編集 中東旅行記:9日目 シリア/ダマスカス
いよいよ最終日。
今日はダマスカスの街中観光とお土産探しです。
ダマスカスは新市街と旧市街に分かれていて、旧市街は城壁に囲まれており、
スークやキリスト教地区、イスラム教第4の聖地ウマイヤドモスクなど、見所がたくさんです。
朝からアゼム宮殿、ウマイヤドモスク、サラディーン廟とガイドブックに出ている
観光名所を片端から見学して行きます。
ウマイヤドモスクでは、女性はチケット売り場でネズミ色のフード付きコートを借りて
着用することが義務づけられています。
もっときれいなベールのようなものを想像していたのですが、
どうみてもネズミ男のコスプレにしか見えません。
とても美しく、紀元前2,000年にはすでに聖地として崇められていた場所でもあり、
聖ヨハネの首塚があり、キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても聖なる場所であり、
熱心なイスラム教徒の女性達があちこちで涙を流しているような荘厳かつ厳粛、
神聖な場所であるというのに、たくさんのネズミ男がうろうろとカメラをぶらさげて歩いている姿は
なんとも美しくなく、自分もその一員なのが悲しいようなおかしいような。
などと思っても仕方ないので開き直って写真を撮りまくってきましたが。
旧市街ではハマム(アラブ風呂)に入りたかったのですが、
唯一女性も入れるハマムは改装中で入れませんでした。
スペインでも予約の手違いで入れなかったので、どうやら私と相方はハマムとは縁がないようです・・・。
一通り観光が済ませた後はひたすら買い物です。
スークの中をうろうろと歩き回ります。
ほとんど死海とアレッポで買い物は済んでいるので、
まだ少し足りないものがあるのでそれを買い足す程度のつもりだったのですが、
スーク(市場)はとても楽しくて、ついつい色々と買い込んでしまいます。
相方がアラビア文字の文字盤の時計を探していて、とてもカワイイ懐中時計を見つけたので
私も思わず買ってしまいました・・・。
今回の旅行で改めて思いましたが、中東はスパイスにドライフルーツ、
ナッツ類がとてもおいしいのです。
ハマの屋台で買ってはまってしまったので、お土産用にたくさん買い込みました。
やはりこちらが本場なのですね。
アプリコットや干しぶどうなど、とても味が濃くてワインにもよくあいます。
最終日の晩ご飯は少しおしゃれをしてちょっと良いレストランでお食事です。
ずっと食べたくて食べられなかったワラク・イナブという
ぶどうの葉にお米を詰めたお料理も食べられました。
これでとりあえず心残りはありません。
ひたすら、人間の信仰や宗教という不思議な心の営みに心を寄せ、思いを巡らせた毎日でした。
様々な文明が交錯し、歴史を紡いできた中東という土地で、思う存分好きなことに浸りきって、
とてもシアワセな休日です。
リゾート以外の長期旅行で、「帰りたくない」と思うのは初めてかも知れません。
ぜひ、また戻ってきたいです。
次は、旅の最後に死海のリゾートをもってきて、疲れたお肌を癒して帰るコースにしようと
固く心に誓って、今回の旅を終えたいと思います。
駆け足ではありましたが、私たちのヨルダン・シリアの旅はこれで終わりです。
あとは、明日飛行機に乗ってまたドーハで6時間(泣)の乗り継ぎを経て5月4日に成田に戻ります。
長々とオチのないだらだら旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。
また、GW明けから元のだらだら日記に戻りますw
では、また日本で。
今日はダマスカスの街中観光とお土産探しです。
ダマスカスは新市街と旧市街に分かれていて、旧市街は城壁に囲まれており、
スークやキリスト教地区、イスラム教第4の聖地ウマイヤドモスクなど、見所がたくさんです。
朝からアゼム宮殿、ウマイヤドモスク、サラディーン廟とガイドブックに出ている
観光名所を片端から見学して行きます。
ウマイヤドモスクでは、女性はチケット売り場でネズミ色のフード付きコートを借りて
着用することが義務づけられています。
もっときれいなベールのようなものを想像していたのですが、
どうみてもネズミ男のコスプレにしか見えません。
とても美しく、紀元前2,000年にはすでに聖地として崇められていた場所でもあり、
聖ヨハネの首塚があり、キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても聖なる場所であり、
熱心なイスラム教徒の女性達があちこちで涙を流しているような荘厳かつ厳粛、
神聖な場所であるというのに、たくさんのネズミ男がうろうろとカメラをぶらさげて歩いている姿は
なんとも美しくなく、自分もその一員なのが悲しいようなおかしいような。
などと思っても仕方ないので開き直って写真を撮りまくってきましたが。
旧市街ではハマム(アラブ風呂)に入りたかったのですが、
唯一女性も入れるハマムは改装中で入れませんでした。
スペインでも予約の手違いで入れなかったので、どうやら私と相方はハマムとは縁がないようです・・・。
一通り観光が済ませた後はひたすら買い物です。
スークの中をうろうろと歩き回ります。
ほとんど死海とアレッポで買い物は済んでいるので、
