NHKで現在、放送されている『恋せぬふたり』と言うドラマをご存知でしょうか。高橋一生さんと、岸野ゆきのさんが出演されているドラマです。

 

このドラマは、「アロマンティック・アセクシャル」を題材にしたドラマです。アロマンティック・アセクシャルと言うのは、LGBTと同じ、性的指向の一種です。

 

アロマンティックとは、他者に恋愛感情を持たない人の事。アセクシャルとは、他者に性的感情を抱かない人のことです。一口に、アロマンティック、アセクシャルと言っても、色々なタイプがいらっしゃるそうで、ドラマの中の二人は、一例でしか無いそうです。

 

アロマンティック・アセクシャルであれば、誰かと恋愛するのも難しいわけですから、家族を持つことも難しい。このドラマは、そう言う、アロマンティック・アセクシャルの二人が、家族になろうとする過程の物語です。

 

最初、私は、このドラマは、「アロマンティック・アセクシャル」に分類される人がいて、生きづらく思っているということを世間に広め、理解を求めるドラマだと思っていました。

 

でも、六話を見終わった所で、このドラマが、それだけのドラマじゃないと気付きました。

 

確かに、世間にアロマンティック・アセクシャルの人たちがいる事を知らしめ、理解を深めると言う意図もあるのでしょうが、私は、このドラマは、「家族」のドラマだと気付いたのです。それも、「家族になるとは、どう言う事なのか」ということを、皆で、考えるドラマ。とても深いドラマだと感じました。

 

『恋せぬふたり』の二人は、お互いに恋愛感情がありません。だから、恋をした二人のように、恋愛感情の盛り上がりに任せて、お互いの違いを見過ごし、勢いで結婚と言う形をとれません。人として、お互いの相性を確認する事が必要ですし、そこから、お互いの癖や習慣をすり合わせて行く必要があります。

 

それで、二人は、お試し期間を設け、一緒に住むことで、お互いと真摯に向き合います。朝食の事、洗濯の事、食事の好み、もちろん、アロマンティック・アセクシャルとして、何をされたら嫌なのかなど、一つひとつ、丁寧に向き合って行きます。例えば、第六話では、年越しそばの習慣の違いを知った二人は、自分達の生活に、どちらのスタイルも取り入れることを決めます。そう言う、小さい、何気ない決め事を積み上げて行くのです。次の第七話は、予告編を見ただけですが、どうやら「子供」についてみたいです。

 

そうやって、家族になる前に、ちゃんと、お互い、向き合い考えるのです。これは、恋愛感情が無いからできる事かもしれません。恋愛をしていると、恋を失うことを恐れ、つい、相手に合わせてしまいがちですから。相手をつなぎ止めたいがために、妥協をしたり、見て見ぬふりをします。でも、破談になる可能性は、この恋せぬ二人にだって、恋愛している二人と同じようにあるのです。ですが、この二人は、歩み寄って、すり合わせて行くしか家族になる方法が残されていません。なぜなら、燃え上がる恋愛感情が無いからです。

 

私が何を言いたいかと言うと、本来、人と人が家族になる時、この「恋せぬ二人のようであるべきではないか」と言いたいのです。

 

一つひとつの課題をお互いにすり合わせ、決めて行く、そう言う作業が不可欠じゃないかと。恋愛感情で結び付く前に、人と人の結び付きが基本なのではないかと。そして、そもそも人として、その人を尊重できないのなら、家族になるべきでは無いのだと。

 

自分の結婚を考えると、そう言った、当たり前の人と人が結び付く為の前提が、欠けていたように思います。所謂、恋は盲目と言うやつです。夫婦であれ、恋人であれ、友人であれ、親子であれ、どんな二人であっても、私たちは、お互いを知り、向き合い、すり合わせる。そう言った小さなプロセスをないがしろにしては行けないのだと……

 

『恋せぬふたり』は、そう言う事に気付かされるドラマです。

 

人と人が、家族になる。それは、他人同士が、一緒に生きるという事です。そして、その二人は、当然、どちらも幸せになるべきです。どちらかが、どちらかの犠牲になっては行けないのです。だから、このドラマの二人の、家族になる為のプロセスは、素晴らしいなと思いました。

 

皆さんも、機会があれば、ご覧ください。

 

 

 

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