久しぶりのアフリカネタメモ

最近の寒波のせいか 酷暑だったアフリカを思い出したり

しかしその記憶は断片的で強弱があり

突然閉まっていた引き出しが開いてドア

この記憶はあの時のものだったかぁ~ とか

妙にひとりで納得してしまったり

じっくり思い出してみるのも悪くはない

約28年前時計 旅の思い出馬

 

表題のアッサマッカ は サハラ砂漠の真ん中にある 「 町 」

というか 「 村 」 というか 「 集落 」 のような地点

西アフリカのニジェールの国境にあり

対する向こう側は アルジェリアになる

 

AFRICA N°1 というのはラジオ放送局

今現在でも放送されていてビックリした

フランス語圏のアフリカ放送で

N°1 はナンバーワンのフランス語版の表記

英語の場合だと NO1 となる

ヌメロアン という発音よりかは ヌメホアンウサギ

五十音のラリルレロ のロの言い方が

 「ホ」 みたいな 「 オ 」 みたいになるので

アフリカ ヌメホォワン わんわん

。。。というような聞こえ方 

アフリカのラジオ放送のことになる

 

世界中で放送されている各国それぞれの ラジオ放送は

今の世の中、インターネットがあれば  聞くことできるビックリマーク

という とんでもない凄い世界になっているベル

ので、 本当に何十年か振りに聞いてみたり音譜

ちょっと今ドハマりしていて 録音して聞いて

アフリカの音のセンスに改めて感動したり

何を歌っているのかは分からなくても

ものすごくパワーを注入されてしまって

そんな事もあって 久しぶりのアフリカネタになった

 

ちなみに 「 アッサマッカ 」 も

インターネットがあれば グーグルマップを使って

上空から見ることが出来るサーチ

という本当に とんでもなく素晴らしい世界になっている

アルジェリア ⇔ ニジェール国境の所

一か所、一本しか道は無いから簡単に見つかってしまう

昔は紙の地図 ミシュランマップが全てだったのに 本

 

 

ヨーロッパを自転車で一年弱 走り回った後

何故か飽きてしまって 気持ちはアフリカへ向き

フランスで着々と準備を進め

とうとうアフリカに突入してしまった

サハラ砂漠を超えて ブラックアフリカへ

 

当時はテロが多く アルジェリアに入国するのが難儀であった

アルジェリアに入り 広大なサハラ砂漠を超えないと

アフリカへ行くことが出来ないロケット

 

そして何故か砂漠そのもの

サハラ砂漠が憧れであり

サハラ砂漠縦断が目標になった虹

 

マルセイユのアルジェリア大使館でビザ申請に行き

大使に呼ばれて面談の末、 懇願をし

ようやくビザを貰えたのを覚えている

 

 

アルジェリアに入国すると

南へ南へと走った自転車

広大な乾いた大地

気候は暑く晴れ食料は乏しくなる 

 

ゆで卵が貴重な食料で

常温で腐らず何日も保存できて

各町で手に入り易く値段も安いぶーぶー   

 

 

アルジェリアの真ん中辺に

レガン と インサラー  という町があって

上の地図に緑色の丸で囲ってみたが

その間には当時のミシュランマップには

道路が点々点みたいな

開通していないルートだった

もしくは荒廃して通行困難ルートのような状態で

普通は使わない道になっていた

 

この上の図は現在のグーグルマップで

ルートナンバーN52と付いていて

道が出来て開通しているようだクラッカー

 

 

当時のレガンの分岐の所の道路標識

左へ アウレフ方面へ進んだ

今現在はインサラーへと

標識も変わっている事だろうと思う

 

この地点は大きく地図を見てみると

真っ直ぐ直進をすれば西アフリカのマリへ

左へ行けばニジェールへと進む

大きな分岐点でもあった

 

なぜこんなに拡大スコープして書いているかというと

赤の四角で囲ったインガールという町の手前で

遭難しかかってしまったからだ

どんどん道が無くなっていき

わだちも無くなって分散しているので

どっちに進んだら良いのかも分からなく

方向も失いパニックになってしまった

 

