【兵庫・芦屋】アアシア通信

      【兵庫・芦屋】アアシア通信

              六甲山毎日見ながら阪神間の情報発信します           
                    

不屈というボートの船長は日本基督教団の牧師だったそうだ

牧師という職業の人が抗議船の船長をなぜしてたんだろう?

不思議でならない

 

牧師というのはプロテスタント教会の教職者でカトリックのそれは神父というらしい

 

わたしはキリスト教ってよくわからない

イエス・キリストを神としてるのになんでいろんな派閥があるのか

それってキリストに「仲良くしてください」って思われないのか

 

プロテスタント、カトリック、あとわたしの叔母さんはエホバの証人で、聖書を勉強してる

聖書ってキリストに関する書物だよね?

南芦屋浜にある風の教会もキリスト教だと思う

大きな会場の正面に十字架があったから

わたしは風の教会の日曜礼拝に1度参加したことがある

(その時無料で洗礼名を頂いた。洗礼名はわたしとしてはあまり気に入っていない)(が、クリスチャンでもある。だからといって浄土真宗でもある)

 

 

聖書と十字架はキリストに関係してるんだよね?

聖書と十字架だからと言ってみんな同じ考えのキリスト教ではない

これがわたしにはよくわからない

 

それで

日本基督教団に所属してる知り合いがいたことを思い出した

わからないことを聞いたら詳しく説明してくれ知識と教養にあふれる人であった

さすが宗教に携わってる人は違う、って思った

知事選が兵庫で勃発した時(2024年11月)

私が斎藤さんと彼の擁護で選挙に出馬した立花さんの街頭演説を応援に行くと知ると彼はこう言った

「よくもまぁそこまで馬鹿になれますね」

次にトランプ支持であるとわかると更にこう言った

「さすがによう付き合いません。さようなら」

 

・・・え?どゆこと?

応援してる相手が自分と違ったら、即「さようなら」?

「支持する相手は違うが、ま、いっか」って思わないの?

そして、わたしのこと馬鹿っておもったら、わかりやすく教えてあげるのが知識あるひとの役目なんぢゃ・・・(鬼滅の刃で煉獄さんのお母さんが言ってた「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか 弱き人を助けるためです 生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は その力を世のため 人のために使わねばなりません 天から賜りし力で人を傷つけること 私腹を肥やすことは許されません」)(ちなみに「左翼と右翼ってどう違うの?」って2022年に質問したときは「キミ、本当に大学でてるの?」って言いながらも詳しく説明してくれたと記憶)(その人は確か同志社大学といっていた)(「カトリックとプロテスタントってどっちがいいの?」って聞いたときは「あのねぇキミ、カトリックにいい人もプロテスタントに悪い人もいろいろいると思いますよ」って言ってた)

 

「よくもまぁそこまで馬鹿になれますね」って言われてもわたしは一言も言い返せない、とても内気だから(それに今コレ書いてて本当に頭悪そうな質問ばっかしてるって思ったし)

だけどこうやって自分のブログで言い返しとこ、1年以上たった今

 

 

キリスト教にはいろんな派閥がある

その中で日本基督教団だったその人はわたしがトランプ支持と知るとあっさり「さようなら」

 

キリスト教って隣人を愛するんじゃないの・・・

 

 

わたしがどんなに馬鹿でも何を支持しても友達でいてくれ

 

 

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同志社国際高校の沖縄への修学旅行

「辺野古を海からボートで見る」というコースで

外海にでたボート、1.5~2mの波、転覆した

乗ってた学生さんは皆海に落ちた

船長の人と学生さんが亡くなった

 

修学旅行でそんな危険なことがあるの、ってびっくりした

 

わたしは沖縄に行ったことがない

長女も次女も修学旅行で沖縄へ行っている

長女は中学校んとき民泊も

 

修学旅行で沖縄に行くってなんでだろうってずっと思ってた

私の修学旅行は

小6(豊島区立千川小学校)は日光東照宮

中3(豊島区立第十三中学)は京都奈良

高2(大阪府立豊中高校)は信州

 

沖縄の片鱗もない

バスや列車で行ける範囲を修学旅行としたからか

 

 

小6の日光↓

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東照宮は豪華絢爛

なにひとつ思い出はない

 

 

沖縄へ修学旅行にいくことができるようになったのはいつからだろうか

平成以降のような気がする

そして平和学習もかねてるなら広島や長崎もあるのになぜ沖縄が選ばれるのか?

