生きた学問
【生きた学問】
すべて学問というものは、
根から養分を吸収して、
幹が出て、
枝が伸びて、
それが分かれて小枝、
その先端に葉がつき実がなる。
そしてそれが又落ちて、
肥料になって、
新しく芽を吹いてゆく、
というように自然に伸びてゆくべきもの。
自然に伸びていって、
それが分裂せずに自ら一つの体系をなしてゆく。
これでなければ本当の学問ではない。
われわれは先ず『大学』から始まって、
四書五経を教わった。
それがある年齢に達した頃に、
自分から面白いなあ、
なる程なあと考えるようになる。
最初は与えられたものだが、
だんだんそれが生命化してきて、
よし、
一つ儒教を勉強してみようと今度は自発的に読み出す。
孔子の伝記をやるうちにどうしても孟子をやらねばいかぬ。
今度は荀子をやらねば気が済まぬ、
というようにだんだん枝葉に分かれて来る。
そうすると孫子・呉子・韓非子などというものまで関連して来て、
今度はそれに道楽をする。
斯様に儒教を研究しながら、
年季をかけて道楽していると、
自然とあらゆる教学に入って来る。
桃栗三年柿八年と言うが、
人間の学問はやはり二十年、
三十年と年季をかけて初めて生きた学問になる。
「安岡正篤一日一言・10月30日より」
↓ ↓
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
こちらのブログもぜひ応援して下さい…。m(__)m
☆皆様からの応援に感謝いたします。-ありがとうございます-☆