 

インガールまで20キロという道標

しかしこの後 道を失い

誰も人はいない

車も通らない

 

 

視界に写るものは砂ばかり

自転車を置いて周りを歩き回って

新しいわだちを探してみたり

右往左往していたUFO

 

そう言えばアウレフもそうだった

他の町も必ず低い低地に存在していた

道路は高台でも川の跡のような

低い所に木々が生えて

オアシスのようになっていて

そこに人々は住んでいた

 

その時になぜだかそれを思って

なんか向こう側が低くなっていて

崖のようだなと思い

自転車を引っ張って駆け降りるように進んでいくと

緑が見えたクローバー

 

町があった

そこはインガールだった

時間にしたらそんなに長くはなかったろうが

パニック状態になって落ち着くことが出来なかった

第一村人発見! みたいに人に会って安心したものの

子どものようになっていたと思う

 

そのアルジェリア人の男は落ち着いていた

全てをもう分かっているかのようだった

泊めてもらえるかと聞くと良いと言った

 

いくら水を飲んでも収まらないような状態で

当時レモネードという呼び名の

アルジェリア製のジュースが売られていた

もしかしたらガズーズ Gazooz  炭酸飲料

のように言っていたかもしれない

 

分厚い瓶で1リットルくらいだったか

運が良いと冷たいものがあり

大きな町の店にはあることが多くて

オレンジ味ともうひとつ別の味があった気がするが

今となっては思い出すことが出来ない

 

それをその男にレモネード レモネードと

だだをこねる 子どものように

そればかり喋っていたと思う

そして今思い返しても 迷惑なヤツだったなと

よく付き合って面倒見てくれたと思う

 

辺りが暗くなってもねだってた気がする

その度に店に買いに連れていってくれるのだから

 

 

その時に泊めてくれた男の家

部屋にシーツというか布があって

そこで寝るというのが一般的だった

黄色い瓶が レモネード だ

懐かしい 今でも売っているだろうか

 

 

お世話になったアルジェリア人の男

出発の朝の写真

 

この赤い服の子供も30過ぎのおじさんになっているだろう

彼は元気でいるだろうか

いると思う

 

町中のレモネードを二人で探しているときに

電柱のところに フクロウが留まった

その男も珍し過ぎて驚いていたのだから

よっぽどに珍しいことだろうと思う

砂漠の真ん中の地でフクロウが飛んできて

こっちを見ていた

 

 

南へ南へと行く程に

人が少なくなる程に

過酷さが増して行って

自分の限界を超える環境に置かれ

体調不良の末に赤痢にかかり

げっそりと痩せて体力は落ちたダウン

 

今思えば病気に対する備え

旅の技術そのものがなくて

大変に痛い目にあっているのだが

アルジェリア人は親切なので

どこまでも助けて貰ってしまった

 

ジャンダルメリという憲兵がいるのだが

警察みたいな軍人みたいな感じ

と思って頂ければ良い

どこの街にも居るし

よく検問なんかをやっている

 

ある憲兵が物凄く心配してくれて

色々と世話を焼いてくれる

本人の好奇心?命令?

もしかしたら監視?

 

町の市場にはラクダの肉が売っていて

ぶつ切りの骨付きのを買ってきて

スープにして食べてやったラーメン

その後に強烈な赤痢の下痢が来たので

憲兵の人に 「 ラクダの肉に当たった 」

と言ったのだが、違う 違う 新鮮だ!

ラクダの肉はフレッシュだと力説された

fresh フレッシュなんて英語?

