとっくりと浸る。

子どもたちと向き合い、自己をきちんと実現できるように寄り添う。

たくさんの物語を見出す。

そのために、勉強もする。

英語でコミュニケーションをとりたい。

いろんな国でいろんなものを見て、食べ、人と会いたい。

大切な人を、ずっとずっとずっと大切したい。


そう、大切な人。

わたしの夢もあるけれど、彼の夢もおもしろい。

叶えてほしい。

それが叶うとき、隣にいたい。

そう思えるきらきらを抱える人と出会えた幸せ。

きちんと愛せるわたしでありたい。

日々が刻々と進んでいく。

その早さもわからないまま、いまはただ明日を考え、今日と向き合い生きている。

息をつくのが怖いのかも。

でも、帰りのバスでふっと体が緩むとき、少しばかりの高揚感と安堵がいつも身を包む。

最初の3日間はトイレで泣きそうだったけど、

やっぱり「学校」という居場所が好きだ。


先がどうなるかなんてわからない。

日常に流されて、たゆたうだけの人生は嫌だ。

わたしはわたしのできる限りのことをやりたい。

漠然とした不安と戦いながら、漠然とした不安が生じていることに励まされたり。

日々の忙しさのなかでも自覚的に生きる。

そうやって生きていく。

寝ぼすけで、雪は見られなかったけれど。

ざあざあ雨が降っていて、家にこもっていると、世界が雨によって1つ1つ切り離されているような感覚になる。

静かで、でもあたたかい、そんな冬の1日。


パジャマのまま、パソコンに向かって、

さて、アロマでも焚きましょうか。

ゆっくり、のんびり、自分のために時間を使いたい1日。

大人になるにつれて、本を交えてコミュニケーションをとることが多くなった。

何かの折に本をプレゼントしたり、

人生の指南書を貸してもらったり、

本の話題でものすごく盛り上がったり。

そのたびに自分にはまだまだ読んでいない本、そこに記されている知らない知識が山のように積まれていることに気付かされる。

それに怖気づくときもあるけれど、一冊を読破したときの達成感は何物にも代えがたい。


大学院生活を送るなかでは、いままで以上に多くの本に目を通してきた。

研究や国語教育に関する本が格段に増え、

でもそれに比例するように小説もたくさん読んだ。

本を通してコミュニケーションをとること機会が以前にも増して多くなった。

そのなかで本を贈られる機会ができ、大切な本がいくつかできた。


M1のときに授業を履修していた先生と大学ですれ違い、就職のご報告をしたら、先生が自らお書きになった本をプレゼントしてくださった。ちゃんとサインもつけて。

博士の先輩と古書店めぐりをしたとき、最後にそっと買っておいてくださったいただいた。

そのスマートな渡し方にも感動したけれど、大切に読もうと思う。

大学4年生のゼミの夏合宿、それまではあまり話したことがなかったけど、お互いに院試を受けることは知っていた。

研究テーマを聞いて、その当時ラクロスしかしていなくていま以上に無知だった私は、絶対敵わないと思っていた。

修士1年でたった1人の同期になって、やっぱり私より断然知識があることを感じていた。

やっぱり勝てない。

でも、勝ちたい。

そんな思いがあったはず。

いままで学生時代に真面目にこつこつ勉強したことがなかったのに、紀要に文章を応募することになって、初めてこつこつ書いた。

相手が載って、自分だけ載らないのは嫌だと思った。

結果、自分だけが載った。

そのころから相手の歯車が狂いだしているのは感じていた。

ゼミに遅れてきたり、発表資料がきちんと準備されていなかったり。

でも、先生は相手をセンスがあると褒める。

そして、私は自分がセンス系でないことは重々承知している。

だから、油断していたら相手が復調したとき、一気に追い抜かされると思っていた。

しかし、なかなかスランプを抜け出せない相手がいた。


そして、修論提出間際、相手はいま大きな決断を下そうとしているのかもしれない。


その可能性を聞いたとき、「そんなこと言うなよ」と思った。

言わないけど。

私は1人では走ってこれなかったことを痛感した。

やっぱり相手がいたから、私は走っていられるんだ。

つくづくマラソンには向かない。


いまでも相手のことをセンスがあると、私は思っている。

長い、ながーいスランプに足を突っ込んでしまっただけで、知識は私なんかより断然多いし、いい先生になると思う。

もしかしたらもう1年やったら、ものっすごくいいものが、それこそ私なんか到底足元にも及ばないものができるかもしれない。

でも、やっぱり一緒に修了したい。

もともと1人でいたのと、2人で頑張ってきたのは全然違うよ。

これは私のエゴかもしれないけど、

