母親という偉大な存在 | 大人の自由帳

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明日5月13日(日)は母の日ですが、母親が生きている頃には母の日を意識したことはほとんどなかったように思います。「親孝行したいときには親はなし」とよく言われますが、今になって納得という人も多いのではないでしょうか。
 

 

僕が初めて消防署に電話をして救急車を呼んだのは、中学三年生のある朝でしたが、母親が初めて喘息の発作を起こして動けなくなったんです。
父親は気が動転していましたが、冷静に消防署に電話して、家の近くのわかりやすいところまで救急車を迎えに行ったのを覚えています。

 

その時にですね、母親が朦朧とした意識の中で、絞り出すように「おかぁさ〜ん」って言ったんです。

その時はびっくりしました。

人間はそういう状況になった時、誰のことを呼ぶかといったら旦那でもなく息子でもなく母親なんだ〜って。

 

 

人間も動物も母親から生まれてきます。
魂としては別の個性ですが、肉体的には母親の体内にある期間滞在して準備をし、DNAを受け継いで生まれてきます。よく考えると凄い仕組みですね。

「子供を作る」とか「子供を産む」というように、日常会話の中では何の疑問もなく話していますが、その仕組みを最初に作ろうとした「偉大なる意識」には頭が下がります。

 

僕は曽祖父の名前を知りませんが、確実にその人は存在していたし、曽祖父にも親や祖父がいて、連綿と命のリレーが続いています。

もしその中の誰かが欠けていたら、たとえば生まれてすぐに病死していたとしたら、今ここに自分は存在していません。

そう考えると不思議な感覚になりますね。

 

 

それでも自分が存在して今もこうして生きているというのは奇跡です。

どのくらいの確率だとか数字にはできないものですが、こうやって生まれてきて今も生きているという奇跡。

それは母親がいてくれたことに他なりません。

 

もう僕は母親に何かをしてあげるということはできませんが、一緒にご飯を食べにいくとか、電話をするとか、花を買って帰るとか、言葉にできなくてもできることはたくさんあります。

「親孝行したいときには親はなし」にならないように、ぜひこのタイミングでできることをしておいてくださいね。

 

 

 

 

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