まだ少し足りないものがあるのでそれを買い足す程度のつもりだったのですが、
スーク(市場)はとても楽しくて、ついつい色々と買い込んでしまいます。
相方がアラビア文字の文字盤の時計を探していて、とてもカワイイ懐中時計を見つけたので
私も思わず買ってしまいました・・・。
今回の旅行で改めて思いましたが、中東はスパイスにドライフルーツ、
ナッツ類がとてもおいしいのです。
ハマの屋台で買ってはまってしまったので、お土産用にたくさん買い込みました。
やはりこちらが本場なのですね。
アプリコットや干しぶどうなど、とても味が濃くてワインにもよくあいます。
最終日の晩ご飯は少しおしゃれをしてちょっと良いレストランでお食事です。
ずっと食べたくて食べられなかったワラク・イナブという
ぶどうの葉にお米を詰めたお料理も食べられました。
これでとりあえず心残りはありません。
ひたすら、人間の信仰や宗教という不思議な心の営みに心を寄せ、思いを巡らせた毎日でした。
様々な文明が交錯し、歴史を紡いできた中東という土地で、思う存分好きなことに浸りきって、
とてもシアワセな休日です。
リゾート以外の長期旅行で、「帰りたくない」と思うのは初めてかも知れません。
ぜひ、また戻ってきたいです。
次は、旅の最後に死海のリゾートをもってきて、疲れたお肌を癒して帰るコースにしようと
固く心に誓って、今回の旅を終えたいと思います。
駆け足ではありましたが、私たちのヨルダン・シリアの旅はこれで終わりです。
あとは、明日飛行機に乗ってまたドーハで6時間(泣)の乗り継ぎを経て5月4日に成田に戻ります。
長々とオチのないだらだら旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。
また、GW明けから元のだらだら日記に戻りますw
では、また日本で。
中東旅行記:8日目 シリア/ハマ〜マアルーラ〜ダマスカス
さて、私たちの旅もいよいよクライマックス。
今日は最終目的地、ダマスカスに入ります。
ダマスカスに行く前に、ハマの街を散策。やはり昨日はお祭りがあったようです。
どうやらこの街は公園の整備に力を入れているらしく、
街の中心から歩いて15分ほどのところにある通称「4つの水車」までの道は、
ずっと工事中でした。きっと近々ステキな遊歩道になるのでしょうが、
今日を歩いている私たちは道なき道を適当に歩いて水車までたどり着きました。
中心地の公園まで戻ると、結構朝早い時間にも関わらず、
既に観光客や遠足の子供達でにぎわっています。
シリアではよく男性同士で腕組みをしている人を見かけるのですが、
昨日歩いた時には恋人同士のように指を交差させて手を繋いでいる2人組も見かけました。
ハマでは最も腕組み率が高かったように思います。
そういう習慣なのであって組合の方が大変多いということではないのでしょうが、
新宿育ちの私にはどうしてもそちらの方に見えてどきどきしまうのでした。
朝から2時間、お散歩にはちょうどよい感じで街の散策を終え、ダマスカスに向かいます。
途中、運転手さんオススメの「マアルーラ」という街に寄りました。
ここは、シリアにあって、5,000人の住民の大半がギリシア・カトリック教徒であり、
キリストが布教の時に話していたとされる「アラム語」を話す集落として有名だそうです。
大変小さな街なのですが街のあちこちに教会の屋根が見えます。
岩山の斜面に作られた街で、岩山の頂上にはキリスト像が両手を広げており、
街から見える岩山の岩肌には十字架が描かれています。
中でも有名なのが世界最古の教会と言われる聖セルジウス修道院と、聖テクラ修道院です。
セルジウス修道院では司祭様が話をされているのを少し聞くことができました。
なんとなくアラビア語とは違うように聞こえますが、アラム語かどうかはわかりません。
レバノンからの観光客は完璧に司祭様の言葉を理解しているように見えます。
後で運転手さんに聞いたところ、アラビア語が分かる人にはアラム語は理解できるそうです。
なので、ひょっとしたらあの司祭様が話していた言葉が、アラム語だったのかもしれません。
セルジウス修道院にはとても古いイコンが大変古い教会の壁にかけられていて
とても興味深かったです。近くに寄ってみられなかったのが残念でしたが・・・。
建物自体も、昨日まであちこちで見てきた遺跡の中にあってもおかしくないような、
とても古い造りの教会です。
その後、岩山の間の細い渓谷を歩いて聖テクラ修道院に向かいました。
こちらもとてもきれいな修道院で、教会の中にはとても新しい天井画や壁画が描かれており、
同時にかなり古い時代のイコンもすばらしいものがいくつかかかっていました。
聖テクラ修道院の奥には洞窟を利用した礼拝堂があり、
そこには岩山からのわき水がわいていました。
この水は聖水として尊ばれているそうです。
みんな空のペットボトルなどを持ってきて水を入れてもらっていますが、
私たちは何も持っていなかったのでその場で一口いただきました。
ご利益がありますように・・・。
マアルーラは大変小さい街で、見所も少ないですが、
あのイコンやモザイクを見るだけでもここにくる価値はあるかもしれません。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など宗教に興味・関心のある方や