それでも私は相手にいま、エールを送らずにいられない。

ずっと走ってきた道が終わるとき、

その道を愛おしいと思えるようでありたい。

走ってきた道で出会った仲間と支えあえたこと、

転んで怪我して、ときにはうなだれたこと、

どうしようもなく嫌になりそうで、逃亡したこと、

それでも、その道を走ることの楽しさを味わえたこと、

そして、ちゃんと走りきれたこと。


すべてが走った道のうえにちゃんとあって、

すべてがいまの自分を創っていること。


たくさん道があるなかで、この道をただ走ってこれた。

本当によかった、といつでも思えるようでありたい。

2008年のこと。


☆大学院

紀要別冊のための文章を書いてから、自分のなかでの研究モードが一気に高まった。

修士論文も早めに着手できたし、いまは苦しいけれど、いい修士論文を書きたいと思えるようになった。

素敵な先輩や、優しい後輩、親身になってくれる同期。

そして、尊敬する先生のもとで学べたこと。

修了まであと少し。

いま、大学院に進学してよかったと心底思える。


☆勤務

全然違うタイプの生徒たちとの格闘。

結構たくさん傷ついたし、たぶんあんまりちゃんと指導してあげられていなかった。

返却物もたまっているし。

彼らのことも、気づかないあいだに傷つけたりしているのかも。

でも、いっぱい一緒にいるうちに楽しさもやっとわかってきて。

彼らのよさも見えてきた。

『言葉の力』ではいっぱい一緒に考えて、

スピーチでは知らなかったことを教えてもらって、

駄目だしされながら。

むかっとするときもあるけれど、

それでもやっぱり、ありがとう。


☆恋愛

うまくいかなくて、もがいて、苦しくて。

どろどろした気持ちの渦に何度も押し流された。

3度目の失恋をきっかけに、ちゃんと前へ進もうと思えた。

もうきっとしばらくは会わないけど、

そして私は次の恋をするけれど、

いつかちゃんとありがとうをいえるといいね。


☆そのほか

泣きたいときには側にいてくれたり、

相談してくれたり、

お酒を飲み交わしたり、

いっぱい一緒に笑った大切なすべての友達に感謝。

5月に、隣の研究室の先生が亡くなった。

今年から就任された先生で、まだあまりご指導を受けていなかったが、

先生の講義には聴講生として時々出席していた。

見るからに真面目で、講義に対して手を抜かない。

自らのご専門について事細かに説明され、様々な文献を資料として配布されていた。

そんな先生の死はあまりにも突然で、受け入れがたいものだった。


秋になると先生の研究室の整理が始まり、先生と同じ専門の学生はご遺族のご好意でいくつか本をいただけることになった。

私も実際に6冊ほどの本をいただいた。

いままでは図書館でしか閲覧できなかった文献が自分の手元にあることは、言い知れぬ喜びを感じさせた。

また、先生のご意志を継ぐような思いも生じた。


修士論文の提出も近づいてきたこの時期、ふと執筆の途中で先生からいただいた本を開く機会があった。

年末で家にこもって執筆を続けたいときに、どうしても文献が必要で、

先生からいただいた本がちょうどその内容にあてはまっていたのだった。

最初に調べ物をしているときには気づかなかったが、本を閉じてふと見ると、ページとページの間に不自然な厚みがあった。

何かが挟まっているようだ。

開いてみると、そこにあったのは新書についてくる新刊案内と、感想を書いて送る用のはがきであった。

「なんだ」と思って本を閉じようとして、はっとした。

先生はこの本を開いたことがなかったのだろうか。

いや、違う。

きっと、開いたけれど、あるがままの形で保管していたのだ。

確かに、他の本にも薄く白いカバーをかぶせる先生ならやりかねない。

思わず、先生の几帳面さに触れた気がした。

とりあえず、いまはがーっと集中したい。

煩悩ばっかりだけど。

もやもやしていることとか、自分の嫌な面とか。

うまくいかないこととか。

考えちゃうと、物凄くへこみだしそうだから。

いまは、がーっとがんばる。


全力疾走しちゃえば、周りの景色なんて見えないんだ。

いまはそれでいいのだ。


夢だって、やりたいことだってある。

やり遂げなければならないこともある。

前だけを見て。

前だけに向かって、いまは進む。

失恋したら髪を切るのは常套手段ですが、

それとおんなじ気分で、思い出を一回振り払おうと思います。

結局、私にはゆるやかな方法が通じなくて、強制的に過去を引き剥がすことしかできなかった。

でも、これで新たな一歩が踏み出せるなら、

新しい幸せに向かって走っていく勇気がもてるのなら、

望むところです。