*お笑いが(いつもと違い)80%欠如しております。ニンマリしたい方はスルーして下さい*
「お茶らけ話」ではなく「お茶らけは無し」なんですよーん!

◯と△と□の世界が広がっている。

僕は川のほとりに座り込み、東方からの陽だまりの輪の中にいる。風はピタリと静止したまま気配を消している。

久しく雨の途絶えた川の流れは穏やかで、微かなせせらぎが聞こえるだけ。

正面に鎮座する山の右端に茂る尖ったスギ木立ちと混色し忘れた空との境界線が、悲嘆にくれたあげくの叫びのような山谷を形作り、ギザギザの噛み合わせを失った歯車のようだ。

対岸の小さな川の合流にある渕で優雅に泳ぐマガモが言う、「1000年の昔から世の中は大して変わっちゃいないのかも・・・」と。

枯れた色彩の小さな羽虫が見えない壁と壁の間を行き来する。そいつは青空を背景にした時だけ姿をあらわす。乾いた石ころに影は見えない。左右上下全方向に歯向かうべき理由があるのか。




ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
「過ごした俺の時間は終わりもせず、いまだ、とぐろを巻くかのようだ」

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ浮かびて、久しくとどまりたるためしなし。
「掃き溜めに宿る俺の影は、折れ曲がりへばりつき、混沌を映すばかり」

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
「世の中にある富と欲望なんて、(それと)変わりゃしない」

堕ちてゆく俺の心に、「胸を張って、元気をだせ!」と、
安易に、呼びかける、人の軽薄さは、
どこまでもウザいものだけれど、

「それってマジか?」と聞けば、「だって死んじまえ!とは言えないから・・・」だってさ。

それでも去年の失敗を今年は取り戻す覚悟だ。なんてたって大失敗は小さな成功の始まりだ。

どん底とはこんなもんさ。

心は心、闇は闇だけど、囚われた心は、いつでもどこでも、闇雲にもがく様相。

心に泣き、心に笑うのは、ただ、陽に月に映る影。

わかんないよね、光に映り闇に消える影、どこにもあるようで、どこにもない。

まったくわからないよね、心に影を持ち、なんでまた、縛られなきゃならないんだ。

その、見える影と消える影など、迷いの中では、ただ、暗闇があるだけ。

影が見えれば背に光がある。振り返れば影は光の中。

(しかし)光を見続ければ、影が見えるはずだ。
闇とともにあれ! やがて陽はのぼる。

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と、日向ぼっこにうたた寝をする僕の3メートル四方のおはなしである。
真顔で語るのもなかなかスバラシイ体験である。当然下線部はカモの長明さんの「方丈記」である。最後の展開としては、真剣にマガモは西の空へ飛び立ってくれなくちゃいけないんだが、いつまでたっても、ケツをプリプリ振りながら泳ぐだけだ。こっちがクラクラしてきそうだ。(ねえ、一緒に写真でも・・・ねえ、君!)→プリクラかよ!(←それこそ、死後(死語)になっちまいそう)

*文末の「闇」はもちろん僕自身のことだし、「ともに」とは君のことなんだ。(本当は2じゃなくて3だけど・・・←これは面倒だろうが、問答だ。君がわかればそれでいい。他の読者には無用です)この頃、僕の落ち込みようと言ったら、情けなすぎてとてもじゃないが、君の顔を正面から見ることができなくなった。*

ああ、とても私的な話になったが、2015年の最初がこれじゃ、先が思いやられるブログである。(こんなことをいつまでも続けるより、早く次の出版に時間を使え!と自問するだけだ)

行きがかり上しょうがないので、今年こそ『あしゅらカブトムシ』をDLしてくれ!




あしゅらカブトムシ/SAGI Publishing

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↑いつも価格不明と表示されてしまうのは価格がUS$設定だからです。邦貨換算すると¥300くらいです。(「ほーか(そうか)」