小説や歌詞や、空想で描かれた言葉より、本当に人を感動させるのは、
そこに何もうそのない、本当にあった出来事や思いからこみあげてくる言葉だ。
事実は小説より、感動します。
たとえば、結婚式で花嫁が両親へあてて読む手紙。
あれにはいつも感動してしまいます。
その言葉にはうそが全くない。一生懸命育てててくれた両親に対する真実の言葉。
それはどんなものよりも、ひとの心を動かす。その背景がわからなくても
みたことがなくても、なぜか感動してしまう。真実だけがもつ、本物の感動。
強い言葉はひとをハッとさせる。でも、何よりもひとのこころを動かしてしまうのは、
そのひとの本音がこめられた、思いがこめられた言葉ではないかと思う。
しんどいとき、くるしいとき、つらいとき、
感動したとき、うれしいとき、誰かに話しを聞いてほしいと思う時、
そんなとき、つい口から出てしまう言葉はどうしようもなくひとを感動させる。
わたしは人前で本音をいうようなタイプではないけれど、つい押さえて我慢してしまう方だけど、
言いたいことをオブラートに包んで見えないようにしてから、口に出してたりするけど、
でも、どうしようもなくストレートに言いたくなってしまうときがある。
ほんとうのわたしは、情けなくて、さびしがりやで、人恋しいんだよってこと。
ほんとうは、もっと言いたいことを自由に言えるようになりたいって思うこと。
ほんとうは、もっとみんなと自由にいろいろ話したいんだよってこと。
笑いあいたいんだよってこと。
そんなにまじめじゃないんだよってこと。
もっと気楽でいたいんだよってこと。
おとなになると、そういうこと社会で隠していなきゃいけないのかもしれないけれど、
おとなこそ、そういう遊びこころみたいなもの、今の時代には必要なんじゃないかな。
笑い声がいつもたえないのは家庭だけじゃなく、 職場にもたえないように、笑って働く、
笑って生きる。ときには冗談を言い合って、笑いながら汗水流して働く。尽くす。
そういう明るい生き方がふつうな社会になっていけばよいな。
そんなおとなを見て育ったこどももまたそういう生き方をすると思うから、
できるだけ、明るく生きていきたいと思うんだ。
それにどんなにくるしくたって、人間はいつのひか命を終えてしまう。
それならば、今死ななくても、いつかその寿命の日が来るまでは、
精一杯楽しんで生きたいと思う。
ちょうど半分ずつなんだと思う。
人生の楽しいことと苦しいことは、ちょうど半分ずつあるんだと思う。
そう思えば、どんなこともきっと乗り越えられるような気がするよ。