よくわからない

長女が中学校の修学旅行で沖縄の「ガマ」という洞窟や防空壕に入る、という体験があった

同じクラスのジョージくんは、防空壕とかこわいので塩を持参していったそうだ

おかあさんが言ってた

わたしもどうしても体験するとなったら(そもそもこわくて沖縄へいけないが)ジョージくんのように塩を持参していくしかない

 

平和学習って名でこわい思いを体験しなければならないってどうなんだろう

 

同志社国際高校の平和学習はそのようなこわさではなく

小さいボートにのって大きな波、転覆

どんなにおそろしかっただろうって思う

 

そしてこのボートが抗議船だったことがわかった

↓大椿ゆうこさんのツイッターより

 

 

抗議船って反対運動をしてる人たちが抗議や妨害をするための船らしい

 

やりきれない

 

長女も次女も沖縄からみな無事に帰って来れたのは

先生や宿泊先の現地の人たちの見守りや判断なくしてはなかったんだって改めて思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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表彰式会場↑

2026年3月15日

一年に1度晴れの舞台

父は定年後

田町駅の紳士服屋、KENT HOUSEで金ボタンのジャケットを購入した

通勤していた時の背広はみな手放したが

KENT HOUSEの金ボタンジャケットだけは今もクローゼットにしまっている

そして一年に1度表彰式の前日にとりだし虫干し

それを着用して表彰式に出席である

そんな父、視覚障害2級、もうすぐ90才の表彰式に付き添った

 

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↑写真部の次女が晴れ姿を撮影(ちなみにループタイは妹から定年のお祝いプレゼント)

 

表彰式が始まる前に

あまり見えないけど会場を一応回覧する↓

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↓芦屋の木口会館、理事長由美さんに今年も会って挨拶できた

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由美さんが写真をとってくれた↓

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芸術文化祭を主催してくれているユニバーサル課のゴデンさん↓

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今年も会えた

うれしい

 

表彰される父↓盾をもらってるとこ

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父が受賞したのは「公益財団法人神戸新聞厚生事業団理事長賞」

事業団の局長ヤマナカさんが父の写真を選んでくださったそうだ

 

400以上もある作品の中で

一等賞は「知事賞」二等賞は「兵庫県議会議長賞」という

でもこれらは知事や議長がその目で見て選んではいない

審査員の人たちが一等と二等をきめる

しかし神戸新聞の理事長賞はヤマナカさんが選んだそうだ

父の写真をみて気持ちが伝わってきたと式のあとに話しにきてくれた

 

誰かの気持ちが作品を通して伝わるってすごいことだよなぁって思う

わたしが人生ではじめてそれを経験したのは高校生の時

井上靖の小説を読んだとき井上さんの心がそのまま私の心へ伝わった気がした

かなしい、とかうれしい、とかそういう一言ではなくてそのときの大きな気持ちがそっくりそのまま伝わった気がしてびっくりした

 

あ、で

ヤマナカさんが父へ話しかけてくれたその場に私はいなかったのだが

一緒にいた次女からも話を聞いてわたしもうれしくなって思った

朝日新聞やめて神戸新聞とろう、と

 

神戸新聞賞の写真部門は父が受賞したが、書道部門では稲本さんという方が受賞されていた

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大変迫力ある字である

受賞者の人たちは一言みんな前でコメントを発表する

稲本さんのコメントはこんな内容だった

「脳梗塞で倒れて

言葉が難しくなった

珈琲が大好きで何度も何度もこの言葉を練習した

そしてやっと言えるようになった

その時の喜びを書きました」

それを聞いてこの字を再びみるとまた違った感動がある

作品のむこうにはたくさんの思いがある

わたしはこの障がい者芸術文化祭がほんとうに楽しく好きである

 

昨日もたくさんの人たちにあえてすばらしい日だった

 

感謝

 

 

式典後

美術館のレストランでスイーツ↓

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父は酒粕のレアチーズ

次女と私は黒豆のロールケーキ

うまかったー

 

家にかえりついたら4時半

一日めいっぱい遊んだ

父は金ボタンのジャケットを脱いで言った

「ことしもありがとうジャケットくん」

 

 

 

 

 

旅人JUNさんこんにちわ

 

「ヒロジ」を知っているとメッセージありがとうございます

わたしは昭和40年の早生まれなのでひょっとしたら学年が一緒かもです

昭和46年から49年ということは7才から10才まで

千川小学校1年から4年までということになりますか

私は3年の二学期から転校してきたので1年間くらい一緒に千川小学校ですごしたのかもです

千川小学校では休み時間に遊ぶ場所を学年ごとに毎日変わって割り当てられてましたよね?

