尊敬する人物を問われれば、答えは「ナイチンゲール」
まごうことなき私の中のナンバーワン
フローレンス・ナイチンゲール
今朝8時テレビつけたらNHKの朝ドラやってた
NHKは今や見ない
朝ドラもしかり
最後にみたのはあまちゃんだったかカーネーションだったか
で
この朝ドラに驚愕した
なんと看護婦さんの物語であり
その病棟がナイチンゲール病棟だったのだ
尊敬するナイチンゲールが設計したナイチンゲール病棟が舞台となってた
窓は縦長のダブルハング、ひとつのベッドにひとつずつ
日本でナイチンゲール病棟を初めて採用したのは東京慈恵医大である
だからそこが舞台のドラマなんだろうな、と思った
ナイチンゲールを尊敬するあまりレポート書いたこともある
一部抜粋↓
今から15年前の2011年
読み返してもナイチンゲールへの尊敬があふれてるって思う自画自賛させていただくと
この時は毎日毎日ナイチンゲールのことばっか考えてた
ナイチンゲールに関する資料をたくさん集めた
あるひ父が東京慈恵医大の文献を見せてくれた
そこにナイチンゲール病棟の写真が載ってた
当時
ネットにも芦屋市立図書館にもなかった文献だった
今、検索したらあっさりでてきた→看護の歴史|東京慈恵会医科大学西部医療センター
一部抜粋→「東京慈恵会医科大学の学祖・高木兼寛は留学先の英国セントトーマス病院で ナイチンゲールの看護を目の当たりにし、大きな感銘を受けました。」
東京慈恵医科大学の学祖・高木兼寛さんと同じくわたしもナイチンゲールに大きな感銘を受けた
セントトーマス病院にいったことはない
行ったのは伊丹市准看護高等専修学校(なんと、2021年に閉校…こういう学校を終わらせるのはわたしは違うと思う。友人のマサコさんは看護師であった「従姉が准看護婦になりたいんだけど、どうやって看護婦になったの?」って聞いたことがある。マサコさんは「え?看護婦ではなく准看護婦?それ簡単になれるよ」って言った。大学や専門学校に行って看護師になった人はそうなのかもしれない。でも、人生の途中で看護師を目指す人だっている。お金がない人だっている。看護師になりたい人がきっといる。そんな人たちのための准看護高等専修学校だったのに。わたしは斎藤知事にお願いしたい。海外事務所のすべてをなくしてくれてありがとう、そのお金でこういう学校をもう一度復活していただきたい。それは芦屋市の高島市長にも言いたい。かれはエリート高学歴だからその存在さえもしらないかもしれない。こういう教育の場を芦屋市にちまちまと作っていただきたい、こういうとこに税金を投入してほしい、そうするなら、芦屋市の高齢者バス運賃値上げや高齢者のお祝い金廃止だって賛成しようではないか)
えーと、話を戻すと
従姉のマコちゃんが准看護師を志していたので一緒に学校見学へ行ったその時、入口にナイチンゲール像がすっくと立っていた
わたしは一瞬で魅了された
そしてすぐにナイチンゲールの書いた「看護覚え書」を買って読んだ
この日から本日までナイチンゲールに夢中
ナイチンゲールのなにがすばらしいかって
それはナイチンゲールが失敗から学びを得た人だから
クリミア戦争で怪我や病気の患者を、ナイチンゲールはたくさん死なせてしまってた
「戦場の天使」って教科書ではならうけど
調べた文献を総括して見るとナイチンゲールは天使であったかもしれないが、そこじゃない
クリミアから帰国し
ナイチンゲールは数十年という長い年月を引きこもる
それは多分、後悔と自責の念からだったかも
なぜたくさんの患者が亡くなったか
それは換気を怠ったからだ
換気の重要性がその時、ナイチンゲールはわかってなかった
だからこそ
ナイチンゲールは残りの人生で失敗から学んだことをたくさんのひとに伝え行動してゆく
「看護覚え書」のイの一番の文章
「看護における真の第一原則、看護婦が終始一貫して最大の注意を払わねばならず、患者にとって何よりも不可欠な要素、これを抜きにして行えばほかの何事も無に帰し、逆にこれさえ行えばほかの何を放っておいてもよいとさえ私がいってきたこと、それは「患者が呼吸する空気を、患者に寒い思いをさせることなく、外の空気と同じだけ清浄に保つ」ということです。」























