オレはある日、友人にこう尋ねた。

「なあ、オレたちの死はいつ観測されるんだと思う?」


 前々からオレの突拍子もない話を聞き続けたせいだろう。特に戸惑うことなく、友人は考える仕草を見せ、すぐに口を開いた。

「やっぱり死んだその瞬間じゃないか。今度は一体どうしたっていうんだ?」

 今度の話は長くなりそうだ、と肌で感じたのか、友人は少しオレに近づいて続きを促す。

「ほら。よく船から海に落ちたり、あるいは登山の最中に人が行方不明になったりするだろう。ほぼ死んでることは間違いないのに、行方不明から一年経っても二年経っても、何なら葬式を済ませたって、そいつは「行方不明」のままなんだ」


 オレはよくどうでもいいこと考えて、その果てには突拍子のない答えにたどり着くことが多かった。この友人は、オレの戯れのような哲学論の理解者であり、気の合う話し相手だ。オレの話をいつも真剣に聞いてくれる。

 今だってそうだ。傍から聞けば頭のおかしい人間の戯言のような話であるのに、彼はその内容を必死に咀嚼してくれている。

「つまり……死んでいるのに行方不明なのはおかしい、ということか?」

「そうじゃない。死んでいるに違いない人間でも、その死が第三者に観測されない限りは死んでいない、ということだ。それがどういうことかと言うとだな……」


 オレも彼に近寄り、なるべ自分の意図が伝わるよう、言葉を探った。

「例えば、Aという人間が死んだとする。そして、その側にいたBは、Aの死をすぐに知ることが出来るわけだ。AとBから百メートル離れたところにいるCは、その光景を見ていても、Bより先にAの死を知ることはできない。二人がAの死を知るのはほぼ同時だろうが、同時じゃないんだ。Cの方が、ほんの僅か遅いはずだ」

「なるほど。光の速度か」

「そのとおり!」

 友人の素早い理解に、オレは大きく頷いた。


「ここで少し話題を変えよう。仮に百光年先を観測する方法があるとする。その方法を使って何者かが地球を見ていたとしよう」

「ああ、その話は聞いたことがある。百年前の地球の姿が見えるっていうんだろう?」

 得意気に友人は笑う。光年とは光が一年かけてようやく届くことのできる距離の単位だ。友人の言ったように、百光年先から地球を見たとしたら、観測者には百年前の地球が見えるというわけだ。

「二百光年離れていれば、観測者にはリンカーンが生きているようにも見えるし、五百光年離れていれば織田信長も生きているように見えるだろう。もっと離れていれば三国志の英雄だって生きているに違いない」


「よく解らないな。それはさっきの話と関係があるのか?」

「大ありさ。五百光年離れた場所から織田信長を見ている者に「織田信長は五百年前に死にました」と言ったって信じられないだろう。なにせ、彼らから見れば、信長は死ぬどころか、今まさに天下統一に向けて虎視眈々と策を巡らせているんだ。観測者の視点では、まだ織田信長は生きているんだよ」


 そこまで言っても、隣からは頭をかく音が聞こえてくるだけで、理解したような素振りはない。しばらく考えこんではいたようだが、ついに友人は降参するように尋ねてきた。

「つまり、どういうことだ?」

「例えば、一光年先の星から今のオレを見たとする。連中には一年前のオレが見えるわけだ。何年後かにオレが死んでも、離れた距離にいる連中の中では、まだ生きている。聞いた話によると、宇宙というものは、今も尚恐ろしい速度で無限に広がっていっているらしい。つまり、だ……オレは永久的に死なないんじゃないのか、ってことさ。オレの死が全宇宙に観測されない限り、オレは不死身だ」

