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流れ雲のブログ

季節は巡り、花が咲き花が舞い、花が散り花が逝く、
きっといつか、風が吹いて、夢を運んでくる予感…
繰り返しと、積み重ねの、過ぎ去る日々に、
小さな夢と、少しの刺激で、今を楽しく、これからも楽しく…

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信じれば真実、疑えば妄想・・・



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私は病(あなた)を恨んだ。
辛いから恨まずにはいられなかった。
苦しいときはこの身を切り開いて病(あなた)を
つかみ出し、切り刻みたいと思うほどに憎んだ。

それでも事足りず、病(あなた)が遺伝性が
高いと知ると、私は父を恨み、母も恨んだ。

それでも、祖母が病(あなた)に侵されたときは、
皆で母を助け、家族が一つになれたことに
私は感動し、病(あなた)は優しさを教えるために
この世に存在しているに違いない、と確信した。

なのに、いざ病(あなた)が私にふりかかると、
私の中に優しさは生まれなかった。

友達が「頑張ってね」と見舞ってくれると、
「私の頑張りが足りないっていうのか」と
悪態をついた。
友達が、「早く良くなってね」と励ましてくれると、
「私がわざとゆっくりしているというのか」と
ひねくれた。

その上、同情は嫌だと自分を出すことさえ拒んだ。
病(あなた)を恨み続けることでしか、自分の
存在も見えなかったのかも知れない。

(そんな彼女でしたが、あるきっかけにより、
少しずつ病との距離感が変化します。
そのきっかけとは

つい数日前、一人の友が16歳の若さで亡くなった。
突然のことで、誰もが心を痛めた。
私も苦しかった。
その苦しみを、迎えに来てくれた母に話した。

母は「どうして…」と言うと、そのままずっと涙した。
家に着くまで、母の涙が乾くことはなかった。
祖父は「代わってやりたいだろうな」と家族を思い、
父は「Fは大丈夫?」と、私を気遣ってくれた。

その夜、寝つけぬ私の枕元に母が座り、
私が寝つくまで、私の頭をずっと撫でてくれていた。
涙を押し殺すように、時々途切れる母の鼻息が
私の肩を優しく抱いた。

こんな世話のかかる私、そう、病(あなた)を
ひっくるめた私のすべてを、誰もが大切に
思ってくれていることを、私は強く感じた。

次の日の葬儀では、多くの人の、さまざまな
悲しみがそこにあった。
ひとつの命を誰もが愛おしいと思っているのを、
痛いほど感じた。

病(あなた)が、なぜ彼女を奪ったのかはわからない。
しかし、その場の私は、たとえ自分が病(あなた)と
一緒であろうと、今、自分に命あることを感謝
せずにはいられなかった。

ある人が、「人の苦しみは、その人が越えられる
分だけ与えられる」と言った。
ならば、病(あなた)が私の元にやってきたのは、
私の周りには私を助けてくれる人がたくさん
いるからなのだろうか。

考えてみると、病(あなた)がいるからこそ、
人に素直に頭を下げることが出来るのかもしれない。
かといって、私は病(あなた)を好きでは
ないのだと思う。

そう、私は病(あなた)に負けたくない。
でも正直いって、治るはずもない病(あなた)と
戦いたくもない。

今となっては、病(あなた)がいる私こそ私であると
思えなくもないから。
だから私、これから先は、病(あなた)と仲良く
生きていきたいなあ。

ねえ、病(きみ)!仲良くやっていこうよ。
そして、病(きみ)が見せてくれる私の決心(こころ)と、
人の情(こころ)を捜してみたいなあ。

以上のような作文です。

わずか16歳の少女が、不治の病に侵されながらも、
懸命に立ち上がっていこうとする、その姿に
深い感動を覚えます。・
・・・



全てが失われようとも、まだ未練と未来が残っている。




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私は、小さな病院の受付事務をしています。
内科、小児科が専門ですが、これは十数年前の
ある日の夕暮れ時、病院の待合室で起きた
出来事です。

狭い待合室に、患者さんが三人いました。
その中に、学校の先生が二人おられたのです。
一人は五十半ばの女の先生、そしてもう一人は
三十過ぎの男の先生です。

そこへ、顔色の悪い女の子を連れたお父さんが、
入って来ました。
どうやら、こちらは初めての患者さんのようです。

私は受付のガラス窓から、保険証を受け取り、
カルテを作っていました。
ところが、しばらく経った頃、「ウェーッ」という声が
したのです。

急いで顔をあげると、先ほどの女の子が
食べていたものを全部吐き出し、
それをちょうど真向かいに座っていた男の先生が、
自分の両手で受け止めていたのです。

私は驚いて、声も出ませんでした。
そして、世の中にはこのような人もいるのかという
衝撃で、体中に熱いものが走りました。

それは、勇気などというものではなくて、とっさの
場合に出た自然の行為で、平素から、子供に対して
深い愛情を注いでいるに違いない、この先生の
豊かな人間性に他ならないと思ったからです。

私がもし、隣に座っていたら、どうなっていたでしょうか。
おそらく、嘔吐物の激しい臭いに、自分までが
「ウェーッ」と吐きそうになっていたかもしれません。
それとも、「ウワァ―、きたない」と思って、
体をそむけたでしょうか。

どちらにしても、考えただけでも恥ずかしくなりそうです。
看護師さんが、急いで雑巾で後始末をされましたが、
もう一人の女の先生は、自分の足元あたりを指さして、
「このあたりまで飛び散っていますよ」と
言われただけでした。

この光景は、しばらく私の頭から離れませんでした。
そして何ヶ月か経ったある日のことです。
その日は、待合室が大変混んでいました。
風邪がとても流行っていたのです。

玄関には、脱いだ履物が散乱していました。
私は、「ああ、玄関が散らかっているなあ」と
思いながら、そのまま仕事に追われていました。

そこへ、小学校高学年くらいの男の子が入って
来ました。
この少年に私はまた驚かされることになります
男の子は、靴を脱ごうとして、一瞬立ち止まりました。
が、すぐにしゃがみこんで、玄関に乱れている
多くの履物をキチンと揃え始めたのです。

男の子です。
今どき、珍しい子がいるなあと思って、私は
びっくりしました。

男の子は履物を揃え終わると、自分の靴を脱いで、
私の前まで来て、保険証を出しました。

差し出された保険証には、何と、数か月前、
他人の嘔吐物を素手で受け止められた先生の
名前が書いてあったのです。

やっぱり、この親にして、この子ありなんですね。
私は何とも言えない感動で胸がいっぱいに
なりました。


この記事は、「いい話」掲載文を下敷きにしています。
記事の中の嘔吐物を素手で受け取る行為については、
今日では感染上の問題もあり、避けるよう
医療面・教育現場等で指導されています。

ここでは、その行為を焦点化するのではなく、
「とっさの行為」の親と、その子の「自然な行為」の
すばらしさが、ひとつの家庭の中の共通の
空気のように存在しているということを
示したかっただけだす。





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