叔父の葬儀に参列してきました。
横浜市の葬儀場で 敷地内火葬場もあり すべて1つの場所で済むのでとても良かったです。
お通夜なしの家族葬で とても良いお式でした。




たいへん失礼なのですが 明日は我が身のため お勉強させていただきました。

2013年に亡くなった父の葬儀を 77才の母が仕切りました。
バリバリの西太后だった母は 見栄ばっかりのお葬式。
お通夜があり 来ていただけた方は無理やりお呼びした
仲良くもない母のご近所さんグループと その方々にマウントとるため とっくに退職した会社のスタンド花。
もちろん母の支払い。 父は友人がいませんでしたし。
ばっかみたい。
その斎場で お通夜と告別式をお願いしました。
お通夜での精進落しも貧素だとバカにされると通常の倍です。
ばっかみたい。誰がそんな事を思うのでしょう…。
おかげで あまりに余ったお寿司はお通夜で泊まりになった母と私と子ども二人の夜食になりました。夜中におトイレに行きたくなった母は 父の棺の前を通るのが怖くて起こされましたっけ…。
翌日 今回亡くなった叔父と奥様 その娘と息子 香川県から従兄弟たちが来てくださいました。もちろん 新幹線からホテル代 お土産まで母の支払い。すべてがお金です。
「そこまでウチの支払い?」でした。イチャモンは呆れてました。





今回の叔父のお葬式。見習うべきところばかりでした。
9時半に母を迎えに行き そのまま斎場に到着。
受付がなく施主は故人息子のようなので 誰かしらがお香典を渡していたのをみてマネッコ。
時間になり 宗派のお坊さんが来てくださり 告別式とお七夜の法要をしてくださいました。我々も2回お焼香をしました。
次は 出棺です。
棺には 靴や形見のお洋服などを入れ 祭壇に飾られたお花をすべて入れてかざってあげました。お花でフタが閉まらないほど綺麗でした。斎場内の火葬場へ移動。お位牌とお写真を持ち 最期のお別れ。





焼き終わりは1時間半くらい。 
待合室にはお飲物アルコール等とサンドイッチ、おにぎり、唐揚げ、玉子焼、お菓子などがあり みなさん明るくお話していました。
そのころ「終わったらお食事ないの?」という貪欲な母。
自分が行かないと言ったのも忘れています。
しんみりした親戚ではないし 叔父の孫たちもしっかりしています。楽しくなってきたのでしょう。
仕方ないので 施主喪主の姉弟に
「昨日 お骨上げのあとの精進落しの会をお断りしたんだけど みなさんとの会話に母が楽しくなってきたらしくて…もぅ出席できないかしら…」と相談してみましたら
「もちろん来てきて。爺ちゃんも喜ぶし。でもカナちゃんの調子はどんな? 伯母ちゃんのために無理してない?」と とても丙午(ひのえうま)の子とは思えない優しい事を言ってくれます。






お骨上げの放送が入り 立派な骨は少々砕かれ骨壷に納められ お式は終了です。母はまるで天ぷらを取るかのように一人でお骨上げして 介護人イチャモンを苦しめていました。
斎場での葬儀はここまで。

皆様は一旦 実家へ戻り祭壇を作っていただき お店から来たマイクロバスで精進落し会場へ向かいます。私達3人は自家用車できているので 直接精進落し会場へ向かいますが 少々時間が余るので 近くのデニーズで時間つぶしをしました。





15時になったので日本料理屋さんへ移動です。
ちょうど親戚一同もマイクロバスで到着しました。

献杯のあとは それぞれ気ままにお食事をいただきました。
誰も知らない親戚の中 話を合わせているイチャモンのコミュ力はさすがです。




未亡人となった叔母さんに
「寂しくなったらウチにおいでね」と言った母ですが
「ありがとお義姉さん。でも友達多くてさ 全然寂しくないのよ〜」と言われ お友達が居ない母は逆に羨ましそうでした。
たしかに 叔父さんが家を建てたときから50年ずっとお付き合いがあるという「前に住むイトウさん」がどこに行っても姉妹のように叔母の隣に陣取っています。

「前に住んでるイトウさん」がおトイレで不在のあいだは昔話しに花が咲きます。
しかしながら88才の母と85才の叔母の高齢者ふたり。
「私が父と同じ市役所でお勤めしてたとき お昼にお寿司を頼んでくれて 毎日毎日でイヤになったわ」と叔母が言うと 
「あらまぁ 私の弟は市役所に勤めてたっけねえ?」と母。
この会話は隣にいて7回くらいは聞きました。
叔母さんが言う父は 叔母さんの実父。
母が思ってる父は 自分の弟。
母が間違っています。ボケてるとお互い怒りもしないので また言ってる…と聞いてるほうはデイサービスのようです。





これでお終いです。家族葬で1日葬というのだそうです。
帰りの車で「お母さん お通夜は省略してもいいね。それと焼き場が同じ場所にあるのはとても便利。私はあそこにするわ。お花もとても綺麗だったし…どうせお友達はいないからさ…」と伝えると やっぱり母は派手なお葬式がやりたいみたいでした。でも「お葬式」ってなんなんでしょう。ガランとしたホールにひとりぼっちで寂しくなるでしょうに…。
喪主になるだろうイチャモンは無言でした。





さて1日過ぎて…
母のお香典をいつ渡したか覚えが全くありません。
木曜日に「行かない」と言うのであずかって でも「行く」に変更したとき車の中で「私のお香典返して」というので 母のバッグに戻したあと…どうしたっけ? うちらの連名のはイチャモンが渡して…足の悪い母は自分でバッグから出してお渡ししたのかしら…?
それとも 私が母のバッグから抜き取ってお渡ししたのかしら…全然 思い浮かばない。
あぁ 私もボケた。従兄弟に聞いてみるかな…
「母のお香典 お渡ししましたっけ?」
いやぁ そんな恥ずかしいよね。


横浜市の斎場 お手軽で火葬場が敷地内で うん。
とても気に入りました。告別式と火葬だけで十分です。
ただ イチャモン本家のお寺さんからは少し遠いかな…。
どうしましょ。エンディングノートに書かなきゃ。




メソっちの私以外 誰一人涙も見せず 
楽しく叔父さんを送り出せてあげました。
お寿司の話しかしなかった叔母の代わりに なんでもテキパキこなす従兄弟姉弟。素晴らしかった。
さすが叔父さんの子どもたち。
とても優しくて可愛がってくれた叔父さん。 
足が痛いんだ…と言いながら 入院中の母を見舞ってくれてありがとう。学生時代や会社勤務に必要な保証人など叔父さんしかいなかったので助かりました。

ご冥福をお祈りします。