「ああ!」友人は初めて大声を出した。

「なるほど。ようやく解ったぞ。つまり、誰かが生きている今のお前を観測しうる限り、お前の存在はなくならないということか」

 ようやく理解が及んだらしい。なるほど、なるほど、としきりに頷いては感心している。

 オレはその声を聞き満足気に壁にもたれた。


「確かに面白い。だがな、その話にはいくつか問題があるぞ」

「ほほお、興味があるな。それはなんだい?」

「まずひとつは、一光年先どころか、百メートル先からでもこの檻の中は見えないということ。それともうひとつ。お前の死刑執行は明日だろう。一光年先は知らないが、俺はすぐにお前の死を知ることになる。執行のボタンを押す係には俺も含まれているからな」

 余計なことを。せっかく忘れようとしていたというのに。

 一言多い。良き友人であるこの看守の唯一の欠点だな。


 小さな生物がいた。暗い土の中で栄養だけとって、他の誰にもその存在を知られないまま、ひっそりと暮らしている。

 ある時、彼は神に願った。もっと大きな身体を持って地上に出たい。

「良いだろう」

 神はその願いを叶えた。

 以来、彼は土から出て、外の世界で暮らしていく。

「ああ、外の世界はなんて気持ちがいいんだろう」

 そよぐ風。暖かな日差し。新鮮な空気。その全てが彼を包みこんでいく。とても爽快な気分だった。


 想いのままに大地を駆けていると、彼は初めて『鳥』という生き物を知る。鳥は、彼が大地を駆けるように、大空を飛んでいた。翼を広げて青空の下を飛び回る鳥に、彼はいつしか憧れを抱いていく。

 ある時、彼は神に願った。鳥のように、空の世界を走りまわりたい。

「良いだろう」

 神はその願いを叶えた。

 以来、彼は大地を駆ける足の他に、大空へ羽ばたける翼を手に入れる。

「ああ、空はなんて綺麗なのだろう」

 翼を動かし飛ぶたびに、涼しい風が吹き抜けていった。山へ。谷へ。小川へ。彼は足と翼を持って自分の好きなところへ行くことが出来た。


 食べ物を探して川の近くを飛び回っていると、彼は初めて『魚』を知る。魚は、彼が地上でそうするように、思い思いに水の中を泳いでいた。流れに身を任せ、時には逆らい清らかな水の中を進んでいくその姿に、彼はいつしか憧れを抱いていく。

 ある時、彼は神に願った。魚のように、水の世界を泳ぎまわりたい。

「良いだろう」

 神はその願いを叶えた。

 以来、彼は足と翼の他に、大海をも泳ぎ回れる身体を手に入れる。

「ああ、海の中はなんて清涼な気分になるのだろう」

 身体を動かすたびに、冷たい水が彼を包みこんでいった。木の上から湖へ。湖から川へ。川から海へ。水の中をどこどこまでも泳いでいく。


 海を当て所なく漂っていると、彼は初めて『人』を知る。人は言葉を話し、仲間を作って楽しそうに笑っていた。一人一人がそれぞれ特徴を持ち、別の特徴を持つ人々と慣れ合ってるその姿に、いつしか彼は憧れを抱いていく。

 ある時、彼は神に願った。僕も人間の仲間になりたい。

「それは出来ない」

 神は静かに首を振る。

「どうしてですか?」彼は尋ねた。

「お前は、大地を駆け、空を飛び回り、海をどこまでも泳げる身体を持っている。人間はお前の存在を受け入れないだろう。お前のように万能な者は人間の枠には当てはまらないからだ」

 続けて神はこう話す。

「お前が人間の仲間になるには、今まで手に入れた力を全て捨てなければならない」


 彼は人間になることを諦めた。


 その日は六月二十一だった。梅雨時ではあるが、連日続いていた雨はやみ、広い青色の中へまばらに雲が漂っている。快晴だった。

 守川隼人はいつも通りの通学路を急いでいる。

(暑い……)