フランス語もフレッシュだから

もしかしたらフランス語のつもりだったのかもしれない

しかし当時はラクダの肉は新鮮だと

しつこいくらいに否定されたので良く覚えている

 

それでも病院に車で連れていってくれて

赤痢だと分かり、その足で薬局へも行った

4種類の薬の処方箋を出してくれたけど

薬屋には2種類の薬しか在庫がなく

肝心な1種類のこの薬が無いんですよと言われた

たまたま無いという感じではなく

ずーっと無いという雰囲気

もう普段から医療崩壊になっている

 

2種類だけでも薬を飲んで

生煮え状態の体調で旅は続いて行く足あと

 

先進国ヨーロッパで何年自転車旅行をして

知識と経験 体力と自信を付けた所で

アフリカに通用する事は無い

 

身をもってアフリカの洗礼を受けて

更に南、南へとペダルを漕いだ自転車

 

 

街を離れ しはらく自転車を漕いでいると

随分走ったとは思うのだが

一台のタクシーが土埃を上げ 追い付いてきて停まった

運転手が水を沢山積んでいる それを見せ

持っていけと すごく勧めてくる

毒は入ってないと 自分でもラッパ飲みして

とにかく勧めてきた汗

街を出たばかりだし十分に持っているんだけど。。。

出来るだけ好意は受け取るべき、水を十分に補給した

 

ある時は後ろから土煙を上げながらトラックが来て

随分まえから減速をして横に止まる

交通量は滅多になく 灼熱地獄メラメラ

私も悪路で自転車を押していた時かもしれない

ターバンを巻いた強面の男で

無愛想で一言も話さない運転手だったが

後ろの荷台をしきりに指差すので

すまないと思いながらも、手を振って断った

「 後ろに乗せてあげるよ 」 という意味だと思っていて

本当に親切で有り難いんだけど

自分で走る事に意味があるんよね トホホ

灼熱 暑い 暑い晴れ

せっかく止まってくれたけど

申し訳ないお願い

 

超低速ギアから発進し

ゆっくりとトラックが進んでいったのを

本当に親切だなぁ~と 後ろから見送って

荷台の積み荷を見た時に愕然としてしまった

トラックの荷台には ミネラルウォーター

ジュース類が大量に積まれている

もちろんレモネードも

 

あの悔しさというか後悔

大きな声で  待って !! とも言えない

 

日本を出る前にセブンイレブンで夜勤バイトをしていた

寒い思いで飲料品をバックヤードから補充するのだが

アルジェリアを自転車で走るという時に

まさか頭の中はコンビニの冷蔵庫 

ショウケースに並んだ清涼飲料水の数々

ずうっと思い巡らす事になろうとは

 

とにかく暑くて 仕方がない晴れ

飲み物は全てお湯の温度が基本

そこで生活の知恵

 

ペットボトルの周りに布を巻いて

水を掛けて湿らせると

気化熱で中の水が冷たくなるという

理科の実験のようなことを

真面目にアルジェリア人に教えてもらった

 

ヤギの皮の水袋を思い出した

車の先頭にぶら下げて走行すると

自然に染み出して漏れた水の気化熱で

中の水がいつも冷たい

その冷たさは手にかけられて

火傷するくらいの驚きハッビックリだった

ジープの前やラクダにもぶら下がっている

 

手足4本 首の5か所かな?

縛ってあって漏れないけど

自然に滲み出るから気化できる

良く覚えてないが首から水を入れていたような

ケツじゃぁないよなわんわん

そんな気がする

ぱっと見は残酷な水筒

残り少ない水はトロトロになるんだよなんて聞いた

 

そんなヤギの皮の水筒なんて

今も使っているのかな

「 ヤギの皮の水筒 」でググってみた

ひょうたんみたいな画像が出るが

それじゃない

ヤギの全身の皮で作ってある代物なのだが

一枚だけしか画像がなかった

それも小さくパソコン

 

 

どこだったか

フランス人の女性のいる家があって

夫がアルジェリア人でそこに住んでいた

少し立ち寄って

話をしたのを覚えている

 

ターバンを巻いたむさ苦しいアラブ人ばかりで

100%男しかいない世界

それがアルジェリア南部

というのは言い過ぎではないと思うにゃー

 

