人は他人の言葉で簡単に傷つくもので

そこには悪意のあるなし関係なかったりする




どんなに心のことを勉強しても

カウンセリングの技術を身につけようとも

なんてことないことで傷ついたりもする


「なんてことない」って

たとえ頭で分かっていてもだよ?


傷つくものは傷つくんだ








「何でそんなに頑張りたいの?」

って、職場の人に聴かれたことがあった


今ではもう

ただの疑問なのは分かっているし

文脈的にそう聴かれても変じゃなかったけど

私はね、その言葉がものすごく痛かった




目の前が真っ暗になったような感じだった




それだけ

私はその言葉に「嫌な思い」を抱いた



そんな時のコバさんのブログ記事⤴︎だった





不幸そうな人になるか

幸せそうな人になるかの

今が分かれ道なのだ、と思った


その言葉が、どうしてあんなに痛かったのか


痛くて、痛すぎて

思い出した今でも喉がグッと詰まる

まるで本音が渋滞を起こしているような

何か出そうで、何も出せない感じ





「何でそんなに頑張りたいの?」の言葉は

相手から責められたような気がしたんだよね


頑張ってれば責められないと思って

責められないように頑張り続けていた

それが、バレた気がして

頑張りを盾にする卑怯な私を責められた感じ




それは、頑張らないと責められる不幸な私




「嫌な思い」をして、

目の前にその現実を突きつけられた


だから痛くて、痛すぎて

認めるのがこんなにも苦しかったんだろう

自分で自分を不幸扱いしていただなんて


一人で勝手に苦しんでただけだなんて絶望




だって私、コバマスで学んだよ

誰一人として私を、

「頑張らないと責められる人」とは見てない

私が勝手にそう思っていただけだって


そして私、コバさんに言われたよ


自分で気がつけば

いつだって辞められるということ

辞めて、今すぐにだって

「頑張らなくても愛される人」になれること




目の前にそんな分かれ道があるのなら

「頑張らなくても愛される人」を選びたい


傷つくは傷つくし

嫌な思いは嫌な思いだけど、

それでもその道を進んでいきたいんだ




コバさんありがとうございました❤️





かほり。