今日は心穏やかに過ごせている


そう感じ安心したのもつかの間、


明日やってくるかもしれない苦しさが怖くて


今日の気持ちの余裕に寛いでいられなくなる。



なんて無駄なことをしてるのだろうと


頭では理解できていても


どうしても不安がぬぐいきれず


穏やかなはずの今に苦しさがヒタヒタ近づいてきて


呼吸が浅くなってきてしまう…




なんというエネルギーの無駄遣い!!!


なのに、止められないこの思考。




この息のしづらさから救われたくて


自分の不安を分解分析してみると





その<苦しさ>が


もう二度と味わいたくないと思うほど


しんどいものだから




というなんとも単純な答えにたどり着く。


そして、事をややこしくしていたのは




その感情に気がついているのに、


深いところでは無いものとして


押さえ付けようとしてることに無自覚であった




ということ。





 

・・・・・・・・・・・・・・


目の前にはやらなければならないこと、


決して逃げられないことがあって



そんな中、この感情を認めてしまったら


二度と起き上がれなくなるのではないか、


泳ぎきることが出来なくなるんじゃないかと


心の奥底でとても強く怯えていた。



だから、身も心もガチガチに固めて防御して


苦しさをシャットアウトしようとしていた。



まるで、子供の頃水泳の授業で


息を止め25mプールを潜水で向こう側まで


泳ぎきろうとしたときみたいに、


ギュッと息を止め我慢して。



生きいれば、日々を精一杯暮らしていれば、


息継ぎが中々出来ないときもある。



でも、


体に力を入れたまま潜っていたのでは


エネルギーを消耗してばかりで上手く前に進めなくなる。



踏ん張らないといけないときはある。


でも、踏ん張るためには自分の立つ地面が


ぐらぐらでは力が入れられない。



身も心もガチガチに固めて


感じてることを押さえつけ


肝心の自分の本心を蔑ろにしていては


いつまでも足元はぐらぐらのままだし


息継ぎしても酸素は取り込めなくて苦しいばかり。




我慢強さを手放そう。


自分が感じていることを表すことばをさがして


それから、


弱音を吐いていい。


頼る練習、甘える練習をして。


自分を責めてばかりいないで。



ゆっくり呼吸をしながら


自分の心身の風通しを良くしてあげよう。



少しずつ、少しずつ


こまめに、こまめに。


明るい方を、向いていこう。




息が苦しくて苦しくてどうしようもないときは


<自分をを緩めていく機会が巡ってきている>


時なのかもしれない。