そんな所に透き通ったような白い

お姫様のようなフランス人女性がいて

色々話を聞いて少しの間 滞在した

アッサマッカに一回行ったらしいのだが

ジュネムパと言う  「 嫌いだと 」

本当にひどい所でダルジョン ダルジョン

金くれ 金くれの嵐 

国境を越えた途端に大変なことになると

教えてくれた

 

果樹を育てても良く育たないとか

とにかく不平不満をたんまり聞いて

そこを後にした

 

 

一か所給水ポイントがルート上にあって

グーグルマップで良く探してみたけどサーチ

分からなくなっていた

タマンラセットという大きな町

その手前にあったはずだった

 

上の写真が当時のものだが

白いランドクルーザーのサイドの窓の所に

ヤギの皮の水筒が付いている

まったく写真が残ってないかと思っていたけど

発見して少し嬉しく思えたチューリップ紫

 

ここに男がひとり

門番して暮らしているようだった

空になったペットボトルを持って

一本分、水を貰った

そしてここに一泊することにした

 

ここら辺というのも何だが

寝ようと思ったらどこでも

アルジェリアならテントを張って寝ることができる

それ以前に家があれば泊めてくれる

日本が縦に入っている地図を張ったが

そのくらいのエリア内

どこでも無料キャンプ場

と言ったら言い過ぎだろうかわんわん

 

もちろん住人がいたら許可を得て

いなかったら誰にも見つからないように

悪い奴にだけみつかって

悪い気を起させないよう

それだけ注意すれは大丈夫だ

 

なぜかあまり明るくない感じの門番だったが

話をしていてふと遠くを見

ヴォンデサーブルといって

家に入ってしまった

遠くの空は黒色の壁で

それがどんどん近づいてくる

砂嵐という事なのだが

何分続いたろうか

テントの中に逃げ込んで

チャックをしっかり閉めたけど

外の砂嵐の激しさに

大変な恐怖を味わった

 

走っている時だったら どうなっていただろう

テントの中の荷物の隅々まで

細かい砂が入り込んでしまっていた

 

季節は6月で気象の激しい時だったかもしれない

翌朝にもう一本

ペットボトルの水を貰えないか聞いたが断られた

砂漠で水をくれないという事は稀なのだが

相当に厳しい生活をしているようだった

それは前日に話をして感じていた


 

タマンラセットは大きな町で

そこを出ると400キロ

なにもなくなる

 

何日滞在したろうか

調べてみると23日間いた

 

赤痢からの体調不良もあったり

長居をして養生している間

ニジェールのビザを取ったり

 

サハラ超えをどうするのか

どうしたらいいのか

考えていても日数ばかり過ぎて

アルジェリアのビザもここタマンラセットで

2回延長している

 

自転車で砂漠を超えるのか

トラックに乗せてもらうのか

その時の考えの移り変わり

自分自身でもあまり覚えていない

 

自転車でのサハラ超えの意味

それはほぼ自殺行為に等しいと思う

現在がどういう道路事情になっているのか

それは分からないが当時はそうだった

 

全力でぶつかっても出来ない事がある

夢を諦めるということを

この時 23歳の日本人青年は学んだ

 

自転車で行ける所まで行って

途中でトラックに乗せてもらう

 

最終的にそういう計画になっている

簡単に言うと

とにかく街を飛び出した

ということになってしまった

 

 

どれ程走ったろうか

灼熱地獄の中で木陰を見つけて

待つことにした

いつ来るでもないトラック

どれくらい待つのかも分からない

 

この写真の木の所で待った

そこには小鳥が住んでいて

暑い 暑いと思いながらも

それしか見るものがない

ずっと観察していた

 

同じ枝の同じ所に留まっては

素早く飛んでいっても

すぐにまた同じ所に戻った

一ミリもズレることなく

同じ所に戻った

毎日毎日そこに留まって

フンも同じ所でするので

山盛りになって枝についていた

 

あまりにも暑くて

小鳥も気が狂ってしまったのだ

そう思って見ていた

 

