金曜日 叔父の訃報が届きました。
同じ横浜市在住の米寿の母の弟。85歳。




木曜日の夕方に イトコである長女から
「救急病院へ意識不明で運ばれて…」と連絡が入りました。
イトコは広島在住なので 一番近い私が病院へ向かうのはやまやまですが 抗がん剤を受けた日で「病院」は遠慮しました。
到着したイトコ姉弟が伺った先生のお話では 
1ヶ月やら1年とかの問題ではなく もって2,3日で あとは生きる気力の問題だそうです。イトコのその日は横浜のホテルに宿泊。

金曜日の朝 電話があり「危ないから会わせたい人には即座に連絡してください」とあったと タクシーから連絡をもらいました。私も行きたいです。私も会いたいです。関東にいる唯一の親戚なので 私の仕事の保証人はほとんどお願いしていました。お世話になったし可愛がってくれていた叔父です。
でもイチャモンはゴルフで留守です。あぁどうしよう。
タクシーでも30分かかります。

……娘に電話してみました。
「病人が見舞いのために病院へ行くなと言われてるんだよね? 答えは簡単。自分を優先にしなさい」即答でした。
何もできず 無い胃がキリキリしてきた10時半頃 イトコから「亡くなりました。私も間に合わなかったよ…」と訃報が届きました。
亡くなった叔父の姉の母に ようやく電話をしましたが 耳が遠く出ません。携帯電話も出ないのでメッセージを打ちました。母は意地が悪いので 昨日イチャモンが連れて行くはずだった帯状疱疹の病院へ一人で行ったので 怒られると思って電話を無視するところがありますので 大切な用事のとき勝手なことをされると困ります。
ようやく15時ぐらいに メッセージを読んだらしく折返しの電話が掛かってきました。
しかし叔父の名前は理解できても 娘の名前が兵庫に住むメグちゃんだの広島に住むケイコちゃんだの混同しているので 決定したことを教えるから待っててね。と伝えました。

病院で亡くなると 病院は早く外に出したくて仕方ありません。亡父のときも なるべく早く葬儀屋さんへ連絡を…ばかり言われた気がします。イトコから「カナちゃん 本家の宗派わかる?」と言う電話の向こうでも葬儀屋さんとのやり取りが聞こえます。
「それと 実家の愛媛県の人たちに連絡をお願いできる?」と頼まれましたが 母の代は もう母しか存命していません。お付き合いはスッカラカンです。しかし以前 母の姉が老人ホームに入ったときに仲介をしてくれた年上のイトコにかろうじて繋がっていたので連絡を入れ 本家の方に連絡を入れてもらうようにしました。ところが今は分家が仕切っててそちらの電話番号を教えていただいたので掛けてみたのですが 婿養子だったので「お嫁さんのチヒロさんのお母さんのツヤさんの妹のリョウコの娘のカナと申しますが ツヤさんの一番下の弟さんが本日亡くなりまして…」と 続き柄を説明するのが長い長い。
それから ようやく母にも「叔父さん亡くなったんだよ」と連絡すると「それは私の弟…?」とダメージはそれほど感じませんでした。

18時頃
「日にちと斎場決まったから伝えるね。家族葬でひっそりやることにした。カナちゃん具合悪いって聞いたけど…どお?」と連絡があったので 
「こんな時なんだけど…ガンで抗がん剤受けてるから人混みはダメと言われてるの。 病院じゃないから叔父さんに会いたいんだけど いかんせんその時になってみないと…こないだもMRI受けて…」と伝えると 彼女がレントゲン技師だったことを思い出しました。
「そっか。しんどいね。わかった。無理しないでね」
と、1番初めの電話から とてもしっかり受け答えをしていて3個くらいしか違わない年なのに イトコの声を聞いただけでグズグズ泣いてばかりの私なんかとはエライ違いです。
叔母さんはご健在ですが 徘徊はしない程度の認知症だそうで イトコ一人で切り盛りしています。
いつの電話も取り乱しもせず泣き声でもなく とても立派でした。またしても なんの役にも立たない私でした。

19時頃 ゴルフから帰ってきたイチャモンに 斎場まで連れて行ってもらうことにしました。カレンダーに記入しとかないと 運転手さんのスケジュールがどんどん埋まってしまいます。


こないだ 新聞広告で「差し上げます」をいただきました。




親戚も兄弟も居ない同じ境遇のイチャモンと一緒に 残った人が困らないように書き進めようと思いました。
従兄弟などは 名前も顔も知りません。
母とイチャモンと子ども二人とお孫ちゃんしかいません。
しかも娘とお孫ちゃんは婿家の家系図に入るので寂しいです。





叔父さん ありがとう。
どうぞ安らかに…

でもさ 死因が「熱中症」ってさ…
冬なのに? 最期まで楽しませてくれるよ 叔父さんは。
ぐすん。

合掌。