 いつもより強い日差しが、信号で立ち止まった彼を容赦なく照りつける。否応なしに、黒一色の学生服は光を吸い込み、彼の身体を強く熱した。思わず眩みそうになる。

 半分寝ぼけたままの意識が、さらに暑さによって混濁していく。よろけて足を踏み出した。車道へ一歩乗り出す。途端、音が鳴った。

 車だ。トラックが迫ってきている。気がついたときには遅かった。

 クラクションを鳴らしながら、鉄塊が眼前にまで迫ってくる。

(僕は死ぬのだろうか。冗談じゃない。まだやり残したことはいっぱいあったのに。死にたく、ない……)

 薄く目を開き友人たちを想ったまま、彼の意識は落としたパソコンのように途絶えた。


「はっ!」

 隼人は目を覚ます。カーテンの隙間から薄く入る日差し。柔らかな布団。鳥の鳴き声。まぎれもなくそこは彼の部屋だった。早鐘のように動く心臓が、彼の生命を伝えている。

「何だ、今の……夢?」

 思わず携帯を開く。デジタルで表示された日付は『六月二十一日』。

「……はあー、夢か」

 深く息をはき出した。何と生々しく現実味のある夢だったであろうか。

(そうとも。やりたいことはいっぱいあるのに、あんなことで死んでたまるものか)

 大きく深呼吸をして、夢を忘れるように彼は学生服へと着替え家を出る。

 やがて、夢の中に出てきた信号へと辿り着いた。すぐに今朝見た光景が思い出される。

 まさか、と思いつつも、彼は足を踏み出さぬよう気をつけて赤信号を待った。もうそろそろ青に変わるだろうというその時。一台のトラックが通り抜けていく。

「あれは……」

 間違いがない。あの時のトラックだ。横断歩道の信号が青になっても、隼人は彼方のトラックを見つめ続ける。見えなくなる頃になって、ようやく彼の時間は動き出した。

(あれは夢だったはずなのに。偶然、なんだろうか)

 偶然。その一言で片付けるには、今朝の夢はリアル過ぎた。少々青ざめながらも、隼人は横断歩道を渡り始める。

「えっ!」

 信号は青だったはずなのに、また別の車が隼人に向かって突っ込んできた。避けることは、できそうもない。見開かれた目の片隅に、居眠りをしている運転手が映った。それが彼が最期に見た光景だった。


「はっ!」

 隼人は目を覚ます。携帯に表示されているのは『六月二十一日』。夢ではない。夢ではなかったのだ。今のも、最初のも。

 身が震える。と同時に、何故自分は生きているのだろうか、そう考え始めた。

(神様がチャンスをくれているのかも知れない。六月二十一日に死なないよう、やり直させてくれているのだ)

 隼人が至った結論はそうだった。彼はその日、車に細心の注意を払い通学路を急いだ。トラック、そして居眠り運転の車、とやり過ごし横断歩道を渡る。だが、今度は右折しようとしたバイクに轢かれ、またも意識は闇に引きずられた。

 目を覚ます。四度目の六月二十一日。その日は、朝の交通事故は回避できたものの、放課後、友人と商店街を歩いていた時。通り魔に襲われてしまう。

 ナイフで刺され、隼人の身体はその活動を停止した。


目を覚ます。五度目の朝。六度目、七度目、八度目……。

 やり直しの六月二十一日を幾度となく繰り返す。その度に彼は死に、目を覚ました。ある時は交通事故で、ある時は放課後に刺されて、ある時は火災に巻き込まれて。時間も死亡原因もバラバラな生活の中で、隼人は友人たちと触れ合い別れていく。

 何万回の六月二十一日を繰り返しても、日付が先に進むことはなかった。

 そして三万六千五百回目の六月二十一日。百年分の同じ日を繰り返した隼人は、諦めるように毒薬を飲んで、自ら死を招き入れる。

(もう十分だ。友人と遊んで、恋をして……やり残したことなどもう何もない)

 ゆっくりと薄れていく意識で、隼人は笑い、やがて目を閉じた。六月二十一日は二度と訪れない。



 六月二十二日。隼人の自殺を知った彼の友達は、涙まじりで新聞記者にこう言った。

「あいつが死ぬなんて、冗談じゃないですよ。まだやり残したことはいっぱいあったのに」