自分の精神が摩耗するくらいなら
「出来ません」って言った方がいい
どんなに人から「役立たず」と思われようと
自分をダメにするくらいなら諦めた方が良い



出来るようになるまで頑張るのと
出来ないのを頑張って受け入れるのと
一体どっちが楽なんだろうと思うようなこと

何度も何度も天秤にかけて
やっぱり出来ないことを受け入れる方が楽になれるのだとしたら、「出来ない」で良い







最近さ、
職場の改善案を書く紙がつくられて
二ヶ月ごとに提出していくことになった

強制ではない…と、思う



ここだけの話
聴いた瞬間、「私それ無理かも」と思った



ああした方が良い
こうなってくれた方が嬉しい
そんなつもりではなく考えてても、
私にその資格ないのにって心がチクチクする



きっとそうなるだろうなと思ったけど
考えれば考えるほどに、
自分の出来ない部分が出てきて苦しくなった


アレがああなら…
でもそんなの私がああすれば良いだけでしょ
コレがこうなら…
いやそんなのどの口が言うんだって話よね

みたいな




私の考え方の問題だってのは知ってる

この間の、
上司みたいになれない劣等感の話みたく
いつかは発想の転換が起きるかもしれない




今は発想が転換する前の
ウジウジ・イジイジ期間なだけかもしれない



でも、もういっそ
減給しても良いから「出来ない」って言ってしまおうかとか考えたりもする

減給じゃなくて、
有休が1日減るでも良いし
今月分の交通費が一切つかなくても良い




ちょっと今はそれくらい改善案が負担

いつかは発想の転換が起きるかも?
とかいう淡い期待が捨てられない分、
どこまでもその負担もついて回ってくる



そんなピリピリした精神状態の中、
「出来ません」って言う方法があること
自分がダメになるくらいならそれをを選んだって良いということが救いになっている



「出来ません」って言うこともまた私の転機

発想が転換する時みたいに
出来ない状況は変わらないままに
自分の在り方が見えてきたりするんじゃないか

出来ない状況のまま気持ちだけ楽になって
自分なりの取り組み方が見つかるんじゃないか



だから「出来ません」と言う方法は捨てない
最後の手段があることを救いに
もうちょっとだけ悩んだり足掻いたりする

発想が転換するまで頑張るのと
出来ないのを頑張って受け入れるのとを
もうちょっとだけ天秤にかけてみようと思う


私は自分に改善案を出したいなぁ〜笑


かほり。