西洋美術に関心のある方にはとてもオススメします。マアルーラ。
その後、ダマスカスに移動し2日間私たちに付き合ってくれた運転手さんともお別れです。
道中、イチゴを(箱で)買ってくれたり、朝ご飯にバナナを用意してくれたりと、
かなり私たちで稼いだんだろうなあいろいろと気を使ってくれ、
とても気さくで良い運転手さんでした。鬼教官とはえらい違いです。
ダマスカスでは国立博物館とハンドクラフトセンターをさくさくと見て回りました。
国立博物館はものすごくオススメです。
いかにこの国が古くから様々な文明の交流地点となっていたかがよくわかります。
ハンドクラフトセンターには民芸品のお店が並んでいるのですが、特に心躍るものはなく・・・。
買い物は明日の旧市街やスークなどですることにしました。
ホテルの近くの安いレストランでアラビア料理を食べ、本日もなぜか寝ても寝ても眠いので、
早く寝るのです。
明日が、実質の最終日。
悔いの残らないよう、しっかりと楽しんできます。
今日は最終目的地、ダマスカスに入ります。
ダマスカスに行く前に、ハマの街を散策。やはり昨日はお祭りがあったようです。
どうやらこの街は公園の整備に力を入れているらしく、
街の中心から歩いて15分ほどのところにある通称「4つの水車」までの道は、
ずっと工事中でした。きっと近々ステキな遊歩道になるのでしょうが、
今日を歩いている私たちは道なき道を適当に歩いて水車までたどり着きました。
中心地の公園まで戻ると、結構朝早い時間にも関わらず、
既に観光客や遠足の子供達でにぎわっています。
シリアではよく男性同士で腕組みをしている人を見かけるのですが、
昨日歩いた時には恋人同士のように指を交差させて手を繋いでいる2人組も見かけました。
ハマでは最も腕組み率が高かったように思います。
そういう習慣なのであって組合の方が大変多いということではないのでしょうが、
新宿育ちの私にはどうしてもそちらの方に見えてどきどきしまうのでした。
朝から2時間、お散歩にはちょうどよい感じで街の散策を終え、ダマスカスに向かいます。
途中、運転手さんオススメの「マアルーラ」という街に寄りました。
ここは、シリアにあって、5,000人の住民の大半がギリシア・カトリック教徒であり、
キリストが布教の時に話していたとされる「アラム語」を話す集落として有名だそうです。
大変小さな街なのですが街のあちこちに教会の屋根が見えます。
岩山の斜面に作られた街で、岩山の頂上にはキリスト像が両手を広げており、
街から見える岩山の岩肌には十字架が描かれています。
中でも有名なのが世界最古の教会と言われる聖セルジウス修道院と、聖テクラ修道院です。
セルジウス修道院では司祭様が話をされているのを少し聞くことができました。
なんとなくアラビア語とは違うように聞こえますが、アラム語かどうかはわかりません。
レバノンからの観光客は完璧に司祭様の言葉を理解しているように見えます。
後で運転手さんに聞いたところ、アラビア語が分かる人にはアラム語は理解できるそうです。
なので、ひょっとしたらあの司祭様が話していた言葉が、アラム語だったのかもしれません。
セルジウス修道院にはとても古いイコンが大変古い教会の壁にかけられていて
とても興味深かったです。近くに寄ってみられなかったのが残念でしたが・・・。
建物自体も、昨日まであちこちで見てきた遺跡の中にあってもおかしくないような、
とても古い造りの教会です。
その後、岩山の間の細い渓谷を歩いて聖テクラ修道院に向かいました。
こちらもとてもきれいな修道院で、教会の中にはとても新しい天井画や壁画が描かれており、
同時にかなり古い時代のイコンもすばらしいものがいくつかかかっていました。
聖テクラ修道院の奥には洞窟を利用した礼拝堂があり、
そこには岩山からのわき水がわいていました。
この水は聖水として尊ばれているそうです。
みんな空のペットボトルなどを持ってきて水を入れてもらっていますが、
私たちは何も持っていなかったのでその場で一口いただきました。
ご利益がありますように・・・。
マアルーラは大変小さい街で、見所も少ないですが、
あのイコンやモザイクを見るだけでもここにくる価値はあるかもしれません。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など宗教に興味・関心のある方や
西洋美術に関心のある方にはとてもオススメします。マアルーラ。
その後、ダマスカスに移動し2日間私たちに付き合ってくれた運転手さんともお別れです。
道中、イチゴを(箱で)買ってくれたり、朝ご飯にバナナを用意してくれたりと、
かなり
とても気さくで良い運転手さんでした。鬼教官とはえらい違いです。
ダマスカスでは国立博物館とハンドクラフトセンターをさくさくと見て回りました。
国立博物館はものすごくオススメです。
いかにこの国が古くから様々な文明の交流地点となっていたかがよくわかります。
ハンドクラフトセンターには民芸品のお店が並んでいるのですが、特に心躍るものはなく・・・。
買い物は明日の旧市街やスークなどですることにしました。
ホテルの近くの安いレストランでアラビア料理を食べ、本日もなぜか寝ても寝ても眠いので、
