前回の続きです。

 

生まれた時にはすでに

私の家の中に宗教・信仰があった。

 

●親不孝ならぬご先祖不幸①


 

 

 

そこから私と宗教や信仰との接し方は

どうなっていったかを書きます。

 

(山梨のお寺)

 

 

 

子供の頃は、信じたり唱えたり

困った時は助けてーーーと

願ったこともありましたが

 

 

その後

家族内で宗教に関連して

繰り返し嫌な思いをしたり

 

 

私の人生で嫌な事があったり

そういう状況が変わらなかったり

うちのめされるような出来事なども

起きたりして

 

 

私は、家の中にある

宗教という要素を

自分の中でどう位置付けたら

いいのか、突きつけられる

ことが幾度とあったんだと思います。

 

 

 

そして、最終的に

思春期くらいかな?

ある思いに至り(※後述)

私は宗教自体を否定し、

自分は信仰や活動をやらない

と決めました。

 

 

 

 

 

 

その後の

私と宗教との接し方をいくつか書くと

 

 

 

大学で受かったのは、

プロテスタント系で

行って平気なのか?と思ったので

当時いちおう父に確認してみたところ

大丈夫と言ってくれたので通いました。

 

(父はあれはいけない、これはするな

あそこ行くな、など細かく言ったり

する人ではなくて、

私は宗教的に寛大というか柔軟?

な印象を持っています)

 

 

キリスト教の礼拝も体験しましたが

心が落ち着いて良いものでしたニコニコ

 

 

 

知人や彼氏とかと、

クリスマスで食事したりプレゼントを

交換したりするのと同じ感じで

【初詣】なども

観光地に遊びに行くのと同じだと

思って行ってました。

 

 

厳密に心の内を言うとするなら

私は初詣に行く必要なさそうだし、

自ら進んで行きたいものではなかった

ですが

 

 

毎回、そういう機会にそれを

言って断るほどのこだわりが

あるわけでもなくて。

 

ただ、ちょっと微妙な

気持ちがかすめることもありました。

 

 

 

 

観光地で神社・仏閣を

お参りすることがありますよね。

 

そういう時、

願ってはいけない気がしたな~

 

 

違う神様を信じている家だし

都合よくその時だけお願いするとか

ないわ。と思いました。

 

願われる神様側の立場になったら、

ねえ(笑)キョロキョロ

 

 

 

なので、長らく、祈りは形だけ。

友達がお参りしている時に、

私いいわ、って脇に避けることも

ありましたね。

 

image

 

その後、お参りでは

心の中でご挨拶だけするようになりました。

 

 

 

ついでに言えば、

お墓参りや葬儀などで

何かを唱える時も、

私自身が信仰してもないのに

文言を唱えるのが

今でもちょっと微妙に感じたりします。

 

 

 

結構めんどくさい事に

なってるのかもなぁ。

 

 

 

ということで

色々書きましたが、

少しまとめておくと

 

 

私の中では

宗教と ご先祖様・お墓・葬儀

 

そういったものが

ひとまとまりのようになっており、

 

宗教を嫌って、遠ざけたことで

 

ご先祖様を供養したり

想ったりすることにも

長らくどこか距離があったように

思います。

 

 

お墓参りもそんなにマメに

行ってなかったり。

 

 

 

 

それで、昨日思い出した

宗教を否定した時の想いは、

こんな感じでした。

 

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宗教は、他力本願だ。

 

私は外の物をよりどころになんて

したくない。

 

(信じようが信じまいが

すごい嫌なことは起きるし

変わらないじゃん)

 

 

やりたい人はやればいい

必要な人もいると思う。

 

祖父母や親には必要で

心の安定につながっているもの。

 

だけど私はやらない。

 

===========

 

 

けれど、

ここ6,7年ですかね、

スピリチュアルに触れて

神様とか、前世とか、神社仏閣

などなどいろいろな考え方が

変わって行きました。

 

 

心屋を知ってからは
宗教っていう個人的な偏見や混同
とは別の所で

神社ミッションをしてみたり
神社やお寺に参拝してみる機会も
時々出てきたし


心屋以外のところでも
自分の心や精神を深く見つめる
過程で家族やご先祖様の存在を
感じる機会も出てきていました。

※距離が近づいたきっかけがあったので

 また改めて書きます。

 

 

 

なのでさっきの「宗教=他力本願」

というのは今は思いません。

 

 

現在は

神様は自分の中にいるように

思っているし

 

信仰って、その自分の内側に

アクセスして対話する時間

でもあるのだと思います。

 

 

心屋も宗教だと言われたり

ぢんさん本人が言ったりもするし

 

 

なんだろう。

 

幸せに、その人らしく生きるための

考え方、かもしれませんね。

 

 

 

 

 

生まれた家が何らかの

信仰を持っているという人は

多いと思いますが

 

生まれた時から

普通にあるものだから

 

改めてほかの宗教とか

それらとの違いを知る機会は

あまりなかったなぁ。

 

 

昨年サロンを作った時に

塩を盛ろうか?と思ったり、

個人お店をしている人が

神棚を置いていたり、

家の中に神棚を作る人がいたり

するなぁと

 

ちょっと気になり始めていました。

 

 

私が神棚に縁がなかったのは

うちが仏教だったからなんだね。

仏教は、仏壇だから。

 

そんなことも今までは

改めて意識すること、なかったです。

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、

「ご先祖供養」のインスタライブを聞いて

近所の神社やお寺を今度

探してみようと思いました。

 

晴れた日に探検だチューリップオレンジ

 

 

引っ越して新たな土地に来たので

近くの土地の神様に

ご挨拶しておきたいものね。

 

 

続く。