体育館、校庭、屋上、などです

学校の屋上で遊ぶってことが珍しかったの覚えてます

そして4年のときの担任はヒグチ先生でした

小柄で優しい男の先生でした

男子が授業の前に

「先生がきたー!」って大声で教室に戻ったり席に戻ったりすると

ヒグチ先生は「先生がいらっしゃいました、だ」と注意しました

それからみんな男子は「先生がいらっしゃいましたーーー!!」と言いながら教室や席に戻ってました

 

ヒロジを覚えてる方がいらっしゃるとは驚きで

どんだけヒロジはみんなの記憶に残ってるんだろうって思いました

 

千川小学校は転校生が少なかったと思います

近所にたくさん小学校があったので(千早小学校、要町小学校、しまいにはつける地名がたらなくなって平和小学校)学年は2クラスだけでした

私が過ごした組では小3から卒業まで転入生は私とスズキ君の2人で

転出の人は確かスズキ君だけだったと記憶しています

でも

小6の校外学習の皇居へ行った時の写真に

スズキ君がうつっているから旅人JUNさんはスズキくんではないな、とも考えました

↓私(中央)の左の男子がスズキ君

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男子は千川小学校のSマークの黄色いキャップ

女子は黄色のベレー帽

 

 

最近わたしのブログ、閲覧数が増えてるんだがナゼ?

いままで10人弱くらいな方がみにきてくれてたが

ブログを書かない日にまで40~50人が

 

なんかあったんだろうか・・・

 

いいか

それにしても芦屋市展

見に行った

わたしは落選したが次女が入選したから

 

もう2度といかない

え?これが?なんで?どこが?

くやしくてくやしくまた泣いた

 

おまけに芦屋市美術博物館の学芸員の人がめっちゃ感じわるい

今まで芦屋市展に入選したくてニコニコしてたが

今まで心の中だけでさけんでるだけだったが

今までいいブログぶって発言しなかったが

 

今朝7時ごろジュンボーから電話があった

なんでこんな早朝?

思ったら、ジュンボーがさけんだ

「ちょっと、取引先の相手と内の部長から、わたしのこと、仕事できない、みたいな扱いされた」

「はらたつー!!」

「自分たちの方がぽんこつのくせにーーー!!」

「だいっきらーーーーい!!!」

 

え?ジュンボーは60才の定年こえてもいまだ働いてる古参ですよね?

取引先の相手だろうが部長だろうが、年下っすよ?

そんな御大にむかって仕事できない、みたいな扱いするってどゆこと?

ジュンボーは時々東京から出張で尼崎へ来る

そんとき我々は駆け足でランチする

けっこう彼女は尼に来てる

それはすべてクレーム処理なんだそうだ

どんだけクレームあるんだ・・・

ちなみにジュンボーは商社でありクレームは商品に対してだからメーカーの責任だと思うんだがその仕組みはよくわからん

鉛筆とかあつかってるならわかりやすいが鉄鋼であり巨大な鉄管の検品とか商社ができないしな

 

ジュンボーのこころの叫びを電話越しに聞きわたしも叫びたくなった

「はらたつーーーー!!」「かんじわりーーー!!」

「市民税から給料もらってンだ、その態度、私の税金ーーー!!」

 

 

あーーー!くやしい

やってられーーーんーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

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甥っ子サブローの東京みやげ

うまかった

 

 

 

もーマジやってられね~

 

父は兵庫県障がい者芸術文化祭で受賞(表彰式で表彰される、そして作品は1年間巡回展で兵庫県中をまわる)

次女は芦屋市展写真部門で入選(芦屋市美術博物館で展示される、きっと写真部門の新しい先駆けになると私は思う作品)

 

私の絵を姫路も芦屋もだれも選ばない

 

 

「ゴッホの手紙 テオドル宛 下巻」を読んでるんだけど

自分が好きな絵がだれからも評価されないって悔しい

ゴッホの感じた気持ちはわたしもおなじく感じる

わたしは昨日、発表みて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて泣いた(高市さんはて働いて働いて働いてっていってたけど)

 

ゴッホは自分の絵を信じてる

弟のテオにできるだけ手元に残しておくよう手紙で言ってる

売ればお金になるけれど、もし、自分を喜ばすために誰かへ売るというのなら、それは自分の本意ではない、と

テオもゴッホのあと追うように死んでしまい残されたテオの妻がゴッホの絵を管理した

その後ゴッホの絵は日本にまでやってきた

ゴッホのいうとおりになった

 