しかし今思えば

この写真の私の自転車には

磯竿が2本積んである

5,3メートルの1,5号と3号の普通よりか

上等なランクの磯竿だ

もちろん釣り道具一式も

ダイワのウイスカートーナメントという

今では骨董品クラスの

リールも2個 替えスプールもある

サハラ砂漠の真ん中でだ

 

小鳥と自分

イカレ具合で言ったら

どちらが勝っていたろうか

 

 

どのくらい時間が経ったのか

覚えていない

 

トラックの音が聞こえ

トレーラーが近づいてきた

道路に出て車を止めた

どこまで行くのかを聞いて

アッサマッカまで行く

いやアーリットかしっぽフリフリ

 

いくらで乗せてくれるか

交渉をして

思ったより安く決まり

乗せてもらう事が出来た

 

 

砂にハマるポイントがあり

他のトラックと会うこともあった

その時の写真

 

私はトレーラーの方に乗せてもらっていた

 

乗る時にタバコは吸うな

絶対に吸うなと言われた

 

アルジェリアの安いガソリンや軽油を

ニジェールに運んでいる

燃料だけではなく様々なもの

生活雑貨や椅子やドア枠

そして人間も

ドラム缶に入ったガソリンが積まれ

その上にみんな乗っている

 

夜に走ることもあった

昼間に比べて気温が低い

あまり明るくないヘッドライトで

よく道が分かるなと思っていたひらめき電球

 

昼間に走る時にはよく休憩をした

みんなトレーラーの下に潜り込んで

直射日光から逃げた

トレーラーの下回りのボルトを締める

整備担当なのだろうか

それらしき係りの少年がいて

メガネレンチを持っていて

下に潜る度に足回りのボルトを締めている

そんなに締まるものなの?

たわいもない話をして仲良くなっていたが

確かにボルトを締めていたので

緩んでいたのだろう

 

3泊くらいトレーラーの旅が続いた

何を食べ 何を飲んだか

記憶は抜けている

 

日記帳を読み解けばヒントが沢山出てくるかもしれない

それを読むことはしていない

あたまの片隅に残る

強めの記憶を大事にしたい宝石紫

 

アルジェリアの国境の町

インゲッサムに着いて

みんな休憩モードになった

 

 

トレーラーの荷台の上からのインゲッサムの町

 

国境のイミグレーションの建物に泊まった

そこは国境警備の場所でもあって

大きな犬が何頭も放し飼いになって歩いているしっぽフリフリ

 

あとになって気が付いたが

不法入国者の為に飼っていて

人に襲いかかる犬のようだった

何も知らないで頭などをなでていたら

警備の男にアトンシォン!attention!

気をつけろ!と何度も言われた

 

そこのイミグレーションで1泊したのだが

確かに 記憶に残っているのだが

ヒョウが降ったのだ

もう暗い夜になってからだが

でかい白い塊の氷が降った

 

いやまず嵐のようになり雨が降って雨

カミナリもなったと思う

イミグレーション内が大騒ぎになる

野天に米を置いておいたらしく

男たちが駆り出されて急いで屋内に

運搬させられていた

 

私も心配でトレーラーに行って

自転車を見に行った

その時にヒョウが降ってきた

 

今でもあれは本当だったのかと

確信が持てないくらい意外なことだった

 

 

インゲッサムとアッサマッカまで距離は近い

でも歩いて行って死にそうになった人物を知っている

猛犬もいるので危険な所だ

 

いつまでたってもトレーラーが出発しないので

また子供のようにダダをこね

運転手の所に行って

早く国境を越えようよと言いにいった

アルジェリアのビザが切れそうで

冷や冷やしていた

 

あっさりと

ンじゃ行くかみたいに

トレーラーはアッサマッカに行ってくれた

アルジェリアを出国しニジェールへ入国した

 

それはアラブの世界を去り

ブラックアフリカへ入ったということになる

 

そしてニジェールに入国をしたすぐに

アッサマッカで運転手に金を払えと

言われたような気がする

 

それで両替を100ドルしたのだが

銀行などあるわけないので

両替人に替えてもらう

 