早く寝るのです。
明日が、実質の最終日。
悔いの残らないよう、しっかりと楽しんできます。
中東旅行記:7日目 シリア/パルミラ〜クラックシュバリエ〜ハマ
さて、休養ばっちりの7日目。
朝早くからパルミラの遺跡を見て回ります。
ここもローマ時代の遺跡です。
こんなところに来てまで自分たちの国の様式で
自分たちの国と同じような都市を作ったローマ帝国。
「When in Rome, do as Romans do.」
ということわざがありますが、ローマ人だけはいつでもどこでも
「Romans do as Romans do.」
だったんだなあと。
この遺跡もやっぱり放置プレイなので好き勝手に気の向くまま、足の向くまま見て回ります。
遺跡疲れもあって、2~3時間であっさりと見て回って終了。
ヨルダン、シリアの遺跡にはどこにでも猫がつきもののようで、
ここでも相方と2人鼻の下を伸ばして猫トラップにかかり、しばらく足止めを喰ったのでした。
途中、ジェラシュと同じように他の観光客からの写真攻めにあいました。
どうやらアジア人は珍しいらしく、お金持ちそうなシリア人観光客が
次から次へと私たちと一緒に写真を撮りたがります。
誰でも芸能人気分を味わえる国、シリア。
日本人が外国人を見て「彫り深っ!顔濃っ!」と思うように、
彼らにも「彫り浅っ!顔薄っ!」と、思われてるんだなあと思うと複雑な気分です。
遺跡の中をぷらぷらと歩いていると、観光バスにナンパされました。
見学中の観光客の荷物がそのまま残されている観光バスは明らかに仕事中ですが、
唯一遺跡の中にあるホテルまで連れて行ってくれるというので、
ちょうどそのホテルでお茶をしてみたいと思っていたし、便乗することにしました。
超高級ホテルでカフェもとてもきれいなのです。
カフェに行くと猫が数匹昼寝をしています。
ここでも猫にモテまくり、幸せです。
カフェですぐ近くに超お金持ちそうなイギリス人の奥様方が座っていて、
久しぶりに優雅な、かなりハイクラスのクイーンズイングリッシュに
うっとりと聞き入り、気持ちまで優雅になりました。
午後はハマという街に移動するのですが、昨日のようなバス移動を思うと
身体も疲れてきているし、かなり憂鬱になっていたので、
優雅な気持ちのままタクシーを利用することにしました。
そのホテルのフロントで、奥様方の影響で優雅なクイーンズイングリッシュで車を手配してもらい、
自分たちのホテルで荷物をピックアップしてそのままハマに向かうことにしました。
ハマまで2時間半、300kmの道のりで120アメリカドル。
車中で運転手さんからの提案を受け、明日行く予定だった
クラックシュバリエという遺跡をまわって行くことにしました。
2人で観光込みハマまで150アメリカドルなのでまあまあです。
クラックシュバリエはかなり大きなお城で、聖ヨハネ騎士団が1144年に
この城を要塞化した後、イスラムのマムルーク朝の支配を経て現在に至るようですが、
至る所に十字軍時代の名残、マムルーク朝支配時代の名残があり、
その波乱の歴史を感じさせてくれます。
とても保存状態が良く、礼拝堂(モスク)、食料貯蔵庫にアラブ浴場など、
今でもはっきりと往時の姿を残す施設も多くありました。
前日のデッドシティもでしたが、どこに行ってもラピュタか、ゲームのICO(イコ)
の世界です。
ここでもかなり観光客が多く、やはり写真攻めです。
日本人らしいバックパッカーの男の子も同じように写真攻めに会っていました。
欧米人のバックパッカーと2人組でしたが、すれ違った時に日本語で声をかけたところ、
彼は日本語がしゃべれないとのこと。
と、思ったら欧米人風の男の子の方が流暢な日本語でしゃべりだしました。
アメリカ人の団体を引率しているシリア人ガイドもかなり流暢な日本語で話しかけてくるし、
なんというか、日本語が世界の公用語になる日も近いんじゃないでしょうか。
ハマに向かう車の中で、明日の予定を運転手さんと交渉し、
当初は予定になかったマアルーラという集落を経由してダマスカスに向かうことになりました。
ハマからマアルーラ経由でダマスカスまでで160アメリカドルです。
少々高いですがタクシーをチャーターして観光付きなのでまあ許容範囲です。
年齢的にも体力的にも「無理しない」がモットーのオンナ2人旅なので問題ありません。
ハマは水車で有名なこじんまりとした街です。
明るいうちに街に着いたので夕飯を食べに行きがてら街を歩いてみました。
ハマはオロンテス川の中流にあり、とても豊かな街です。
水車も街中にいくつもあります。
公園を見下ろすレストランで食事をした後、ライトアップされている水車を正面から見られるカフェで
ビールを飲みながら水タバコをいただきました。
水タバコは何種類かフレーバーがあるのですが、店員さんのオススメでリンゴ味にしました。
本格的な炭火の水タバコは、あまりタバコっぽくはないのですが雰囲気に酔ってしまいます。
と、目の前の橋の上から何人も男の子が河の中に飛び込んでいます。
たくさん人も集まってきて何やら大騒ぎです。
なんでそんなに大騒ぎだったのかは結局分からずじまいでしたが、
何かお祭り的なことがあったようです。
ハマは、シリアの道頓堀と心得ました。
いよいよ明日は最後の目的地、ダマスカス。