去年4月に東京の損保美術館でゴッホの「ひまわり」をみた

その時の感想は「へー・・・」って感じだった

先週ひろしま美術館で「ドービニーの庭」をみた

「え!?」って思った

わたしはゴッホの最後の方の作品が好きだ

ドービニーの方がひまわりより後だからそう思ったのかわからない

損保美術館の「ひまわり」も兵庫博物館でみた「自画像」も「え?これ、ほんもの?」って感じた

 

↓ドービニーの庭

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近寄りすぎですって注意された

 

たいへんうれしい

父が今年も障がい者芸術文化祭の写真部門で受賞したと電話がきた

父は視覚障害2級、90才

最近は母の面会などでいそがしくあまり写真撮影もしなくなった様子

 

タイトル「視覚障がい者を感動させた皆既月食前の月」

 

おもわずベランダでカメラを構えたそうだ

明るい月の光

希望の光

 

 

応募した写真↓3月3日に兵庫県立美術館へ搬入した

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あ、そういえば搬入した三月三日はお雛様

うちのお雛さま↓

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かわいいでそ

61年前に新宿のおばあちゃんがわたしの為に買ってくれた

木目込のお雛様

 

えーと

搬入の日は久しぶりの雨降り

写真が雨に濡れないよう3重に梱包して運んだ

 

↓県立美術館の3階のギャラリーが会場っす

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10時半から搬入開始で私は11時についたのだが

もうすでにたくさんの作品が所狭しと運び込まれてた

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そして

その中にひときわ輝く作品が・・・!

30メートルはなれた場所からでもわたしはわかった

近づくとそれは松本花さんの刺繍だった↓

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わたしは花さんの作品の大ファン

芦屋市打出にある「なかよし工房」で花さんは陶芸や刺繍の作品をたくさん作ってる

なかよし工房では年に2~3回、みなさんの作品を販売していてわたしはいつも花さんの作品を買い占めてた

ところがコロナ期以降、工房での販売展示会はなくなってしまった

にっくきコロナほんまいや

 

「なかよし工房」はこの3年間、兵庫県障がい者芸術文化祭に参加してなかったと記憶する(コロナのせいまじコロナめ)

でもでもでも花さんがことし、作品を出展してたーーー!きゃー!

ということで

2026年3月6日金曜日から15日日曜日まで芸術文化祭のはじまりだーーー!!

たのしみ

 

 

すげー力作が何百と壁一面に展示されます

ぜひ兵庫県立美術館へ莫大なエネルギー感じにきてください

今年は斎藤知事になんとしても足を運んでいただきたい

ちぢー!まってま~す

 

兵庫県立美術館の青いりんご↓

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第68回芦屋市展へ作品搬入

 

芦屋市展は1948年にはじまった

最初は毎年開催してたらしい

いつからか2年に1度の開催になった

(今年で78年目だから第68回っておかしいもんな)

 

わたしが芦屋市展を好きなところは参加費が1000円とどこよりも安いこと

そして1000円で2点も出品できるとこ

あと会期も3/10~29と長いこと

 

一点はこちら↑

芦屋の空襲で焼失してしまったゴッホの「芦屋のひまわり」

わたしなりに復元した

 

↓ハナムグリって蜜を吸う虫もよってきてます

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この虫はね・・・

ゴッホの「バラと甲虫」から時空を超えて飛んできたんだyo!

 

↓「バラと甲虫」

1890年3月か4月に描かれた絵

ゴッホが亡くなる3ヶ月前

 

わたしゴッホの何が好きかって自意識が強いところ

他へ意識をむけないところ

自分へ自分へ意識をむけてるところ

すごいと思う

だいすき

 

もう一つはこちら↓

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姫路市展より奪還して少し描き足した

何を足したかわかるかな

 

あ~

芦屋市展たのしみ

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次女は写真部門で2点応募してた↓

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松ノ木で理容室をやってる85才のおじさんへ会いに行く

 

新宿から丸ノ内線に乗り換え

新高円寺で下車

地上にあがるとあたりはすっかりわからない

そもそもわたしが新高円寺に来たのいつだっけ?

