2月22日が猫の日だそうな
その日の今日、伯母さんが亡くなった。
死んだ親父のお姉さんで
昔は親戚中で休みの日は行ったり来たり
子供の頃は、よく交流していた
もう40年以上も前の話である。
伯母さんの息子が私の2つ3つ年上だったので
会うと必ず外で一緒に遊んだ
そのいとこのYちゃんはザリガニ取りが得意
近くにドブ池があって
肩まで浸かってザリガニ取りをやったり
そこらじゅうの石だの廃材だのを
投げ込んだりして遊んだ
そしてその当時は野良猫もたくさん居た
まんまと捕まった猫は
ドブ池に同じように放り込まれた
自分達も泥だらけ
びっしょりになって遊ぶ
小学校低学年の悪ガキだった
何度も泳いだ猫は
毛も濡れてくっついてしまって
小さくなった
いとこのYちゃんは
石をきれいに囲って
猫の墓を作り
その猫を置いて
砂をかけ頭だけ出して
花をそえた
動き出すとまた戻して
花を置きなおした
つるっとした猫の顔
目だけ出っ張ってるのを見て
Yちゃんが小田急だと言い出した
昔、確かにそんな電車が小田急線で走ってたと思う
東海道線はオレンジと深緑の印象が深い
「小田急」と名付けられた猫は
何度も小田急と呼ばれ
笑われた。
罪悪感のかけらもなく
あまりの面白さにゲラゲラ笑って
家に戻り、こんなに楽しいことがあったんだよと
そういう気持ちで伯母さんに話をしたつもりだったんだけど
伯母さんはそんなことをしてと
さめざめと泣いてしまったのを良く覚えている。
いつだったろうか、
小田急より後のことだと思う
今度は私たちの方がYちゃん家の方へ泊りがけで
遊びにいくということがあった
3泊くらいの予定だったか
誰が居てとかの詳しいことが思い出されない
子供の頃の思い出は印象的なものだけ残っている
サッポロ一番の塩ラーメン
袋めんを伯母さんが作ってくれた
当時はハイカラな食べ物だったと思う
ハイカラ?は死語か
鍋に麺を入れた後に
すぐ箸でかき混ぜない
と何度も言っていた。
そのラーメンに小さいカミキリ虫が沢山入っていて
賞味期限がどうのこうのと大騒ぎになった
今思えばあんな小さなカミキリ虫が居たのは珍しい
実際にその後
あのような生き物を見ていない
そして当時は寝小便が流行っていた
私とYちゃんに。
泊りがけだったので
もう初っぱなから
寝小便をどっちが いつするのか
それが親たちにとって割と関心あることであった。
初日にYちゃんがやってしまって
だいぶ凹んだ様子
私は逆に褒められてしまう
しかし最終日
私はどでかい地図を作ってしまった
もう帰るという日の朝
この騒ぎは子供ながらに思い出深い
みんなそれぞれがっかりのような
それ見ろというような
Yちゃんはやったーっ
かもしれない
でも心底迷惑かけてしまったのが伯母さんだ。
今でもその光景が思い出される
死んでしまった
さようならだ
まだウグイスも鳴かぬ
寒い冬
これから一雨ごとに
季節が進む
死から生へ
生から死へ