私たちの旅も、残すところあと2日となりました。
ちなみに、予定になかったマアルーラは、キリストが話していた言葉、
アラム語が未だに話されている土地だということです。
今から、アンテナが振れています。
さて、何が待っているのか・・・。
朝早くからパルミラの遺跡を見て回ります。
ここもローマ時代の遺跡です。
こんなところに来てまで自分たちの国の様式で
自分たちの国と同じような都市を作ったローマ帝国。
「When in Rome, do as Romans do.」
ということわざがありますが、ローマ人だけはいつでもどこでも
「Romans do as Romans do.」
だったんだなあと。
この遺跡もやっぱり放置プレイなので好き勝手に気の向くまま、足の向くまま見て回ります。
遺跡疲れもあって、2~3時間であっさりと見て回って終了。
ヨルダン、シリアの遺跡にはどこにでも猫がつきもののようで、
ここでも相方と2人鼻の下を伸ばして猫トラップにかかり、しばらく足止めを喰ったのでした。
途中、ジェラシュと同じように他の観光客からの写真攻めにあいました。
どうやらアジア人は珍しいらしく、お金持ちそうなシリア人観光客が
次から次へと私たちと一緒に写真を撮りたがります。
誰でも芸能人気分を味わえる国、シリア。
日本人が外国人を見て「彫り深っ!顔濃っ!」と思うように、
彼らにも「彫り浅っ!顔薄っ!」と、思われてるんだなあと思うと複雑な気分です。
遺跡の中をぷらぷらと歩いていると、観光バスにナンパされました。
見学中の観光客の荷物がそのまま残されている観光バスは明らかに仕事中ですが、
唯一遺跡の中にあるホテルまで連れて行ってくれるというので、
ちょうどそのホテルでお茶をしてみたいと思っていたし、便乗することにしました。
超高級ホテルでカフェもとてもきれいなのです。
カフェに行くと猫が数匹昼寝をしています。
ここでも猫にモテまくり、幸せです。
カフェですぐ近くに超お金持ちそうなイギリス人の奥様方が座っていて、
久しぶりに優雅な、かなりハイクラスのクイーンズイングリッシュに
うっとりと聞き入り、気持ちまで優雅になりました。
午後はハマという街に移動するのですが、昨日のようなバス移動を思うと
身体も疲れてきているし、かなり憂鬱になっていたので、
優雅な気持ちのままタクシーを利用することにしました。
そのホテルのフロントで、奥様方の影響で優雅なクイーンズイングリッシュで車を手配してもらい、
自分たちのホテルで荷物をピックアップしてそのままハマに向かうことにしました。
ハマまで2時間半、300kmの道のりで120アメリカドル。
車中で運転手さんからの提案を受け、明日行く予定だった
クラックシュバリエという遺跡をまわって行くことにしました。
2人で観光込みハマまで150アメリカドルなのでまあまあです。
クラックシュバリエはかなり大きなお城で、聖ヨハネ騎士団が1144年に
この城を要塞化した後、イスラムのマムルーク朝の支配を経て現在に至るようですが、
至る所に十字軍時代の名残、マムルーク朝支配時代の名残があり、
その波乱の歴史を感じさせてくれます。
とても保存状態が良く、礼拝堂(モスク)、食料貯蔵庫にアラブ浴場など、
今でもはっきりと往時の姿を残す施設も多くありました。
前日のデッドシティもでしたが、どこに行ってもラピュタか、ゲームのICO(イコ)
の世界です。
ここでもかなり観光客が多く、やはり写真攻めです。
日本人らしいバックパッカーの男の子も同じように写真攻めに会っていました。
欧米人のバックパッカーと2人組でしたが、すれ違った時に日本語で声をかけたところ、
彼は日本語がしゃべれないとのこと。
と、思ったら欧米人風の男の子の方が流暢な日本語でしゃべりだしました。
アメリカ人の団体を引率しているシリア人ガイドもかなり流暢な日本語で話しかけてくるし、
なんというか、日本語が世界の公用語になる日も近いんじゃないでしょうか。
ハマに向かう車の中で、明日の予定を運転手さんと交渉し、
当初は予定になかったマアルーラという集落を経由してダマスカスに向かうことになりました。
ハマからマアルーラ経由でダマスカスまでで160アメリカドルです。
少々高いですがタクシーをチャーターして観光付きなのでまあ許容範囲です。
年齢的にも体力的にも「無理しない」がモットーのオンナ2人旅なので問題ありません。
ハマは水車で有名なこじんまりとした街です。
明るいうちに街に着いたので夕飯を食べに行きがてら街を歩いてみました。
ハマはオロンテス川の中流にあり、とても豊かな街です。
水車も街中にいくつもあります。
公園を見下ろすレストランで食事をした後、ライトアップされている水車を正面から見られるカフェで
ビールを飲みながら水タバコをいただきました。
水タバコは何種類かフレーバーがあるのですが、店員さんのオススメでリンゴ味にしました。
本格的な炭火の水タバコは、あまりタバコっぽくはないのですが雰囲気に酔ってしまいます。
と、目の前の橋の上から何人も男の子が河の中に飛び込んでいます。
たくさん人も集まってきて何やら大騒ぎです。
なんでそんなに大騒ぎだったのかは結局分からずじまいでしたが、
何かお祭り的なことがあったようです。