 

大学で東京へきて新宿2丁目のじいちゃんちに1年間居候してた

新宿から一本でいけるから19~20才んときはなんどかきた

かわいがってくれたおばさんがいたからだ

遊びにいくと帰りは駅まで送ってくれた

駅前にあったげんこつラーメンをおごってくれた

 

駅前のそば店↓

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わたしの記憶が正しければ40年前、げんこつラーメンだった

「チイちゃん、げんこつラーメン食べてこうよ」「おいしいよ~」

おばさんは顔をにっこにこにしてわたしに言った

げんこつラーメンという新しくできたラーメン店は

そこらのラーメンと全然ちがくてとってもおいしいらしい

おばさんはげんこつラーメンに夢中っぽかった

 

そんなおばさんはわたしが35才のとき亡くなってしまった

 

お葬式で新高円寺に来て以来だと思う

おばさんのご主人がおじさんである

 

おじさんは店のドアを開いてまっててくれた

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おじさんの理容室↓

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壁の色は緑色が少し混ざってる

 

はさみとかの棚↓

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↓ひげそりの道具

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おじさんにこれ、なに?って聞いた機械↓

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空気清浄機でした

 

おばさんは裁縫や編み物がとても得意だった

お店にもお家にもおばさんの作品があふれてた

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古いけどおじさんちもお店もほこりひとつなくきれいに清掃されてた

おばさんの手作りのパッチワークもお人形もとてもきれいに使われてた

 

おばさんでいっぱい

 

ねこのクルミは18才↓

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従姉妹のアイちゃんのにゃんこ

 

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かえりもおじさんはドアあけて見送ってくれた

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おじさんと我↓

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姫路市展、落選

入賞どころか入選もできず

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あのさ~

じいちゃんの元陸軍の倉庫跡が美術館なってるし

じいちゃんがまつられてる姫路護国神社がそばにあるし

姫路、縁があるかも~♡なんておもったけど

かすりもせず

 

 

次は芦屋市展の作品づくりして

父の兵庫県障害者芸術文化祭の作品搬入もある

合間に姫路へ落選作品の奪還にもいかねばならずけっこうバタバタ

芦屋市展は1000円で2つまで作品がだせる

もちろん2つだす

 

近所に大手前大学がある

うちからチャリで20分くらい

この大学はすごい大学で、阪急・JR・阪神電車3アクセスできる

都会の中にある奇跡的な大学

よくもまぁこれだけ敷地をとれるなぁって横を通るたび感じる

敷地のなかに「アートセンター」って建物がある

安藤忠雄建築

阪神間には安藤忠雄建築がけっこうあるけどアートセンターはあまり知られてないかも

コンクリート打ちっぱなし

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アプローチが特徴的

 

↓横からみたとこ

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↓この屋根を支えてるっぽい斜めの部材

デザインなのか構造的に必要なのかわからない

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このアートセンターは年に1度

大手前大学建築&芸術学部の卒業制作展のときに一般公開される

 

そんなわけで行ってきましたアートセンター↓

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大手前大学は美術大学でも理工系大学でもないのだが

なんと芸術学部に染色工芸部門がある

そして建築学部では製図4という授業を履修すれば1級建築士の受験資格もゲットできるという優れた大学である

これだけの性能をもってるのに学費は芸術系・理工系大学などより断然安い

まぁ

職業能力開発大学校兵庫県立但馬技術大学校には学費の面ではとうていかなわない

私立ですよ?(職業能力開発大学校は厚生労働省管轄の国立)この立地ですよ?(但馬技術大学校は豊岡にありその他の職業大学もたいてい僻地辺鄙にあるからこそ学費も安い)その点を考慮すれば決して負けてないと思う

 

ちなみに舞鶴市には京都職業能力開発短期大学校には染織技術科があった

京丹後には染めと織りの伝統工芸があったからだ

民主党政権平成22年度に廃止された

「2位じゃだめなんですか?(平成21年)」レンホーさんにはうらみしかない

うらむ資格は我にはない

あンとき

民主党に投票したんだった

まったくわたしは何故にこんなに頭悪いんだろ

当時の労働組合からは民主党には投票するなと言われてたのにかかわらず言うこと聞かぬおバカさん

小泉さんの郵政民営化んときもホイホイ賛成しちゃったし

今回の高市早苗さんにはそんな風にならぬよう少しは学んでると願う

 

えーと

大手前大学の染色工芸の卒業制作作品を紹介しようとおもったんだった

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左の着物が細川ガラシアをイメージして学生さんがつくったもの

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美しい織りと染め

 

右は静御前をイメージ

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↓反物

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↓安藤忠雄建築のコンクリート打設具合を見る我

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わたくし建築施工管理技士の資格もっておりま~す

この資格が役にたったことないしこれからもたたないと思うけどさ