その頃アフリカ世界ではデノミアシオン

通貨切り下げが行われていて

タマンラセットでも銀行が閉まって

両替が出来ないようになったりしていた

 

外貨を持っている旅行者にとっては

お金の価値が2倍になったので

ウハウハな話なのだが

 

アッサマッカは陸の孤島

両替人の名前はアダマとか言ったっけか

悪いやつでレートを譲らなかったと記憶している

 

どうしても現地通貨は必要だから

半ば強制的に100ドルを言い値で

両替する羽目になった

こっちも頭に来ていたけど

トラベラーズチェックをサインなしで渡してやった

 

アフリカでは不思議なことに

トラベラーズチェックも道端で

闇両替人と取引が出来ることもあった

換金できるルートがあるのだろう

 

アッサマッカに到着して早々に

アダマに100ドル取られたようなもので

全く金、金だと嫌な気分でいたのだが

それよりももっと問題だったのが

コンボイを待たなければならないという事だった

治安が悪すぎるので自由移動は禁止

軍隊に守られながら集団で砂漠を移動しなくてはならない

そのことをコンボイ convoy と言った

しかしその日取りもいつになるのか分からないという

 

流れる情報はみんな噂話で不確定

いつアッサマッカを出れるのか分からなかった

はっきりと定期便で決まっていたのならば

強盗団もその日を襲撃の日にするだろうし

当たり前のことかもしれない

 

そういうアッサマッカに足止めを食らってるという人も

集落のなかに多数居た

アフリカから逃げ出し豊かな暮らしを求め

砂漠を超えてヨーロッパへ

 

ヨーロッパに行く寸前にアルジェリアで引っかかって

またアフリカに戻らざるを得ない

戻りのナイジェリア人の若い男とも会った

英語を話す人間が少ないので

よく話をしたりした

多少は金があり有能な人間ほど

行動力があって果敢に壁に立ち向かい

夢破れて舞い戻るもみじ

 

 

近くて遠いインゲッサム

アッサマッカからの写真

 

アッサマッカに1週間居ることになった

その間に取った写真は2枚だけ

そのうちの一枚がこの写真

 

アッサマッカに着いて

両替などのごたごたが終わって

どこに泊まれるのかなと

思っているかいないかのうちに

すぐに憲兵だろうか

役人だったと思う

名前は出てこない

モハメッドかもしれない

近寄ってきて案内され

そこに泊まることになり

結局 1週間いつも一緒に居ることになった

 

水が欲しければ

給水場所に一緒にいってくれる

ずらっと水筒が並んでいて

大勢順番待ちをしているけれど

旅行者ということで優遇されて

すぐに汲むことが出来た

 

パイプから水が出っぱなしになっていた

水があるからここに国境ポイントが出来たのか

集落全体はそれ程に大きくはなく

1週間も居たのであちこち歩いたり

でも行くところもなく

何をしていたろう

何を食べていたろうか

 

そのモハメッドとは朝から晩まで一緒に

生活をしていたと思う

ある晩ピールを飲もうということで

一本買ってきてモハメッドと

砂に少しビール瓶を埋めて

少し水を掛け 例の気化熱で冷やし始めた

交代で団扇で仰いで風を送り

2人で一生懸命 冷やした

そして仲良く2人で飲んだり

今どうしているだろうか

 

そう アルジェリアでは無理だったが

もうニジェールだ西アフリカなんだ

イスラム教は色濃いが

ビールがあった

そういう事も国境を越えて変わったことのひとつだった

 

汚い話をひとつ

Gが苦手な人は飛ばした方がいいかもしれない

私は好きでもないし 嫌いでもない

なんでゴキブリが怖いのかは理解できない

ゴキブリを見てキャーという

あなたが怖いわんわん

 

トイレが一か所あって

砂漠に穴を掘って角材を渡し

鉄のブリキ板で囲っただけの便所なのだが

みんなそこを利用する

もちろんボットン便所だけれど

壁一面ではなく四面?