ハマは、シリアの道頓堀と心得ました。
いよいよ明日は最後の目的地、ダマスカス。
私たちの旅も、残すところあと2日となりました。
ちなみに、予定になかったマアルーラは、キリストが話していた言葉、
アラム語が未だに話されている土地だということです。
今から、アンテナが振れています。
さて、何が待っているのか・・・。
中東旅行記:6日目 シリア/アレッポ〜パルミラ
さて、私たちの旅もちょうど今日で半分まで来ました。
アレッポの街は石けんとスーク(市場)で有名ですが、
あまり時間がなく、一番有名なお店でがばっとお土産の石けんを買い、
スークをちら見しただけでした。
次回はきちんと時間をとって街中を見て回りたいです。
午前中はアレッポから車で4カ所ほど遺跡をまわって、午後はパルミラに移動しました。
遺跡巡りはスプリングホテルというバックパッカー御用達の宿が、
英語の話せる運転手付きの車を手配してくれるので、そのツアーを利用しました。
朝、私たちの泊まっているホテルまで迎えにきてくれ、帰りはパルミラへ移動するため
ホムス行きのバスの発着するバス停まで送ってくれるという内容で、
2人で2,000 SP(シリアンパウンド)。日本円で4,000円くらいですね。
ツアーで見てきたのはカラート・サマーンの他、デッドシティと呼ばれる
ビザンチン時代などに建てられ、そのまま廃墟となった街などです。
どれもとても素晴らしく、遺跡好き(廃墟好き)にはたまらない感じです。
カラート・サマーンは5世紀に建てられた聖シメオン教会のことで、
とても大きく、かなり保存状態も良く、往時が偲ばれる姿で残っています。
他の観光地と違ってシリアやヨルダンの遺跡は順路もなく、
各建物の説明もなく、ただそこにあるものを気の向くままに見て回るスタイルです。
そこに何があったか、どういう目的で作られたものか、
事前にガイドブックで予習したもの以外はよくわからないままですが、
あれこれと想像を巡らせるのが楽しくて仕方ありません。
途中で寄った、荒野の中にぽつんとあるデッドシティの一つも、
ただそこに「ある」だけなのですが、何時間でもいられそうです。
その後、そのままパルミラへ移動するためまずはアレッポの町外れの
バス停に向かいました。
観光ツアーの運転手さんがそのまま私たちをバス停まで連れて行って
ホムス(パルミラへの乗り換え地点)までの切符(2人で200SP)を買ったり、
荷物を運んだりどこで降りるか教えてくれたりする人(50SP)を手配してくれました。
運転手さんに100SPほどおひねり(私と相方が海外でTipの意味で使う言葉。
Tipだと相手に何を話しているかわかってしまうので)
を渡して一路ホムスへ。
途中アイス売りが乗ってきたのでアイスにも挑戦。
トルコのアイスのようにかなりしっかりとしていて伸びます。
ピスタチオが入っていて、味は普通のバニラに少しスパイスが入っているようです。
3時間ほどでホムスに着いたのですが、みんながわらわらと寄ってきて
タクシーだタクシーだと言います。
どうやらパルミラ行きのバス停までタクシーで移動しなければならないらしく、
言われるままにタクシーに乗ってバス停まで。
どうやらこの国の人は困っている人を見ると集まってきて
何か言わずにはいられないお国柄のようです。
私たちがバス停に着いてまたうろうろしていると必ずたくさん人が寄ってきて
あーだこーだと言い始めます。ほぼ英語が通じないのでボディランゲージと
わずかに知っているアラビア語の単語のみでなんとかこちらの希望を伝え、
ようやくパルミラ行きのバスに乗ることができました。
まあ明らかに観光客といった風情の人間がそこから行く場所は
パルミラしかないんでしょうけど。
パルミラまでは1人150SP。砂漠の旅です。
地元に人に交じってかなり不安なぼろぼろのバスに揺られて砂漠を2時間。
パルミラについてすぐ、遺跡のすぐ近くにある高級ホテルにチェックインしたのですが
インターネットアクセスはなし。
を、いいことに日記をさぼってかなり疲れていたので
相方と2人、久しぶりにおしゃれをしてレストランで食事をし、
早々に眠りにつき、というか寝落ちして砂漠の1日は終了したのでした。
アレッポの街は石けんとスーク(市場)で有名ですが、
あまり時間がなく、一番有名なお店でがばっとお土産の石けんを買い、
スークをちら見しただけでした。
次回はきちんと時間をとって街中を見て回りたいです。
午前中はアレッポから車で4カ所ほど遺跡をまわって、午後はパルミラに移動しました。
遺跡巡りはスプリングホテルというバックパッカー御用達の宿が、
英語の話せる運転手付きの車を手配してくれるので、そのツアーを利用しました。
朝、私たちの泊まっているホテルまで迎えにきてくれ、帰りはパルミラへ移動するため
ホムス行きのバスの発着するバス停まで送ってくれるという内容で、
2人で2,000 SP(シリアンパウンド)。日本円で4,000円くらいですね。
ツアーで見てきたのはカラート・サマーンの他、デッドシティと呼ばれる
ビザンチン時代などに建てられ、そのまま廃墟となった街などです。
どれもとても素晴らしく、遺跡好き(廃墟好き)にはたまらない感じです。
カラート・サマーンは5世紀に建てられた聖シメオン教会のことで、
