らくだのようにラクに生きようと思うのに、ついウサギのようにがんばってしまう、なぜだろう。
息切れがするような生き方より息抜きしながら生きる方がラクなのに。性格なのかな、つい何かあるとあせっちゃう(笑)
たまには息抜きしながら軽々と生きるのもいいよね。なんとかなるってむりやりにでも笑顔作ってみる。
それだけで少しラクになる、最近、それって使える!って気がついた。
誰かの笑顔や明るい言葉に救われたりする瞬間もなんだかほっと肩の力が抜けてラクになる。そのひとのその幸せが自分にも移ってくるような気がして、うれしくなる。
それっていいね、すごく幸せなことだよね。
人生で大切なことって、年をとるにつれて、だんだんとわかってくるのかもしれない。本屋さんに行くと、いろんな生き方指南書みたいなのが並んでいる。開けば確かにそうだと思えてくる。
でも、やっぱり自分が日々体験することや感じること、誰かと話したことでえられた思い。そういう自分の経験から生き方がつかめてくるのかも。
自分がよいと思えた方にとりあえず進んでみる。間違えたら、考え直して、別の方法を探る。
そうやってしか、やっぱり自分に合う生き方ってつかめないような気がする。
社会に出ているときの自分はとても小さくて無力だと思うけれど、知らず知らずのうちに誰かの支えとか、助けになれていたらいい、こんなわたしでも本当は誰かに認めてもらいたいんだ。でもその為にはまず相手の考えもありかも、生き方もありかも、と認めてみる。きっとそれが大事なんだろうな。
でも、やっぱり自分が日々体験することや感じること、誰かと話したことでえられた思い。そういう自分の経験から生き方がつかめてくるのかも。
自分がよいと思えた方にとりあえず進んでみる。間違えたら、考え直して、別の方法を探る。
そうやってしか、やっぱり自分に合う生き方ってつかめないような気がする。
社会に出ているときの自分はとても小さくて無力だと思うけれど、知らず知らずのうちに誰かの支えとか、助けになれていたらいい、こんなわたしでも本当は誰かに認めてもらいたいんだ。でもその為にはまず相手の考えもありかも、生き方もありかも、と認めてみる。きっとそれが大事なんだろうな。
幸せになる方法ってないのだろうか。誰かひとりが悲しくなるのでもなく、損をするのでもなく、みんなが同じように幸せになれる、そんな奇跡みたいな方法があるなら、救える心があるのに。苦しんでいるひとを救ってあげられるのに。
もし幸せになる方法がひとの目に見えたら救ってあげたいひとがいる。たとえばこれをみればみんなが救われるとか、元気がでるとか、誰かに傷つけられても、また誰かに救われるといったように、幸せの法則は目にはみえないけれど、この世にはきっとあると信じたい。
もし幸せになる方法がひとの目に見えたら救ってあげたいひとがいる。たとえばこれをみればみんなが救われるとか、元気がでるとか、誰かに傷つけられても、また誰かに救われるといったように、幸せの法則は目にはみえないけれど、この世にはきっとあると信じたい。
ってむずかしいな。
自分の思っていることをきちんと伝えるって。
でもよく考えてみれば相手と自分は違う人間だから、もともと100%伝えられるわけがないのかもしれない。
だからお互いに話し合って、そのみぞを少しでもうめる。相手の立場に立ってみる、忘れがちだけど心がけたいな。
自分の思っていることをきちんと伝えるって。
でもよく考えてみれば相手と自分は違う人間だから、もともと100%伝えられるわけがないのかもしれない。
だからお互いに話し合って、そのみぞを少しでもうめる。相手の立場に立ってみる、忘れがちだけど心がけたいな。
春がちかくなってあたたかさを感じるとなんだか嬉しい。こころが軽くなる。
寒いふゆに負けそうになってた心がゆっくりと雪解けしていく氷のように気持ちがとけていくみたい。
春は出会いや別れやまた出会いを引き寄せてこうやって誰にでも平等に訪れる。大好きな夜桜はことしはいつごろ観られるかな、あでやかなあの夜の明かりに照らされた妖艶な姿にいつも圧倒される、まるで真昼のウエディングドレスから濃紺の桜模様の色うちかけに着替えた花嫁さんみたい。桜は天気や時間によって気まぐれに様子を変えるからみるひとを自然にひきつけてしまうのかもね。
寒いふゆに負けそうになってた心がゆっくりと雪解けしていく氷のように気持ちがとけていくみたい。
春は出会いや別れやまた出会いを引き寄せてこうやって誰にでも平等に訪れる。大好きな夜桜はことしはいつごろ観られるかな、あでやかなあの夜の明かりに照らされた妖艶な姿にいつも圧倒される、まるで真昼のウエディングドレスから濃紺の桜模様の色うちかけに着替えた花嫁さんみたい。桜は天気や時間によって気まぐれに様子を変えるからみるひとを自然にひきつけてしまうのかもね。