天井もか

でかい羽根のないタイプの種類で

無数に隙間なく壁に付いている

あまり動かないのだが近い

そして平面にびっしりといる

そのおぞましさは中々のものだった

 

そうっと刺激しないように

用を足してそっと扉を閉めて出た

流石にアフリカンと言えども

その状況が嫌だったのかとかげ

いつだか誰かが薬をまいたようで

大部分が減って少なくなった

 

朝日は大変にきれいなものだった晴れ

毎日のように夜明け前に目覚め

そのほんのひと時が過ごしやすい気温だった

真っ赤な太陽が砂漠の地平線から出て

一気に酷暑へと変わる

いつもラジオからAFRICA N°1 が流れていた

一日中付けっぱなしでそのテーマ曲のような

メロディーと日の出の時間が一日の始まりだった

来る日も来る日もいつ コンボイ来るかなと

毎日毎日 期待出来ずに過ごしていた

 

 

2枚目の写真はモハメッドとの写真

役人だったと思うし

今この世の中、迷惑が掛かるかもしれないので

白抜きにした

でも28年も前なんだよね馬

 

たったの2枚の写真だし

アッサマッカの思い出の写真だ

この部屋で寝泊まりしていたと思う

 

後ろに男がひとり寝ていて

少しだけ写っている

ナイジェリア人だったか

確かそうだ、英語だった

性病にかかって寝ていて

Woman is dangerous と言っていた

酷暑の部屋の中で化膿したイチモツを出して

ずっと団扇で仰いで苦しそうだった

なぜか家来のような男がよく訪ねてきて

痛々しいイチモツから出る膿をガーゼで拭いて

手当をして出て行った

 

その日は突然のようにやってきた

コンボイがアーリットから来るらしい

軍隊の車両と トラック集団が

アーリットから北上して来るという事だ

明日出発ということになって

アッサマッカは割とバタバタしだした

トラックヤードではドラム缶の燃料を積み替えたり

大勢の男たちが重労働をしていたあせる

機械なんてないから全部手積みになる

ドラム缶の燃料満タンで何キロあるのか

トラックの荷台に詰め込んでいく

凸凹になったドラム缶を無理にでも荷台に押し込んでいた

その一本のドラム缶から燃料が漏れていた

ジャージャー漏れている

そんなことは構わずに作業を進めて

詰め込んでいく

 

そばで私は見ていて

たまりかねてドライバーに

燃料漏れているよと言った

そしたら  「 セパポルモア 」

「 俺のじゃない 」  と言う

これぞアフリカ アッサマッカだキラキラ

 

荷台から足回りのタイヤまで

軽油だろうか ジャージャー漏れて

びしょびしょになっていた

多分ガソリンでも扱いは同じなんではないか

恐ろしい 叫び

到着して荷主に何か言われようと

あー 漏れてたみたい

で終わりだろう

 

出発の朝はもっと騒然となった

次のコンボイが2週間後だという噂が回った

そんなに人が居たのかというくらい

人々が荷物を持って出てきて

群がるようにトラックに集まった

物理的に乗れないくらいに集まってしまって

アフガニスタンで米軍輸送機に群がる

そういう映像がつい最近でも日本のテレビで流れたテレビ

 

そんな状況になりそうだったので

私の乗ったトレーラーも慌てて出発をした

全開ベタ踏みでディーゼルエンジンが唸りを上げるDASH!

去ってゆく アッサマッカをみんな見ていた

どんどん小くなっていく アッサマッカ

 

山盛りで乗っていた誰かの荷物がひとつ

落っこちた

ひとりの若い黒人の男がすぐにトレーラーから飛び降りた

自分の荷物だから飛び降りたのだ

しかしトレーラーは止まらなかった

男は大声を上げて身振り手振りで止まれと言っているようだった

鳴こうが叫ぼうが全くスピードを落とすことなく

トレーラーは疾走した

一部始終をみんな見ていた

誰も何も喋らなかった

黙ってみんな小さく小さくなっていく男を見ていた