とても大きく、かなり保存状態も良く、往時が偲ばれる姿で残っています。
他の観光地と違ってシリアやヨルダンの遺跡は順路もなく、
各建物の説明もなく、ただそこにあるものを気の向くままに見て回るスタイルです。
そこに何があったか、どういう目的で作られたものか、
事前にガイドブックで予習したもの以外はよくわからないままですが、
あれこれと想像を巡らせるのが楽しくて仕方ありません。
途中で寄った、荒野の中にぽつんとあるデッドシティの一つも、
ただそこに「ある」だけなのですが、何時間でもいられそうです。
その後、そのままパルミラへ移動するためまずはアレッポの町外れの
バス停に向かいました。
観光ツアーの運転手さんがそのまま私たちをバス停まで連れて行って
ホムス(パルミラへの乗り換え地点)までの切符(2人で200SP)を買ったり、
荷物を運んだりどこで降りるか教えてくれたりする人(50SP)を手配してくれました。
運転手さんに100SPほどおひねり(私と相方が海外でTipの意味で使う言葉。
Tipだと相手に何を話しているかわかってしまうので)
を渡して一路ホムスへ。
途中アイス売りが乗ってきたのでアイスにも挑戦。
トルコのアイスのようにかなりしっかりとしていて伸びます。
ピスタチオが入っていて、味は普通のバニラに少しスパイスが入っているようです。
3時間ほどでホムスに着いたのですが、みんながわらわらと寄ってきて
タクシーだタクシーだと言います。
どうやらパルミラ行きのバス停までタクシーで移動しなければならないらしく、
言われるままにタクシーに乗ってバス停まで。
どうやらこの国の人は困っている人を見ると集まってきて
何か言わずにはいられないお国柄のようです。
私たちがバス停に着いてまたうろうろしていると必ずたくさん人が寄ってきて
あーだこーだと言い始めます。ほぼ英語が通じないのでボディランゲージと
わずかに知っているアラビア語の単語のみでなんとかこちらの希望を伝え、
ようやくパルミラ行きのバスに乗ることができました。
まあ明らかに観光客といった風情の人間がそこから行く場所は
パルミラしかないんでしょうけど。
パルミラまでは1人150SP。砂漠の旅です。
地元に人に交じってかなり不安なぼろぼろのバスに揺られて砂漠を2時間。
パルミラについてすぐ、遺跡のすぐ近くにある高級ホテルにチェックインしたのですが
インターネットアクセスはなし。
相方と2人、久しぶりにおしゃれをしてレストランで食事をし、
早々に眠りにつき、というか寝落ちして砂漠の1日は終了したのでした。
中東旅行記:5日目ヨルダン〜シリア/アンマン〜ジェラシュ〜アレッポ
シリアに入ってから通信環境が悪く、久々のブログアップです。
バックデートで3日分まとめてアップします。
*****************************************
予告通り、国境を越えて今日からシリアです。
昨日、ペトラからアンマンに戻る車の運転手さんはとてもインテリな感じの人で、
聞いてみたら大学でマーケティングを専攻していて、この間まで
コカコーラでマーケティングをやってたそうです。
その後軍隊に入り、退役後ヨルダンに帰ってきて今は運転手をやりながら
色々副業をやってるとか。
かなりのエリートらしく、私たちの予定を聞くと早速てきぱきと
コースを考えて提案をしてくれます。
移動の途中で「○○の遺跡には行ったか。いいものを見せてやる」
と言って遺跡を見せてくれるのかと思いきや
自分の行きつけのお土産屋さんに連れて行かれました。
「オマエが来たかっただけかよ・・・」
とちょっと驚きましたが、どうやら彼はアンティークのコインの蒐集家であるらしく、
このお店にはかなり良いものがあるようでした。
普段興味がある訳ではないのですが、
つい私もコインを1つとラピスラズリの原石を買ってしまいました。
シーザーの顔の彫られたコインは、生まれて初めてのアンティークです。
まるで軍隊の教官のような運転手さんは、
てきぱきさ加減があまりにもてきぱきすぎて、死海からペトラですっかりのびきった
脳細胞を一気に「きゅっ」と締めてくれました。
いきなりの都会のエリートビジネスパーソンのペースについていけず、
またそれに軍隊方式のパンクチュアルなプレッシャーも加わって
とってもストレスを感じたのでした・・・。
もう今からGW明けにちゃんと社会復帰できるかどうか不安です。
まあストレスフルではありましたら鬼教官のお陰でジェラシュの遺跡も見られて
まあまあ安く国境も超えられ、無事本日の目的地アレッポに到着することができました。
ジェラシュの遺跡は古代ローマのものなのですが、かなりそのままの形で残っていて、
当時の姿を鮮やかにイメージさせてくれます。
ここはヨルダンの学生の遠足スポットにもなっているらしく、かなりの数の
学生さんの団体に会いました。
女子校が多かったのですが、みんな日本人が珍しいらしく、
人なつこくよってくる子もいれば、陰から隠し撮りをしている子、
後ろから着いてきて写真を一緒に撮ってほしいとおずおずと声をかけてくる子、
など。
ペトラの猫に続き、生まれ初めて「女子学生にモテる」という経験をしました。
その後、軍隊方式ドライバーの手配のおかげで無事国境も超えて、
(生まれて初めての陸路での国境越え!)
