この間『ラプンツェル』を観て
この間
一言も褒めない辛口感想記事を書いた
とあるシーンが全く頭から離れてくれないの
それは、
ラプンツェルがユージーンと共に
初めて塔の外の地へ降りてすぐのシーン
ゴーテルの命令で18年間外出を許されず
結局
偽母に黙って塔を出る決意をした訳だけど
永いこと願ってやっと外出できる歓び
約束を破って外出することへの罪悪感
という葛藤に
ラプンツェルは酷く揺れ動いて悶々とした
それを観て不思議と
嬉しいのか嬉しくないのかどっちやねん
ハッキリ描いてよ!とは思わなかった
むしろ、めちゃ分かると共感したくらい
この前の記事では
「登場人物を生かしきれておらず
キャラクター性が頭に残ってこない」
的な事を書いたけど
その揺れ動きこそ、両極端を持ってこそ
人間のそのまま姿かもしれない
…と
これまた私も自分の評価に
揺れ動いて悶々としていたりもする←
ラプンツェルに限らず
敵キャラであるゴーテルもそう
悪役でありながら
ラプンツェルに抱擁したり励ましたりと
悪役に徹しきれない中途半端さがあった
ユージーンもそう
ラプンツェルへの恋心に気がつく
あのランタン祭りの幻想的なシーンまで
恋心のコの字も感じさせずに、
それは突然恋に落ちるみたいな急さがあった
極め付けは
クライマックスの、ゴーテルを倒すシーン
ゴーテルは本当の母ではないと気づき
これまで騙されていたのだと知り、
ラプンツェルは深い憎しみを抱いていたが
ゴーテルが塔から落ちる瞬間
「母さん!」ラプンツェルは叫んだ
到底許せないほど憎いはずなのに
咄嗟に出たのは彼女を救おうとする気持ち
ラプンツェル、ユージーン、ゴーテル
彼女たちにとっての
「彼女たちらしさ」って何だろうな?
…
そして私も、
自分で「自分らしさ」がわからない
また私も同様に、
気持ちは一時一時ですぐ揺れ動く
多分、みんなもそう
絶対的な統一性なんてないだろうし、
自分で自分が分からない中で
どうにかこうにかそれらしい物を決める
キャラクター性がないことが
彼女たちのキャラクターなのだとしたら
観ている私たちも
私たちにキャラクターなんてものはなく
ただ出来るのは
今・この瞬間の感情を大切にするコトだけ
それが重なり重なって
やっと「自分らしさ」になるのかな^_^