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世の中の「ツインソウルの愛」と言うものが
どういうものか
どういうものであるべきなのか
わたしは知らない
ただわたしは自分が出逢ったこの不思議な愛を
そのナゾを
紐解きたくて綴り記してきた
わたしが出逢った愛は
わたしを自由にし続けるものだった
最初こそ「魂の片割れ」と言う言葉の持つエネルギーや
その概念に縛られはしたものの
それ以上に現実世界で起こる変化があまりにも急激で
セオリーや段階、「こうすればこうなる」的なものに
頭や心を巡らす暇がなかった
ただその愛はどこまでも
わたしを自由にした
こうでなくてはならない
こういうものこそ正しい
こういう人こそ運命の人
こんな生き方こそ理想
これぞ愛
そんな自分の中に設けてあった
あらゆるものの規格を吹き飛ばし
めくれないよう整えながら抑えてきた
滑らかなオモテ面を華麗なまでにひっくり返して行った
自分が「これだ」と思ったことは違っていて
ともかく気負いや思い込み、すがりたいジンクスなどは全て
取り越し苦労でしかなかったことに気付かされた
※それこそ病的なまでにカードなどを引き
三回連続チャミュエルさんを出しては自分を安心させようとしていた時に限って
とんでもないことを相方がしでかすパティーーーン(苦笑)
「とことん向き合い自力で打開しなさい」と言われてると感じることが何度となくあった(・ェ・汁)
全く意図していなかったもの
意識してこなかったもの
見えず気付かず経験せずにきたものが
突如眼前に暴露され翻弄される毎日
想定や期待はことごとく裏切られ
何度となく途方に暮れ
(それらの日々は全てこのブログに記してありますね・・・^^;)
ひたすら思い知らされる
己の無力さ狭小さ
けれど底に底に
果てに果てに行き着く度に
完全にお手上げになった刹那
新しい扉が開かれ、
動かざるを得なくなった
「ようこそ」とばかりに
何か見えないチカラが
働いているようにも感じることが幾度もあった
だからわたしたちには『停滞』が
『沈黙』が『保留』がない
あっても、ほんの束の間なのだ
それはわたし達の神様は
何よりも”時間”に重きを置いているのだと感じる瞬間でもある
まるで「この地球(ほし)での時間なんて一瞬なんだよ?」
「そんなことしてる場合?」
と見えない誰かやナニカに言われているよう
8年以上の時を共に経ても
今この瞬間も変化し続けている
「これはどういう意味?」
「どうしたらいいのだろう?」と真摯に問えば
必ず目に見えるカタチで答えが現れる
即座にわたしは「それまでの自分」から解放され
自分さえ知らなかった「新しい自分」と出逢う
周りの親しい者ですら、驚くべき変化を遂げて行く
(うちの母を知る者は母の再婚はどんな人の再婚より信じ難い
全く考えられないものだったことからもわかるように)
これはなんと言う現象なのだろう?と疑問を抱くと
これまた即座に答えがやってくる
「生きると言う現象です」と。
現実から目を背け
自らが作り上げた想念の中で、手さぐりで生きてきたわたしを
圧倒的なまでの「生」の世界に引き摺り出し
その世界の自由度の高さをとことん演じて見せた愛
それがわたしの出逢った愛だった(ドSの愛か!:笑)。
”愛とはどこまでも自由なもの
何者にも縛られない
相手、そして自分自身にさえも”
「ツインソウルの愛」と言うものに
型があり決まりがあり
何かの制限があるのだとしたら
わたしたちの愛は
どうやらそうでない愛らしい。
そんなことに気付いた今日子の五郎さんなのでしたヾ(・ω・`;)ノ