これまた初めての社会主義国家に入りました。
昔北京に行ったことはありますが、仕事で10日間ホテルに缶詰だったので、
実質は今回が初めてです。
私たちが取ったルートは以下の通り。
アンマンから国境越え専門のタクシー(100ヨルダンディナール=13,000円くらい)に乗り、
ダマスカスの郊外まで。
降りた場所からダマスカスのバスターミナルまでは普通のタクシーに乗り換えます。
バスターミナルからはアレッポまでの直通便で4時間。(200シリアパウンド=400円くらい)
シリアはとても物価が安く、ヨルダンのあとに入るとついうっかり
お金を使いすぎてしまいそうです。
夜9時頃にアレッポに到着した後、地元の人が行くような煮込み料理の店に行ってみました。
ライス、野菜のトマト味の煮込み、チキンのスープをいただきましたが
これまた日本人にはうれしい味でした。
味も濃すぎず薄すぎず、素材の味が活かされていてシンプルだけどとてもおいしい。
店に座るとデフォルトでミントの葉っぱとかぶの漬け物、生の青いとうがらしが
ついてくるのですが、この漬け物が色といい味といい、日本のかぶの漬け物と
ほとんど同じで大変おいしく、嬉しかったです。
明日はアレッポから遺跡見学をした後、砂漠を超えてパルミラに入ります。
バックデートで3日分まとめてアップします。
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予告通り、国境を越えて今日からシリアです。
昨日、ペトラからアンマンに戻る車の運転手さんはとてもインテリな感じの人で、
聞いてみたら大学でマーケティングを専攻していて、この間まで
コカコーラでマーケティングをやってたそうです。
その後軍隊に入り、退役後ヨルダンに帰ってきて今は運転手をやりながら
色々副業をやってるとか。
かなりのエリートらしく、私たちの予定を聞くと早速てきぱきと
コースを考えて提案をしてくれます。
移動の途中で「○○の遺跡には行ったか。いいものを見せてやる」
と言って遺跡を見せてくれるのかと思いきや
自分の行きつけのお土産屋さんに連れて行かれました。
「オマエが来たかっただけかよ・・・」
とちょっと驚きましたが、どうやら彼はアンティークのコインの蒐集家であるらしく、
このお店にはかなり良いものがあるようでした。
普段興味がある訳ではないのですが、
つい私もコインを1つとラピスラズリの原石を買ってしまいました。
シーザーの顔の彫られたコインは、生まれて初めてのアンティークです。
まるで軍隊の教官のような運転手さんは、
てきぱきさ加減があまりにもてきぱきすぎて、死海からペトラですっかりのびきった
脳細胞を一気に「きゅっ」と締めてくれました。
いきなりの都会のエリートビジネスパーソンのペースについていけず、
またそれに軍隊方式のパンクチュアルなプレッシャーも加わって
とってもストレスを感じたのでした・・・。
もう今からGW明けにちゃんと社会復帰できるかどうか不安です。
まあストレスフルではありましたら鬼教官のお陰でジェラシュの遺跡も見られて
まあまあ安く国境も超えられ、無事本日の目的地アレッポに到着することができました。
ジェラシュの遺跡は古代ローマのものなのですが、かなりそのままの形で残っていて、
当時の姿を鮮やかにイメージさせてくれます。
ここはヨルダンの学生の遠足スポットにもなっているらしく、かなりの数の
学生さんの団体に会いました。
女子校が多かったのですが、みんな日本人が珍しいらしく、
人なつこくよってくる子もいれば、陰から隠し撮りをしている子、
後ろから着いてきて写真を一緒に撮ってほしいとおずおずと声をかけてくる子、
など。
ペトラの猫に続き、生まれ初めて「女子学生にモテる」という経験をしました。
その後、軍隊方式ドライバーの手配のおかげで無事国境も超えて、
(生まれて初めての陸路での国境越え!)
これまた初めての社会主義国家に入りました。
昔北京に行ったことはありますが、仕事で10日間ホテルに缶詰だったので、
実質は今回が初めてです。
私たちが取ったルートは以下の通り。
アンマンから国境越え専門のタクシー(100ヨルダンディナール=13,000円くらい)に乗り、
ダマスカスの郊外まで。
降りた場所からダマスカスのバスターミナルまでは普通のタクシーに乗り換えます。
バスターミナルからはアレッポまでの直通便で4時間。(200シリアパウンド=400円くらい)
シリアはとても物価が安く、ヨルダンのあとに入るとついうっかり
お金を使いすぎてしまいそうです。
夜9時頃にアレッポに到着した後、地元の人が行くような煮込み料理の店に行ってみました。
ライス、野菜のトマト味の煮込み、チキンのスープをいただきましたが
これまた日本人にはうれしい味でした。
味も濃すぎず薄すぎず、素材の味が活かされていてシンプルだけどとてもおいしい。
店に座るとデフォルトでミントの葉っぱとかぶの漬け物、生の青いとうがらしが
ついてくるのですが、この漬け物が色といい味といい、日本のかぶの漬け物と
ほとんど同じで大変おいしく、嬉しかったです。
明日はアレッポから遺跡見学をした後、砂漠を超えてパルミラに入ります。