正月に娘が来て 気がついたことがある。
それに伴い 認知症なのか物忘れなのか難聴なのかわからないが ウチの85才の母の対応に反省した。

私はよく母に「それ何回も聞いた」と怒る。
母は「そうだったっけ…」と返事。
たいがい「3回目だよ!」となる。




こないだは「それって こないだも聞いたけどさぁ 〇〇だったっていうオチが変わったってぇ〜の?」と意地悪く言った。言われた母は「あ…いや。変わらない…」とションボリしていた。私からしたら「何回も話してることを思い知ったか」なんて思っていた。




それが 暮れから顔を見せてくれてた娘に
「婿さんの正月の予定って ○○だっけか?」と質問したら
「昨日の夜 △△だって話したよね?」と 顔を上げずスマホを見ながら言った。




心の中で思った。
「感じワル〜。もう一回教えてくれたっていいじゃん。
あ…でもこれ 私がお母さんによく言うやつだ…」
と愕然とした。

『娘…今日も聞いたのか…ごめん』
『でもそれ 昨日のいつ聞いたっけ?』
『婿さんのことだから間違えたくなかったのよ』
『でも少し前 お母さんにもっと酷いこと言ったな…』
『お母さんもカンジワル〜って思っただろうな』
『言うより言われる方が寂しいな』
頭ン中 グルグル自問自答していた。




よく「親の気持ちは 親になったらわかるよ」と言われるが ボケてきたら ようやくボケてる人の気持ちがわかった気がする。なんか 例えが悪いけど…。


私の頭もシッカリしていたころは 娘に文句言われても「なにさ アンタも私の年になったら考えてることがわかるわよ」と胸の中で思いながらも「ハイハイ」という余裕があった。しかし 今回は ついこないだ 母に言ったことと同じことを言われた。「それ こないだも言ったよね」
記憶にないとは こんなにつらいものなのか。





娘が私の年になるまで まだまだず〜っと先だし 私の年になったとき認知能力や身体能力がどんなかもわからないが 今の私の年になっていない今の彼女に 今の私の気持ちはわからないだろうな…と思う。私だって 85才になっていないので 先を生きている母の気持ちはわからない。
しかし 娘がいてくれたおかげで 母に突き放した言い方をしていたことがわかった。




子どもは生まれてきてくれただけで親孝行だというが 大きく育っても育自を手伝って親孝行してくれる。しっぺ返しは痛かったけど 娘よ 気づかせてくれてありがとね。






「前に言ったじゃん」
母にも義母にも… 
イチャモンにも気をつけようと思った。
「何回でも聞いてあげよう」


…………あれ? 
なんだか この「何回でも聞いてあげよう」って 前にも反省材料でブログを書いた気がする。なんのために「傾聴インストラクター」の資格を取ったんだ? とかなんとか…
そしたら読んでくださった方々が「傾聴インストラクターなんてあるんですね」ってコメントくださって…
およよ。





ってことは 全然反省してないじゃん。
やだねぇ。また同じ内容の記事 書いちゃったのか。
何回も読んでくれてありがとうございます。

はぁ〜。